部屋まで忍んできて紫式部姉妹に手を出そうとしながら「真意の分かりかねる言動」をした男…『光る君へ』主人公・紫式部が少女時代の恋をほのめかした唯一のエピソードとは

2024年4月18日(木)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』。吉高由里子さん演じる主人公・紫式部を中心としてさまざまな人物が登場しますが、『光る君へ』の時代考証を務める倉本一宏・国際日本文化研究センター名誉教授いわく「『源氏物語』がなければ道長の栄華もなかった」とのこと。倉本先生の著書『紫式部と藤原道長』をもとに紫式部と藤原道長の生涯を辿ります。

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方違の男


『紫式部集(むらさきしきぶしゅう)』に少女時代の恋愛に関する歌が見られないからといって、結婚するまで紫式部に恋愛沙汰がまったく存在しなかったかというと、そういうわけでもないようである。

『紫式部集』には、紫式部が詠んだすべての歌が収録されているわけではないし、紫式部が結婚前の恋愛沙汰をすべて封印したかったのかもしれないのである。

恋愛沙汰をほのめかしている唯一の事例として、「方違(かたたがえ)(忌避(きひ)しなければならない方角を避けて他所に移ること)に為時邸にやって来た人が、「なまおぼおぼしきこと」(真意のわかりかねる言動)があって、帰ってしまったその朝早くに、こちらから朝顔の花を送ろうと思って」という詞書(ことばがき)の後に、つぎの歌が収められている。

「おぼつかな それかあらぬか あけぐれの そらおぼれする 朝顔の花」
(どうも解しかねます。昨夜のあの方なのか別の方なのかと。お帰りの折、明けぐれの空の下でそらとぼけをなさった今朝のお顔では)

紫式部姉妹の部屋に忍んで来て、真意のわかりかねる言動があって帰った翌朝に、姉妹から朝顔の花を送って歌いかけた歌というのである。

成就しなかった色恋沙汰


「なまおぼおぼしきこと」が男女の交流を指すことは間違いなかろうが、それが姉妹のうちのどちらとのものであったか、また男が後に紫式部が結婚する藤原宣孝だったのか、はたまた他の男であったのかは、はっきりしない。

とまれ、『源氏物語(げんじものがたり)』の空蝉(うつせみ)と軒端荻(のきばのおぎ)の話(空蝉に逃げられた光源氏が、空蝉の義理の娘の軒端荻と関係を持ったもの)のような出来事であった。

方違のために泊まりに来るのであるから、為時と同格以上の身分の者であろうし、為時と親交のあった人物なのであろうから、宣孝の可能性もあるであろう。

ただ、この男は歌の筆跡が姉妹のどちらか見分けることができなかったとあり、返歌の内容も、そうしているうちに朝顔の花がしおれてしまったというのであるから、どうも成就しなかった色恋沙汰のようである。

実事がなかったからこそ、紫式部は『紫式部集』にこのエピソードを収めたのではないだろうか。

この年、紫式部は推定18歳である。

邸内に肉親は弟一人


宣孝は正暦(しょうりゃく)元年(990)8月30日の除目(じもく)で、筑前守(ちくぜんのかみ)に任じられた。

「未だ検非違使(けびいし)の巡(じゅん)に及んでいない。何の理由が有って任じられたものであろうか」と実資に非難されているが(『小右記』)、やがて任地に赴任したことであろう。

なお、『石清水文書』所収「筥崎宮塔院所領官符(はこざきぐうとういんしょりょうかんぷ)」によると、大宰少弐(だざいのしょうに)も兼ねていた可能性もある。

為時と違って有能で世渡り上手な宣孝は花山天皇の退位後も(六位蔵人(ろくいのくろうど)は自動的に停任(ちょうにん)となったものの)左衛門尉(さえもんのじょう)を解任されることはなく、検非違使に補されていたのである。

ここで道隆によって受領(ずりょう)に抜擢されたことになる。

約束


なお、ここに出てきた姉は、まもなく亡くなってしまった。

紫式部は、同じく妹を亡くした女性と義姉妹の約束をしている。

「北へ行く 雁(かり)のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして」
(北へ飛んで行く雁の翼にことづけて下さい。今まで通り手紙の上書を絶やさないで)

為時の方は相変わらず散位(さんい)で過ごし、しかも後妻の許に通う日々であった。母も姉も亡くした紫式部にとって、邸内に肉親といえば弟が一人いるだけである。

不遇の家で少女時代を寂しく過ごした紫式部は、思索を重ねるなかで、兼家から道隆・道兼・道長への政権交代を、まったく他所のこととして聞いていたことであろう。

※本稿は、『紫式部と藤原道長』(講談社)の一部を再編集したものです。

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