【インタビュー】『陰陽師0』呪術監修・加門七海が明かす劇中に散りばめられた巧妙な“仕掛け”

2024年4月29日(月)18時0分 シネマカフェ

『陰陽師0』©2024 映画「陰陽師 0」製作委員会

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漫画「呪術廻戦」の人気もあり、“呪術”という言葉がすっかり社会に定着した感がある昨今だが、そもそも呪術とは何なのか——?

そんな問いに正面から向き合った映画が誕生した。誰もがその名を知る陰陽師・安倍晴明が陰陽師になる以前の学生時代の日々を描いた映画『陰陽師0』。本作の劇中で晴明らが結ぶ印や口にする呪文、さらには劇中の小道具など呪術にまつわる全てを“呪術監修”として司っているのが作家の加門七海である。

佐藤嗣麻子監督とは三十年来の仲で、監督たっての願いで呪術監修を務めることになった加門さんに“呪術オタク”の視点から本作の魅力について語ってもらった。

——“呪術監修”というポジション自体、なかなか聞かないですが、加門さんが引き受けることになった経緯をお聞かせください。

私は記憶にないんですけど、10年以上前に別の作品で、佐藤監督に似たようなことをお願いされて、その時は「とても自信がない」とお断りしたらしいんですね。だから今回も監督は「断られるかな…」と思っていたらしく、最初は婉曲的に「加門さん、若い俳優さんで好きな人はいる?」と聞いてきて、私は「うーん、私は若いのはネコが一番好きかなぁ」みたいな答えを返して「俳優なら、若くはないけど國村隼さんがすごく好き」と言ったんです。そうしたら「國村さんが出る映画があるんだけど、呪術監修やって!」とお願いされて「は?」みたいな…(笑)。

ただ、いままでの呪術を扱った映画は、ストーリーありきで、呪術というものは相手を攻撃するための道具というか、そこまで凝ったものを出すことってあまりなかったんですよね。なので、今回もそういう感じかと思っていたんです。記憶にないけど(笑)、前に一度、お断りしたという経緯もあったし、國村さんも出るしということで「じゃあ、やってもいいよ」と言いつつ、規模の大きな作品だったので「できるかな…?」とビビってました(苦笑)。

そこからトントン拍子に話が進んだんですけど、最初に脚本を読んだ時は「こんなに本格的にやるの!?」と仰天しました。「私の手に負えるかな…?」というのが正直な気持ちでした。

ただ、話が進んでいく中で思ったんですが、もし本物の呪術師の方や学者さんや研究者さんにお願いするとなると、どうしても(呪術の描写に関して)曲げられない部分、融通が利かない部分が出てくるんじゃないかと。私は本業が作家で、呪術に関しては佐藤監督がおっしゃっているように、ただ好きで自分でいろいろ調べたり、集めたりしている“呪術オタク”ですから(笑)、フィクション作品にも理解はありますし、アレンジなどにも柔軟に対応できるので、そういうところでの期待もあったんじゃないかと思います。

——“呪術監修”として、どのように仕事を進められていったのでしょうか?

とにかく脚本ありきですから、まず先方の「こういう話がやりたい」、「この場面で呪術の効果としてこういうことがしたい」というのがあって、それに沿って、こちらで史料などを提供するというのが第一の仕事でした。

ただ、映画ですので当然、尺の問題があるんですね。本来は呪術でこれを表現するとなると大がかりな仕掛けが必要なところでも、言葉ひとつで済まさなくてはいけない部分もありますし、何よりもエンターテインメント映画ですから、“映える画”じゃないとダメなんですね。そこは、あれこれとこねくり回して(笑)、もっともらしくカッコよく見せるかというのを考えていきました。

——具体的に担当されたのは、晴明らが結ぶ“印”や口にする“呪”などの創作ですね。

そうですね。特に多かったのは呪符(=神への願意、要請先、約束の取り付けなどを書いた紙)についてのやり取りでしたね。とにかく映画のありとあらゆるところに符が貼ってあるので、その種類やバリエーションについて、そこは精神的な意味ではなく、映像としてどうカッコよく見せるかということを注意しました。

——監修で関わったシーンの中で、特に印象に残っているシーンや映画的な描き方について提案をされたシーンを教えて下さい。

細かい部分——例えば金龍を封印するシーンでは、金龍は決して悪い龍ではないので、悪い存在を封じるような感じではなく、徽子女王(よしこじょおう/奈緒)の想いを封じるものなので、晴明役の山崎(賢人)さんにも怖い感じではなく、丁寧な感じでやってほしいということをお伝えしました。

また、晴明が「開!」と言って空間を切り裂く指の動きは「なぞるのではなく、剣で切るような感じでやってほしい」と指導をさせてもらいました。

——呪術監修を務めるにあたって、ご自身なりに決めたり、監督と話し合った呪術のルールや世界観といったものはありましたか?

特に監督やスタッフの方々と相談したということはないんですけど、やはり一家言ある人たちはみんな、自分なりの“呪術観”というものを持っていますから、この映画における呪術観と私自身の呪術観でズレというのは当然あるわけです。ただ、今回はあくまで映画『陰陽師0』の世界観に沿ってつくっていくという点は了承した上でやらせていただいています。

その中で、まず大切にしたことは「“本物”を出さない」ということですね。フェイクを混ぜつつ、でも嘘にはならないで、みなさんに納得していただけるような幅を持たせる——完全な本物ではないけど説得力を持たせるということを意識しました。

——それは本物の呪術を行なうことで、本当に呪いが発動したり、厄災が降りかかることがないようにという配慮から?

そうです。万が一、何かあって「これをやってしまったからだ」とスタッフさんや演者のみなさんに思わせるようなことがあってはいけないというのがひとつ。

加えて、そもそも呪文やお札というのは、宗教の核心や秘密に触れる部分も多いので、それを映画であからさまに見せるのは、私自身、とても怖いですし、やりたくないことなので、少しだけ(本物から)ずらしてあります。とはいえ、見る人が見れば、元ネタはちゃんとわかる程度のアレンジですので、お好きな方は探してみてください。

映画の中で「蟲毒」が出てきますけど、あれは本当に呪詛の術で、やはり本物は怖いですから、そこまで深入りし過ぎず、ごく普通の本で「蟲毒とは何か?」という説明に書いてある程度の内容で収めるようにしたりしています。やはり描きすぎると怖いですから(笑)。

——映画用に印や呪を考えるにあたって、参考文献や史料というのはどのようなものを?

晴明の時代の陰陽道に関しては、実は史料は非常に少なくて、とてもそれだけでは今回の映画の呪術をカバーできないので、時代的には近世くらいのものも使っています。

日本、およびアジア圏の道教の史料が多いですね。陰陽道の基礎資料としては「陰陽道基礎史料集成」(村山修一)という本がありまして、古いものだと鎌倉時代あたりの頃からの様々な史料が収められています。ここから呪文などを採らせてもらっています。

また映画の中で、(晴明らが学ぶ)陰陽寮にいろんな図が描かれた紙が貼られていますが、それらは美術書などから、使用可能なものを使わせてもらっています。

印に関しては、中国の書物である「符咒指訣秘鑑」(法玄山人)などを参考にしていますが道教だけではまかなえず、密教の史料なども参考にしています。

——完成した映画を観て、呪術の第一人者の視点で驚かれたシーンはありましたか?

先ほども少し触れましたが、晴明が「ここは現実ではない」と気づいて「開!」とやることで空間を切り裂き世界が切り替わるシーンがあります。ほんの一瞬で「世界を変える」——自分が立っている空間を術によって変えるという非常に大きな術ですが、それが映像だとああやって一発で見せることができるんですよね。あの爽快感はすごかったですね。

実際の呪術というのは、効果の有無ってその場ですぐにはわからないものですし、普通の人の目には映らないものなんですよね。それを見事に映画で可視化していて感動しました。

——安倍晴明という人物が、令和のいまの時代に陰陽道の世界のスーパースターとしてこれだけ親しまれ、愛されているのはなぜだと思いますか?

まず“陰陽師”という存在が(本作の原作でもある)夢枕獏さんの小説「陰陽師」シリーズおよび、そこから派生した岡野玲子さんの漫画、またそれとは別にCLAMPさんの漫画(「東京BABYLON」)などによってフィーチャーされたことが大きいですが、その中で安倍晴明がスーパースターになったのは、身も蓋もない言い方ですけど、名前がすごくカッコいいということが大きいんじゃないかと思います。“安倍晴明”って完全にヒーローの名前ですよね(笑)。

例えば敵方で出てくる蘆屋道満という陰陽師がいますけど、普通の主役にはならないですよね。(晴明の師である)賀茂忠行も残念ながらならないですね。安倍晴明という名前に既に“萌え”があると思います。それはすごく大きいですよ。

——名前もある種の言霊ですね。

そうなんです。名前って本当に大事で「陰陽師」という言葉も、いまは「陰陽師(おんみょうじ)」と読むのが一般的ですけど、歴史的には「陰陽師(おんようじ)」、「陰陽道(おんようどう)」という言い方もかなり正統性があるんです。古文書にはルビが振っていないので、実際にはどちらが本当なのかわからないんですけど、もしかしたら「陰陽師(おんようじ)」だったら、ここまで流行らなかったんじゃないかと私は思います。「陰陽師(おんみょうじ)」と「安倍晴明(あべのせいめい)」というキラキラ感の影響って実はすごく大きかったんじゃないかと。

——先ほど名が挙がった蘆屋道満や賀茂忠行などほかにも陰陽師はいたわけですけど、陰陽師として安倍晴明はやはり特別なんでしょうか?

そうですね、例えば賀茂保憲(忠行の息子)のほうが、貴族社会に及ぼす影響という点で、晴明よりも実力的には上であったとも言われるんですが、決定的な差異として安倍晴明が“神”として祀られたということがあると思います。神社にご祭神として祀られているわけです(=晴明神社)。

「陰陽道の神=晴明」となっていて、そうなると実力的、歴史的にどうだとか言っても無駄な話ですよね。

——改めて加門さんにとって、呪術の魅力とはどういう部分にあると感じていますか?

もはや、自分の仕事や生活と一体化しているので(笑)、どこが魅力と答えるのは難しいところですが…。呪術というのは科学の素(もと)でもあるわけです。現代において「科学」と「魔術」というのは別々の存在として分かれていますけど、もともとは魔術の中に科学があり、一般の人にとってはそこに区別はなくて、専門家がよくわからない術を施して効果を得るというものであったのが、それが反復によって立証されていくことで魔術が科学となっていったんです。それこそ数世紀前であれば、パソコンも魔術の領域にある存在ですよね。

逆に、個人の力量によって差異が高低するようなものは、魔術として残ったりしているんです。つまり、魔術や呪術というのは、まだわからない未知の部分——でも過去から連綿と受け継がれて、世界や人の心を動かしてきたものなんです。その未分化の存在ってすごく魅力的ですよね。

——最後に、加門さんと同じく呪術が好きでたまらないコアな人たちに向けて、本作の呪術の描写に関して「ぜひここを注目して見てほしい!」というポイントを教えてください。

では、せっかくですので、凝った呪術の描写に関してクイズ形式で探していただきましょう(笑)。

まずひとつは、「金龍封印」のシーンで晴明が指で符を書きますが、あの符はアレンジはしてありますが、実はとても格の高い、めったに表に出てくることのない符が元になっています。さて、それは何でしょうか?

もうひとつ、映画の中でほんの一瞬なんですが、晴明が片手で印を結ぶシーンがあります。一秒あるかないかというシーンなので、多くの方は気づかないと思うんですが、そこで使ったのは、陰陽道の印ではなく、実は昔の呪禁師(じゅごんし)が使う印なんですね。さてそこはどのシーンでしょうか?

この2つをぜひ探し当てていただければと思います!

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