上沼恵美子「イタリア旅行で離婚を切り出して8年、別居6年でも別れない理由。私が買ったマンションで暮らす夫への気待ち」

2024年4月16日(火)12時30分 婦人公論.jp


「やっと半年前、〈痛いなんて言ってる場合じゃない〉と立ち上がったところなんです。今も落とされた崖下にいるのは変わりませんが、この状況を受け入れられるようになりました」(撮影:浅井佳代子)

テレビやラジオにとどまらず、近年は動画配信や週刊誌連載など活躍の場を広げる上沼恵美子さん。6年前から別居を続ける夫との関係にも、変化があったと言います。(撮影:浅井佳代子 構成:平林理恵 ヘアメイク:河口智子)

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表面だけのつき合いはもう必要ない


16歳で初めてプロとして舞台に立ってから、半世紀以上が過ぎました。人生は毎日が闘い、そして選択。何もない日なんてありません。

これは以前『婦人公論』でもお話ししましたが、なかでも衝撃的だったのが、25年続いた冠番組『快傑えみちゃんねる』が2020年に突然終了したことです。人生であんなに傷ついたことはないと思いますね。全力投球でがんばっているところを、ドーンと崖から突き落とされたわけですから。

「痛い痛い」言うて、立ち上がれないまま、膝から流れる血をぼんやり眺め続けました。22年4月頭には『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』も終わってしまって、ああ、私はテレビから淘汰されたんやなって。愛犬のベベだけが私の苦しみを理解してくれました。

でも、ベベは22年4月23日に亡くなってしまったんです。正直、神様はこれ以上の悲しみを与えるのかと思いました。ボーッとしている私を心配して、周りの人が新しい犬を飼うことを勧めてくれてね。それで1年前、豆柴のすももを迎えました。

そしてやっと半年前、「痛いなんて言ってる場合じゃない」と立ち上がったところなんです。今も落とされた崖下にいるのは変わりませんが、この状況を受け入れられるようになりました。


「今は、終焉を迎えつつあるテレビに対して、新しいメディアでじわじわと逆襲させてもらっている——ちょっとだけそんなつもりでやっています。(笑)」

21年12月にユーチューブを始めたことが大きかったですね。実は私、ユーチューブは素人でもできる舞台だから、手を出したら終わりと思ってたんですよ。でも、やってみたらとんでもないことがわかりました。大阪だけのローカルタレントだろうと、発信すれば世界に繋がる!なめてはいけないと痛切に感じましたね。

最初は、再生回数が公開されるシステムに戸惑いもありました。でも半年前から数字を気にせず、老後の楽しみ、ただの趣味だと考えるようにしたんです。それから面白くなってきましてね。今は、終焉を迎えつつあるテレビに対して、新しいメディアでじわじわと逆襲させてもらっている——ちょっとだけそんなつもりでやっています。(笑)

最近の配信では自宅のこたつで好きなことしゃべったり、好き勝手やらせてもらってます。ゲストをお招きすることもありますが、来ていただくのは私が会いたい人やずっと繋がっていたい人。表面だけのつき合いは、私にはもう必要ありません。

ほかにも嬉しいことがありました。崖下で血を流している時、『週刊文春』から人生相談連載のオファーをいただいたんです。「やった!」と思いました。誰もができるわけじゃない、経験を積んできたからこそ声をかけていただけた。

毎回、相談文を前に頭皮から汗を出しながら必死で回答をひねり出しています。オチまで考えなければいけないので難しい!おかげで頭が錆びません。いい時間です。

これまで何度も仕事に幕を下ろそうとしました。でも、気づいたらぴょんとまた上がっているんです。今回も、「あなたならまだいけるわよ」と言っていただいたようで。やっぱり仕事が好きなんです。幕を下ろさなくてよかったなあと思います。


「昨年の11月から、夫に1度も会っていないんです。いないんですよ、今の私の人生に。どうしてこうなったのかな——」

イタリア旅行で離婚を切り出して


プライベートでも変化がありました。私は6年前から夫と別居していて、週末だけ一緒に過ごす生活を続けてきました。それが昨年の11月から、夫に1度も会っていないんです。いないんですよ、今の私の人生に。どうしてこうなったのかな——。

夫と出会った時、私は20歳でした。8歳年上の夫はテレビ局のディレクター。立ち居振る舞いはスマートで品があり、知的な風貌。私は息吸って吐くのもできないくらい彼のことが好きで、22歳の時に結婚しました。

新婚旅行は最高でした。外国でパッと現地の地図を広げてエスコートしてくれるし、レストランではナプキンでそっと口を拭う仕草に惚れ惚れ。でも、夢見心地で帰国するや、姑も一緒の小さい建売住宅での生活に。

私は長男を産んですぐ仕事に復帰し、姑の世話をしながら夫にも尽くしました。でも夫は、家事は絶対に手伝わない人。妻にやさしい言葉ひとつかけない。私の仕事にまで、「東は滋賀、西は姫路まで」「歌は歌うな」などと条件をつけてきました。

子どもが巣立つまでは平和やったんです。子どもなしに夫婦で顔をつき合わせる時間が増えるにつれて、じわじわと嫌になって、体調まで悪くなっていく。夫源病というんですね。はっきりした理由なんてありません。

彼はいい人です。でも、赤の他人になりたい、実家の墓に入りたい。……これはどこの神経が言わせるんですかね。わからないんですよ。自分の心の中なのに整理ができないんです。

それで8年前、2人でイタリア旅行に行った時に、フィレンツェのレストランで離婚を切り出しました。夫は激怒し、バーンとテーブルを叩いて店を出て行ってしまった。「恵美子は僕にぞっこん」という自信があったから、こんな展開は予想もつかなかったようです。

私は帰国後に弁護士を立てて話を進めようとしたけど、離婚は手続きも大変で、なんだか面倒くさくなってしまって。それで夫には、家から車で10分くらいのところにあるマンションに移ってもらいました。すごくいい物件で、天井の高いペントハウス。あ、もちろん私が買ったんですけどね。(笑)

不在時を狙って家に帰ってくる夫


一度も親元を離れたことのない夫は家事ができません。リビングの高い天井にたくさんつけてもらった素敵な照明も、時が経てば1つずつ切れてしまうのに、絶対に電球を交換しない。ある日、「電気が全部消えた」って。笑えないです。本を読むために電球ではなく読書灯を買ってきたと言うんですから。

別居して半年経ったころ、1度だけ夫の様子をのぞきに行ったことがあります。玄関上がってリビング見て、すぐ靴を履きに戻りました。埃だらけで、土足じゃなければとても上がれない。ゾッとしました。「掃除に行かせて」と言っても、「僕の聖域に入るな」と断るんです。誰のマンションや、と思いますけど。(笑)

私がマンションへ行くことはほとんどありませんでしたが、夫は毎週末ご飯を食べに帰ってきました。彼は「行ってよろしいか?」なんて死んでも言いません。私から「お鍋でもしませんか?」と誘うんです。すると彼は喜んでやってきて食事をし、1泊して翌朝帰る。そんなスタイルで、昨年の11月まではうまくやっていたと思います。

あの週末はたしか、いつものように家に帰ってきた夫とお鍋を食べました。翌朝、彼は5時に起床。マンションでもその時間に起きて、ポトフを作ってるそうです。真っ暗なのにおかしいですやん(笑)。だから家に帰ってきてもそのペースで過ごす。

すももはまだ眠いのに散歩に連れていかれる。6時ごろに物音で起きると夫がムスッとしていたので「朝ご飯作るね」と言ったら、「いえ、いりません。僕はマンションでポトフを食べますから」と。「作るのに」「いや、いいですいいです」。それで帰っていきました。

その後ろ姿を見た時、この人とはしばらく会わないでおこうと思いました。私は標準語の人が好きなんですが、ああいう時は厳しいね。

以来、1度も会わないまま数ヵ月。年末年始も別々でしたわ。もっとも彼は、私がラジオ収録などで不在にする時間帯を狙って家に来ています。そして焼き菓子とか好きなものを持って帰る。やっと手に入れた山崎のウイスキーも2本。そのかわり、自分のマンションから空きビンや空き缶を持ち込んで置いていくんです。

彼を思って泣いた私も大事にしたい


この数ヵ月で、私は「ちょっと会いたいな」なんて思うことはまったくなく、むしろいなくて大丈夫だと確信を持つことになりました。これまで、夫が泊まる日は「もし地震が起きても、パパがいるから安心だわ」と思っていたんです。でも先日地震があった時、なんとも思いませんでした。

ある意味、寂しいですね。なんでこんなに頼れなくなったのかなって。私がしっかりしたわけじゃないんですよ。一人で生きていかなければという気持ちになっただけ。彼がそうさせたんです。孤独って慣れます。彼にはもう期待もしていませんし。「諦める力」というのは、後ろ向きやなく前向きな力やと思いますね。絶対に必要です。

なぜ離婚しないのか、よく聞かれます。現実問題、夫は77歳。もし離婚して、夫が住んでいるマンションをさし上げたとしましょう。でも、年金生活の夫には10万円近い共益費を毎月支払うのは無理。マンションを売って賃貸物件を探して暮らすにしても、77歳の男性が借りることは難しいでしょう。

たとえるなら、あの人は甲斐性のない石原裕次郎。でも、私にとってはまぎれもなく石原裕次郎なんです。だから物件を借りられなくて困っている姿は見たくないし、レジ袋から葱の先っぽをのぞかせて褞袍(どてら)を着て歩くおじいさんにはしたくない。それはきっと、20歳の時に彼を大好きになった私自身を裏切ることになるんです。

彼には、かっこよく旅立ってほしいと思っています。……これだと「はよ死ね」言うてるみたいですね(笑)。かっこよく《生きて》ほしい。恋焦がれて息ができなかった、星を見ながら彼を思って泣いた私も私ですから、そこも大事にしてあげないとね。言うたら、私の一番よかった時代を作ってくれたのは彼ですよ。あんなに好きになった人はいません。

今、はっきりわかりました。夫は私にとってまだ《大事な人》なんです。一生で一番関わった人ですもん。今日まで離婚していないのは、やっぱり何やしらん縁があるということなのでしょうね。

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