両親が別言語で話す家庭の子どもが、必ずしもバイリンガルにならないのは<当たり前>だった…必要性のないものに努力できないのは「学校の勉強」と同じ

2024年4月30日(火)6時30分 婦人公論.jp


(写真:PhotoAC)

「子どもはラクラクとことばを覚えられてうらやましい」「幼い時から外国語に触れていたら、今頃はバイリンガルになれたのに…」。いずれも「ことばの学習」についてよく耳にする一言です。一方「赤ちゃん研究員」の力を借りて、人がことばを学ぶプロセスを明らかにしてきた東京大学の針生悦子先生は「赤ちゃんだってことばを覚えるのに苦労している」と断言します。その無垢な笑顔の裏で、実は必死にことばを学んでいた…あなたは信じられるでしょうか? 書籍『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』をもとにした本連載で、赤ちゃんのけなげな努力に迫ってまいりましょう。

* * * * * * *

子どもがバイリンガルにならない場合


両親がそれぞれ別の言語の母語話者で、子どもにはそれぞれの母語で話しかける場合、子どもがバイリンガルに育つこともあります。しかし、そうはならない場合も事実としてあるのです。

子どもが赤ちゃんのときであれば、環境はほぼ親がコントロールできるかもしれません。話しかける言語はもちろん、何を食べさせるか、どんな服を着せるか、部屋の温度はどのくらいに設定するか、なども含めてです。

しかし、家庭外の園や学校に行き始めれば、子どもにとっては、そこでの人間関係も大切になってきます。子どもの成長にともない、一日の起きている時間のなかで、そういった家庭外で過ごす時間は増えていきます。

たとえば父親が日本語の母語話者、母親が英語の母語話者で、日本に住んでいるという場合、地域の園や学校に行けば、そこでは誰もが日本語を使っています。そうなると園や学校に行く前には英語と日本語という2つの言語を聞き話していた子どもでも、生活のなかで日本語を使う時間がどんどん増えていくのです。

日本で暮らす国際結婚の家庭での会話


このように日本で暮らす国際結婚の家庭で調査を行っていた新田文輝さんは、そのような英語母語話者である母親と子どもとのあいだの次のような会話*1を記録しています。ちょうど新田さんが母親に英語でインタビューしていたところに、彼女の6歳の息子(ケン)が割り込んできて、始まった会話です。

子「アノ ベントウバコハ ヤメテヨ。ママ、アノ アノ ベントウバコハ ヤメテヨ」
母「ホワイ?」(どうして?)
子「ダッテ ミンナ ネ、ケンクン コレ スキナンダ トカイウカラ イヤダ」
母「(以下、英語で)じゃあ、もう一つのにしたら? あれ、前には大きすぎるって言ったじゃない。でも、好きなのを探してみたら? いいのが見つかったら持っていらっしゃい。それからね、ケン、お弁当箱ちゃんと包みから出して、流しまで持っていっておかなければダメよ」
子「イヤダ」

この子どものセリフのカタカナ表記は、この子がすべて日本語で話したことを表しています。

母親からは英語で話しかけられて育ってきたので、英語はわかっているようで、母親の言ったことに噛み合った受け答えをしています。しかし、日本語しか使っていません。

この調査では、調査対象になった家庭の子どもの3分の1が、家庭内で、母親が英語で話しかけても日本語で答えていました。そのような子どものなかにも、電話に出たりして必要になれば英語を話す子どもはいました。

ですから、英語で話しかける母親に日本語で答える子どものすべてが、英語が話せなかったわけでもなさそうです。

必要性がないものに努力する気は起きない


では、なぜ英語を話さずに日本語で話すのでしょうか。

先ほどまで友だちとはずっと日本語で話していたのであれば、ここで急に英語に切り替えるのが面倒だったり難しかったりするということもあるでしょう。

先ほどのケンくんも、日本語で友だちに言われたセリフを引用していましたが、実際このような場合、ぴったりの英語の表現を見つけるのは簡単ではありません。用件が伝わればよいという場合の翻訳とちがって、ニュアンスまでぴったりした表現を探すのは、それこそ翻訳家が専門的に取り組んでいるくらい難しい仕事です。

そのこととも関連しますが、日本語の園や学校に行って、今や日本語を使う時間の方が長く、日本語の語彙や表現の方が豊富になってきているとすれば、自分の言いたいことを表現するにはこちらの方がいい、これしかない、ということもあるかもしれません。

それに加えて、母親に日本語が通じることを知っていれば、子どもとしては「どうしてわざわざ(自分にとっては既に使いにくい)英語で話さなければいけないの?」ということにもなります。

この「どうして**しなくてはいけないの?」という問いかけは、そのまま、学校の勉強がイヤで「どうしてこれを勉強しなくちゃいけないの?」と不機嫌にしている子どもの姿と重なります。

子どもは子どもで見きわめて言語を選んでいる


学校の勉強に努力が必要なように、日常よく使う言語のほかにもう一つ母親の話す言語も維持していくのだとすれば、やはりそこにも努力が必要です。

“維持”と書きましたが、学校で日本語の語彙がどんどん増えることを考えれば、それに対応する英語の語彙も増やしていかなければ、2つの言語で同じ内容を語ることができるようにはなりません。

つまり、バイリンガルの子どもが、家だけで使う英語を、家の外で使う日本語と同じくらい“使える”状態に維持していくためには、モノリンガルの子どもの倍の努力が必要ということになります。必要性が感じられないなら努力する気にもなれないのは、ほかの学校の勉強と同じでしょう。

こうして、園や学校で長い時間使う言語は、語彙も表現も豊かに、口もよくまわるようになり、その言語こそが自分の気持ちをもっともうまく表現できる「私の言語」になっていきます。一方、家族とのあいだでしか使われない言語は、もとは母語だったとしても、語彙も増えず、口からなめらかに出てくることもなくなり、そうやっているうちに本当に話せなくなることもあります。

一人の親につき1つの言語というやり方は、子どもをバイリンガルに育てるには最良の方法とされてきました。ただ、そのような親の気持ちとは別に、子どもは子どもで、自分なりに、その言語の必要性が維持のコストに見合うものかどうかを見きわめ、言語を選んでいるのです。


子供は、その言語の必要性が維持のコストに見合うものかどうかを見きわめ言語を選んでいる(写真:フリー素材)

子ども時代に経験した言語の影響は残っているのか


バイリンガル環境で育てても、子どもは自分の必要性に照らして一方の言語だけを選んでいくのだとすれば、その選ばれなかった言語は、結局、子どものなかに何の痕跡も残さずに消えてしまうのでしょうか。あるいは、小さいときに新しい言語の環境に移り住んだことで、その新しい言語の方が「私の言語」になってしまい、もとの母語は使わなくなった、忘れた、という場合も、その“もと母語”の記憶はきれいさっぱり消えてしまったということなのでしょうか。

この問題をめぐる知見は割れています。

まず、国際養子縁組で韓国からフランスにやって来た子どもたちが、そのままフランス語だけの環境で成長したところで、子どもの頃の韓国語経験の影響が残っているかを調べた研究があります。この子どもたちは3〜8歳のときにフランスに渡りました。そして調査時の20〜30代のときには全員が韓国語のことを覚えておらず、彼らの話すフランス語にはまったく外国語なまりがありませんでした。

テストしてみると、韓国語では区別するけれどフランス語では区別しない音の聞き分けはできず*2、韓国語を聞いたときの脳の反応も、ほかの知らない外国語を聞いたときと変わりませんでした*3。つまり子ども時代に使っていたはずの言語は、今や彼らのなかにまったく残っていないようだったのです。

その一方で、子ども時代に経験した言語の痕跡が残っていることを見いだした研究*4もあります。この研究が調べたのは、6歳頃まではその言語を話したり聞いたりする機会があったけれど、学校にあがってからはあまり使わなくなり、高校や大学に入ってから授業でまたその言語について学ぶようになった、という人たちです。

たとえば、アメリカに住んでいて、学校はずっと英語だったけれども、子どもの頃は親戚との交流のなかで、週に何時間かはスペイン語を話していたとか、聞いていたといった人たちです。

そういった人たちを対象に、子どもの頃に経験し、現在また学び始めたその言語についてテストすると、文法的な文を話せるかといったところでは、大学に入ってからその言語を学び始めた人と変わりありませんでした。

しかし、文や音を聴き取ったり、発音したりというところでは、ネイティブ並みとまではいかないにせよ、大学に入って初めてその言語を学び始めた人よりはよくできるようなのでした。また、細かいことを言うなら、聴き取りや発音の成績は、やはり子ども時代に話していた人の方が、話さずに聞いていただけの人よりも、良かったのです。

「使わなくなったら何も残らない」わけでもない


このように「子ども時代に経験し、そのあとほとんど使わなくなった言語の痕跡は残っているのか」をめぐる知見は割れています。

ただ、痕跡は残っていないという結果をえた研究が調べていたのは、育ってくる過程で、その言語に触れる機会はまったくなく、現在もその言語に触れることはまったくないという人たちです。

それに対して、痕跡をとらえた研究で調べていたのは、育ってくる途中、自分では使わなくなったけれども、親戚との交流などでその言語に触れる機会は時々あったという人たち。そして何よりも、そういったブランクを経て、いま再びその言語の学習に取り組み始めた人たちなのです。

このようにして見ると、一定レベル以上の経験があれば、使わなくなったら何も残らないわけではなく、その課題に再び取り組もうとしたときに、その再学習を少しだけ助けてくれるようなかたちでは残っている*5ということーーたいていは、発音が少し良いということぐらいなのですがーーがわかります。

ーーー

*1 『国際結婚とこどもたち—異文化と共存する家族』(新田文輝著、藤本直訳、明石書店、1992)の70ページより。

*2 Ventureyra, V. A. G., Pallier, C., & Yoo, H.-Y. 2004 The loss of first language phonetic perception in adopted Koreans. Journal of Neurolinguistics, 17(1), 79–91.

*3 Pallier, C., Dehaene, S., Poline, J.-B., LeBihan, D., Argenti, A.-M., Dupoux, E., & Mehler, J.2003 Brain imaging of language plasticity in adopted adults: Can a second language replace the first? Cerebral Cortex, 13(2), 155-161.

*4 Au, T. K.-F., Oh, J. S., Knightly, L. M., Jun, S.-A., & Romo, L. F. 2008 Salvaging a childhood language. Journal of Memory and Language, 58(4), 998-1011.Oh, J. S., Jun, S.-A., Knightly, L. M., & Au, T. K.-F. 2003 Holding on to childhood language memory. Cognition, 86,(3) B53-B64.

*5 Bowers, J. S., Mattys, S. L., & Gage, S. H. 2009 Preserved implicit knowledge of a forgotten childhood language. Psychological Science, 20(9), 1064-1069.

※本稿は、『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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