ヒオカ「内申点が低いと高校受験で不利になる。私が不登校から高校に合格できたのは保健室登校のおかげ」

2024年4月12日(金)12時30分 婦人公論.jp


写真提供◎AC

貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第64回は「内申がないと高校受験で不利になる」です。

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不登校の子があつまるその場所


YouTuberのゆたぼんさんが、高校受験をするも不合格となったことを公表し、話題となっている。自己採点したところ一緒に受けた友達より点数が倍以上だったが、友達は合格して、ゆたぼんさんは不合格となった。理由として、中学1、2年のときに学校に行っていなかったゆえに、内申点が低いことが考えられるのだという。

文部科学省が発表した、「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によると、小・中学校における不登校児童生徒数は29万9048人と過去最多を記録している。不登校の生徒にとって内申点が受験に響く現状は、とても大きな問題だ。

私も中学校3年間不登校だった。1年生の4月にいじめに遭い、欠席が週1日、2日、3日…と増えて、GW明けにはもうほとんど通えなくなった。教室にはいって他の生徒と同じように学校生活を送ったのは、3年間でその1ヵ月だけだ。

不登校になったのちは、家に引きこもる時期を経て、フリースクールのようなところに通うようになった。不登校の子があつまるその場所は、いじめもなく、みな優しく、“阻害された”経験で繋がりあうことができた。そこが安住の地となり、すっかり私はそこで卒業まで過ごすつもりでいた。

そんなんじゃ内申に響くぞ


不登校となった子たちの学力テストの点数は軒並み落ちていく。1年生の初っ端から不登校になり、勉強はすべて独学だったので、私も例にもれず点数は下がった。しかし、私の点数を見たフリースクールの責任者が、「ここにいたら点数が伸び悩む。進学校に行ける学力があるのだから、学校に戻りなさい」と言った。半ば強引に学校に送り出され、保健室登校となった。

1年ぶりに学校の敷地内に入ったが、やはり、学校の空気を感じるだけで、いじめの記憶がフラッシュバックし、お腹が痛くなった。まもなく相談室が開設され、不登校気味の子たちが集まるようになった。そこで自習をする日々だったが、フリースクールと違って先生に分からないところを聞くことができた。3年生になり、1日1時間だけ、などごく一部教室で授業を受けるようになった。先生が、私を一番後ろのはじの席にしてくれ、他の生徒に私が入ってきてもジロジロ見ないように、と念を押してくれたらしい。また、音読は順番をとばす、発表であてないなども徹底してくれるなど、出来る限りの配慮をしてくれた。そのおかげもあり、卒業まで相談室に通いながら、週に何日か1時間だけ教室に入る、という生活を続けた。


写真提供◎AC

一部授業を受けたり、わからないところを先生に質問できるということもあってテストの点数は安定し、5教科で400点(8割)を切ることはなかった。その結果を受けて、高校受験に向けた面談で担任はこう言った。 「あなたの成績なら、X高行けるよ」。X高とは、市内、つまり通える範囲で一番の進学校だ。私のど田舎の地元で、難関大を目指すなら実質そこに行くしかない。しかし、私は当時大学なんて考えたこともなく、不登校で内申点が非常に低いであろう私がX高に行けるだなんて思ってもいなかった。

言われるがままに受験したところ、合格した。学校に押し出してくれたフリースクールの責任者、X高に行くという可能性を示してくれた担任には、深く感謝をしている。

先生は「そんなんじゃ内申に響くぞ」と事あるごとに生徒をいびったし、生徒も、生徒会や委員会、行事での役職に立候補するときは口を揃えて「内申のため」と言った。一部では、内申点が高ければ多少成績が悪くても希望の高校に行ける、なんて言われていた。私は今28歳で、高校受験をしたのは10数年前なので、内申点をめぐる状況は今とはが違うだろうが、当時もみんな内申点をこれでもかというくらい重視していた。

私が不登校から学校生活に復帰できた理由


だから、今でも不思議なのだ。私は教室に入っていないから通知表もほとんどついていなかった(部分的にでも教室で授業を受けた科目は、2とか3をつけてくれた)。部活動や委員会活動も、行事への参加も一切していない。内申点はほぼないに等しいだろう。なんでX高に受かったんだろう。なんで、担任はX高行けるって言ったんだろう。

今となってはその理由はわからない。

高校には進学できたものの、人を避けて生活していたところから、大勢の中での生活に移行するのは簡単ではなかった。人が怖かった。学校では毎日お腹が痛く、休憩の度に誰もいない空き教室に駆け込んだりした。


『死ねない理由』(著:ヒオカ/中央公論新社)

それでも、スパルタ教育で毎週大量の課題が出て小テストがある生活で、勉強に追われる中で気が付いたら周りが気にならなくなっていた。中学のように周りにかまって暇つぶしのように誰かをいじめる人なんていなかった。みんな自分の勉強のことで手一杯だったのだ。

私が不登校から学校生活に復帰できたのは、それだけでなく、学校側の配慮があったからだ。私が中学校で不登校だったことは高校の教師たちも知っていた。だから、こっそり呼び出され、クラス替えの時に、心の支えになる子をひとり同じクラスになるように配慮する、と言われた。そのおかげで1年のときにできた親友と2年、3年と同じクラスになった。

友人に恵まれ人間不信を克服


えこひいき、と言われるかもしれないが、それがあったから私は高校を卒業できたのだと思う。中学のいじめで人間不信になり、人の笑い声が全部自分への嘲笑に聞こえ、人前に出ることさえできなかった。そんな自分が何十人もいる教室で朝から夕方までみんなと同じ空間にいられたのは、奇跡としかいいようがないのだ。


写真提供◎AC

その後進学した大学では、友人に恵まれ、人間不信を克服することができた。中学の時に取りつかれていた社会の中で生きていくことへの恐怖からも解放された。自分の学びたいことを思い切り学べる学生生活は刺激に満ちていて、得難い経験ができた。

それもこれも、内申点を理由に高校受験で落とされていたら、大学にも行けなかっただろうし、ずっと引きこもって人と関わることを諦めていたかもしれない。

不登校の生徒は今後も増え続けるだろう。内申点がないと受験で大きく不利になる現状は、再考の余地があるのではないか。

前回「『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』と『不適切にもほどがある』を観て思う事。アップデートは必要だ」はこちら

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