「俺、才能ないんじゃないか?」「結果、残さなきゃ!」“こじらせ男子”だった古舘佑太郎(34)を変えた“友人ミュージシャンの言葉”

2025年4月19日(土)7時0分 文春オンライン

 ミュージシャンで俳優の古舘佑太郎(34)が上梓し好評を集めている『 カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記 』。古舘は有名アナウンサーを父に持ち、音楽の才能を早くから発揮していたが……。葛藤を抱えていた若き日々を振り返る。(全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)



撮影 杉山秀樹/文藝春秋


◆◆◆


ほとんど“こじらせ男子”だった学生時代


——潔癖症で“旅嫌い”の古舘さんが昨年アジア10カ国を旅した旅行記、興味深く拝読しました。個人的に、90年代に数々上梓されていた写真家やバックパッカーが綴った旅行記の読後感を思い出しました。


古舘 昔はそういう本がたくさん出ていたということを、この本の出版にあたって初めて知りました。そもそも、僕は“旅嫌い”という以前に、本当に旅そのものに全く興味がなかったので、お恥ずかしい話ですが、沢木耕太郎さんの『深夜特急』さえも知りませんでした。まさか自分が旅に出るなんて、思いもしませんでしたね。


——初の著書ですが、文章のリズムも良く、読み易かったです。文章の読み書きは、子どもの頃から興味をお持ちでしたか?


古舘 幼い頃は、性格の明るいスポーツ少年で、野球ばかりしていました。読書にも、勉強にも、あまり興味がありませんでしたね。小学校低学年の頃、音楽の授業で、先生が奏でるピアノに合わせて突然暴れ出しちゃったりするような落ち着きのない子で。目立ちたがり屋というか、お調子者でした。静かに机に向かっていられなかったので、読み書きなんて苦手中の苦手。ところが15歳になって、初恋の女の子と初めてお付き合いして、別れたのをきっかけに性格が一変。何だかあらゆる感情が爆発したような状態になって、どんどん内向的なやつになっていきました。音楽や読書に没頭して、詩を書き始めたり。そのとき、父親が何を思ったのか、僕に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー:著 村上春樹:訳)を薦めてきて。


——お父上はフリーアナウンサーの古舘伊知郎さんですね。


古舘 はい。父からそんなことをされたのは、後にも先にもそのときだけだったんですが、読み始めると主人公と自分の感情が強烈にリンクして。そこから村上春樹さんの小説を読んで、本に魅了されていきました。同級生は相当気味悪がっていたと思います。それまでバリバリの野球部だったやつが、突然、月明かりで村上春樹を読み始めたんだから(苦笑)。実は一瞬、「小説家になりたい」と思ったこともあったんです。高1のとき、国語の先生に、「芥川賞とか直木賞って、どうやったら獲れるんですか?」と聞いたら、「本をたくさん読んだらなれるかもね」と言われ、途端に萎えちゃって。何というか、もっとロマンチックな答えを期待していたというか、「いっぱい読んだらなれるのかよ?」って、めちゃくちゃテンションが下がっちゃって。


——何と言うか、ちょっと面倒くさいやつだったんですねえ。


古舘 我ながら青臭いというか、ほとんど“こじらせ男子”でしたね(笑)。


メジャーデビュー後の葛藤と焦燥


——古舘さんは慶應義塾高校在学中の2008年、自分が中心となって幼馴染とThe SALOVERSというバンドを結成し、2010年にメジャーデビューを果たしました。音楽への目覚めは?


古舘 最初は小学生の頃、姉が聴いていたザ・ブルーハーツやMONGOL800とか、親が好きだったサザンを何となく聴いていた程度でした。姉の真似をしてピアノを習ってみたものの、すぐにやめちゃって。音楽が自分の心に刺さったのは、中学3年の頃でした。でも、プロのミュージシャンになれるとは全く思っていなかった。なのに、結構早い段階でメジャーデビューを果たせて、青臭かった自分や、父に抱いていたコンプレックスとかが一気に自信に変わって。


——お父さんにコンプレックスを抱いていたんですか?


古舘 ちょっと珍しい名字だし、小さい頃から、例えば病院とかいろんな場面で苗字を伝えると、「息子なの?」と言われることが度々あって。そこでいちいち「違います」と嘘をつくのも嫌だし、かといって説明するのも何か違うし。でも、特にコンプレックスとは思っていなかったんです。僕が小・中・高と通った慶應義塾は、それこそ親が官僚の子とか芸能人の子もちらほらいたし、芸能人の息子であることが特に注目の対象にならない環境だったんです。でも、音楽を始めてから、そうした注目が急激に向けられるようになって。


——つまり、「ああ、古舘伊知郎の息子なんだ?」みたいな注目ですか?


古舘 そうですね。それで勝手にコンプレックスを抱いてしまって。とは言え、早々に自力でメジャーデビューができたので、デビュー直後は、「俺、やっぱ最強なんじゃない?」と、ちょっと天狗になっていました。でも、その鼻も早々にへし折られて……。


——と、いうと?


古舘 レコード会社からはプッシュしてもらえていたのに、セールスの結果が出なかった。それで急激に焦り出して、「俺、才能ないんじゃないか?」、「結果、残さなきゃ!」みたいな強迫観念にブワーッと襲われちゃって。僕、レコード会社の人からは、「ミスチルみたいになってほしい」と言われていたんですよ(苦笑)。で、自分もその言葉を鵜呑みにしちゃって、「ミスチルみたいなヒット曲を作らなきゃ」と必死になって。でも、当時、僕が書いていた歌詞は、「始発待ちしてたギャルに森鴎外の『舞姫』をススメようと渡したら見事に断られた」とか、「(映画館の席で)前も隣もイカれた痛い男女で大事な侘び寂び全部がいちゃつく音で消えた」とか、「映画館の暗闇で三島の『金閣寺』を落ち着くために開いたら燃やせと書いてある」とか、自分でもゾッとするぐらいミスチルとは真逆なものだったんですよ。


——あまりに焦り過ぎて、わけがわからなくなっちゃったんでしょうか?


古舘 ほとんど頭がおかしくなりかけていましたね。そこから、「俺、何がしたいんだ?」、「何で音楽を志したんだっけ?」、「幼馴染との関係性がビジネスみたくなるのはどうなんだ?」と、どんどん思考が迷子になっちゃって。音楽や本に対しても、昔みたいな純粋な気持ちで向き合えなくなった。何を読んでも聴いても、「どうして僕はこの人たちみたく結果を出せないんだ?」と思うようになってしまいました。


「自分を否定し続けることは、お前のことを好きな俺や周囲の人やファンの人たちの価値観まで丸ごと否定するんだぞ?」


——結局、The SALOVERSは2015年に無期限活動休止となりました。


古舘 僕、The SALOVERSで、若くして売れたかったんです。デビュー直後は、「やっぱり自分は同級生たちとは違うんだ」みたいな異端児キャラを気取って酔いしれていたのに、結局、夢は叶わなくて、同級生たちが就職して社会に貢献し始める頃、僕はバンドが終わってしまった。「大手を振っていたのに、これかよ」と情けなくなりました。ただ、負け惜しみかもしれないけど、もし、あそこでバーンと売れていたら、僕はたぶん今頃調子に乗って音楽に飽きていたか、もしくは不祥事でも起こしてとっくに消えていたんじゃないかと思います。


——その後、古舘さんは俳優活動や音楽のソロ活動を経て、2017年に新たなバンド、2(ツー)を結成。途中、THE 2(ザ・ツー)と改名して活動を続けたものの、2024年2月、またも解散を迎えてしまいます。THE 2時代のインタビューからは、再び前向きになりつつも、やはり結果に執着し、結果を追い求めていた古舘さんの奮闘が読み取れました。


古舘 僕は昔からOKAMOTO’Sのハマ・オカモトくんと仲良くさせてもらっているんですが、The SALOVERSの無期限活動休止を発表する前日、ハマくんとご飯を食べたんですね。そのとき、「実はバンドが終わっちゃうんだ。もう、俺なんてダメだ」と話したら、いつも優しいハマくんが、「お前、いい加減にしろよ?」と怒り出して。「お前がそうやって自分を否定し続けることは、お前のことを好きな俺や周囲の人やファンの人たちの価値観まで丸ごと否定するんだぞ?」と言ってくれたんです。


——ハマくん、人格者だなあ。


古舘 僕より1学年上なだけなのに、僕よりとてもしっかりしていて。そのハマくんの言葉で、ネガティブなことばかり言うのはもうやめようと思った。結局、THE 2も解散しちゃったけど、活動中はなるべく結果を残すためだけに悩もうと意識していました。


何もかもコンプレックスと感じてしまうような状態に陥ってしまった


——それにしても、The SALOVERSも、THE 2も、音源をリリースし続け、ライブは東京なら渋谷CLUB QUATTROといったキャパ700人クラスのライブハウスにも立っていた。ちゃんとファンもいたし、決してまるでダメという状況ではなかった。それでも、やはり過去のインタビュー記事を読み返すと、古舘さんは常に焦燥感に駆られていて。


古舘 おっしゃる通りですね。10代の後半でバンドを組んでメジャーデビューして、ファンの皆さんからもすごく愛してもらって。役者も始めて、NHKの朝のドラマや時代劇なんかにも出させてもらえて、冷静に考えたら、かなり恵まれたやつなんですよ。自分なりに頑張っていたし、胸を張れるような自分になれるタイミングだって、いっぱいあったはずなんです。でも、30歳を過ぎても、僕はまだ一度も自分に胸を張れたことがない。しかも、またバンドが解散してしまう。そんな状況が歯痒くて、THE 2解散のあたりは、もう何もかもコンプレックスと感じてしまうような状態に陥ってしまった。そうしたあれこれも、この本に書いた通り、今回の旅の中で感じた様々な思いに繋がっていくわけなんですけど。


——ところで、佑太郎さんと父・古舘伊知郎さんは、どんな関係性の親子だったのでしょうか?


古舘 幼い頃は、「時たま会うおじさん」みたいな存在でしたね。仕事で年中忙しい人だったので、四六時中触れ合うという距離感でもなかったし。幼い頃、一度だけ、一緒にキャッチボールをしたことがあったんですが……。


撮影 杉山秀樹/文藝春秋

〈 「うちの家系に音楽の才能があるなんて思うか?」「もう絶対に音楽で見返してやる」古舘佑太郎(34)が父・伊知郎への反骨心むき出しだった学生時代《テレ朝の音楽番組で……》 〉へ続く


(内田 正樹)

文春オンライン

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