LE VELVETS 佐賀龍彦さんがグループ脱退を発表。「40歳で脳梗塞を発症、目覚めたら右半身が動かず。ファンからの手紙でリハビリを頑張れた」

2024年5月1日(水)16時0分 婦人公論.jp


(撮影◎本社 中島正晶)

2021年に脳梗塞を患い、翌22年に復帰した「LE VELVETS」の佐賀龍彦さん(43)が、9月末でグループを脱退することが5月1日に発表された。10月以降のグループ活動も、3人での新体制を整えるため、年内休止するという。闘病中の佐賀さんが、病について語ったインタビューを再配信します。
********************
メンバー4人全員が身長180㎝以上で音楽大学声楽科出身。恵まれたルックスと確かな歌唱力を備える「LE VELVETS(ル ヴェルヴェッツ)」。メンバーの一人、テノールの佐賀龍彦さんが、2021年9月、40歳で思いがけず脳梗塞を発症。懸命のリハビリを続け、10ヵ月たったこの夏、活動を再開した。予期せぬ病に倒れながら復帰に至った佐賀さん。大病を経て気付いたこと、そして同じ病気で苦しむ方に伝えたいこととは———。
(構成◎吉田明美 撮影◎本社 中島正晶)

* * * * * * *

軽いカテーテル手術のつもりが…


数年前から時折、頭が割れるほど痛くなることに苦しんでいました。間隔が頻繁になってきて2019年に受診したところ、片頭痛という診断が出たのですが、それとは別に「脳動脈瘤がある」と言われました。開頭手術を勧められましたが、怖いし、傷が残ることにも抵抗があった。そしたら全国にはカテーテル手術をしてくれる病院があると知り、スケジュールの合間を縫って2021年9月に手術を受けることにしました。ところが、1週間ぐらいの入院ですむような簡単な手術だと聞いていたのに、僕の脳の血管が細かったとかで、術中に他の血管が傷ついてしまい、脳梗塞を発症してしまったのです。

手術から2日後に目覚めたとき、なんか様子が違うなと…。右半身はまったく動かない。その後、説明を受けても事態をよく飲み込めていませんでした。
僕は右利きなので、食事もできないし、文字も書けない。もちろん歩けない。寝たきり生活が続いていたのに、当分はぼーっとして自分の体が動かないことを認識できていなかったように感じます。

ーー頭に傷が残ることを避けたことで選んだカテーテル手術だったが、まさか、脳梗塞につながる危険があるとは考えていなかった佐賀さん。コロナ禍ということもあり、一人でなじみのない土地に行って軽い気持ちで受けた手術だっただけに、思わぬ事態に当初は戸惑いしかなかったという。

3週間ほど経ってようやく「このまま一生動けない? それは困る」と思い始めました。まだ40歳。このまま車いすで過ごすには先が長すぎます。ようやく、理学療法士、作業療法士と言語療法士の方々が用意してくれたプログラムに目がいき、スイッチが入りました。

しかし、このリハビリがつらい。脳が指令を出さない筋肉を動かすのは、泣きたいほど痛いんです。でも、まったく動かなかった右半身が少しだけ動くとそれだけでとてもうれしい。ちょっと動くようになっただけで大喜びしていましたね。


ーー元来、佐賀さんは、こうと決めたら猪突猛進、集中するタイプ。朝起きて、与えられたリハビリをこなし、合間には独自の筋トレや言語療法士による歌のプログラムも組み入れて夕方6時までリハビリづくしの毎日が始まった。コロナ禍の中で、母が久しぶりにお見舞いに来るというその時間さえ惜しいと感じたという。

自分だけのリハビリじゃないんだ


11月にはかなりよくなるだろう、12月にはディナーショーで復帰できるだろうという目標を立てていたのですが、一向によくならない。少しでも早くよくなって、迷惑をかけたLE VELVETSの一員として一日も早く復帰したいという一念だったのに、こんなはずじゃないと焦りが出てきました。事務所から「今の様子を写真か動画で送って!」と言われても、自分の姿を見せたくなくて拒否。メンバーを始め、周りが心配してくれているのはわかっていたけれど、誰にも連絡をとりませんでした。

ーー自分の姿を認められなかったつらい時間を、佐賀さんは少し言葉に詰まりながら思い出し、語ってくれた。体が思うように動かない苦しさを誰にも伝えられず、耐えるしかない日々は、佐賀さんをいやでも孤独に追い込んでいた。コロナ禍で面会が禁止されていた為、病院と連絡を取りながら一進一退のリハビリの様子を傍らで見守るしかなかった所属事務所の方々も、そのころが精神的に最もつらかったという。

そんな中、事務所に届いていたファンのみなさんからのメッセージや手紙が病室に届けられたんです。「がんばってください」「いつまでも待ってます」といった励ましの言葉に触れて、力をいただきました。たくさんのお守りをテレビの前に並べて眺めながら、「こんなにも自分のことを気にしてくれている人がいる、このリハビリは自分だけのためじゃないんだ」と思い知ったのです。


LE VELVETS(ル ヴェルヴェッツ)の華やかなステージ。左から日野真一郎さん、宮原浩暢さん、佐藤隆紀さん、佐賀さん(ステージ写真提供◎佐賀さん 以下同)

またスイッチを入れ直してリハビリに励み、ついに年末には退院。一人暮らしの僕に付き添いたいという母親と事務所を振り切って、一人で東京に戻りました。退院の荷物をもって新幹線に乗って帰るのは正直、しんどかった。でも、それもリハビリです。

リハビリのモチベーションは…


退院して2日後、初めてメンバーに会いました。脳梗塞を発症してから会えなかったメンバーですから、感動の対面のはずですが、実は3人がとても心配そうな表情をしていたんです。僕は普通に話しているつもりなのに、これまでよりもしゃべり方が遅かった、右足もまだ引きずっている、右手は自由に動かない、みんなびっくりしますよね。みんなの「大丈夫?」の問いかけに、自分はまだ大丈夫じゃないんだと改めて感じました。

でも嘆いていても仕方がない。東京に戻ってからは、作業療法士の方が組んでくれた自宅でのプログラムをこなし、週に一度の通院でそれを修正していくという日々が今でも続いています。痛くても、治りが遅くなるのはいやだから、なるべく痛み止めは使いたくない。毎日3キロから5キロは散歩をし、エアロバイク、筋トレ、ミラーボックスを使ったリハビリなども自主的に取り入れています。発症から10ヵ月が経ち、8割ぐらい戻ってきたという実感があります。

リハビリを続ける中でつくづく、LE VELVETSのメンバーでよかったと思いました。僕には「もう一度ステージに立つ、絶対にみなさんの前に出る」という目標があるから、リハビリもがんばれたんです。でも、明確な目標もなく、今日を生きる理由が見つからない人は、つらいリハビリなんてがんばれないですよね。療法士や看護師さんたちは、そういう患者さんを励まして、リハビリに対してやる気を出させることから始める。大変な仕事だとつくづく感じます…。


病気になって初めて、病院というところには、お医者さまだけでなく、理学療法士、作業療法士、言語療法士などなど、たくさんの専門員の方が存在することを知りました。看護師さんの日々の仕事も本当にハードです。たくさんの方々のお世話で、僕は少しずつ本来の自分を取り戻すことができてきた。今でもリハビリは継続中ですが、ほんの1年前にはまったく知らなかった世界です。

恵まれた身体能力と強すぎる正義感!


ーー右半身不随から10ヵ月で驚異的な回復を見せた佐賀さん。持って生まれた身体能力と自分を鼓舞する強靭な精神力が、その背景になっていることは間違いない。インタビューの最中も時折、「僕、ちゃんと話せてますか?」「変じゃないですか?」と確認しながら進める佐賀さん自身が、誰よりもその回復力に驚いているのかもしれない。

僕は京都で生まれて、高校まで関西で育ちました。子どものころから体を動かすことが大好き。小学校の時から、持久走も記録を出していたし、水泳大会では京都市で2位。作文を書けば最優秀賞、なにかイベントがあれば中心になって動く。やることなすこと何でもうまくいくと思い込んでいました。

自分でいうのもなんですが、正義感が強く曲がったことは大嫌い。中学生になると厳しい校則に反発して学校を欠席するという自分なりのストライキ行動に出ます。そして生徒会長に立候補。仲間たちの応援演説を得て見事当選しました。

高校に入学してからも、担任の先生がごく小さなミスをごまかしたことをどうしても見過ごせず、やはり学校を長期欠席するなど、自分の価値観から外れたことに対して、やや寛容になれないこともありました。

サッカー少年だった僕ですが、プロにはなれないと知るとサッカーへの情熱を失い、自分は何のために生きているのか、など哲学的な模索をするために、たった一人で自転車旅行に出たこともありましたね。母は、そんな僕を決して否定せずにいつも見守ってくれていました。そういえば休んでいるときも学校へ行けとも言わなかったですね。今にして思えば大物なのかもしれません。(笑)

音楽への道のスタート


自分が何に向いているのかよくわからずもやもやしていた高校2年のある日、母が劇団四季の『オペラ座の怪人』に僕と弟を連れていってくれました。母と弟はもともとミュージカルが大好きでしたが、僕は興味がなく、初めての観劇でした。

歌って体を動かして、観客を感動させるミュージカルに触れたあの日。まさに衝撃を受けました! これだ!とひらめいたんです。その帰り道、「僕はミュージカル俳優になる」とはっきりと母に宣言していました。(笑)

ーー高校2年の音楽の授業で、当時の音楽教師から声質を褒められ、歌がうまいと言われたことも思い出した、という佐賀さん。しかし、音符も読めない佐賀さんがいきなり「ミュージカル俳優になる」という夢に近づくには、まず基本を身に付ける必要があった。

とりあえず声楽とバレエを身に付けようと思いました。母の知り合いの学生さんから声楽を教わり、ちょっと恥ずかしかったけど、バレエも習い始めました。

実はこのバレエ、いきなり高校2年生の男子が一から始めるということで、片っ端から入門を断られたんです。そりゃそうですよね。17歳の素人の男子が、どうしてバレエを習いたがるのか、どう考えてもあやしい!(笑) 6つ目のバレエ教室でようやく入れてもらえて、ホッとしました。

音大から無名塾へ


ーー当時ついていた声楽の先生から、いきなり劇団四季を受けるのではなく、音楽大学でもっと基本を身に付けて、実力を磨いてから劇団四季にチャレンジしても遅くないのではないか、と言われた佐賀さん。納得の上、音楽大学の声楽科を受験し、見事合格。音楽大学での学生生活が始まる。

音大に入ってみると周りは、ベートーヴェンだのモーツァルトがどうのこうの、と子どもの頃からクラシックに触れた人たちばかりで、まるで話がかみ合わない(笑)。まったく面白くなくてすぐにやめようと思いました。でも、声楽の先生に「一つのこともできなくて、この先の人生、切り開いていけるの?」と諭され、退学は断念。結局4年間はミュージカルにも挑戦できたし、サッカー部、野球部、卓球部に所属して大活躍できたし、学生生活を謳歌して、無事に卒業も果たしました。

僕の目標は最初から「ミュージカル俳優」。大学で声楽をやり、バレエを習って踊れるようにもなったけれど、「芝居をする」というところが抜けていると感じていたころ、無名塾のミュージカル『森は生きている』のオーディションの記事を目にします。あの仲代達矢さんのミュージカルなら、と挑戦したものの関西弁が直せずあえなく落選。しかし、塾生オーディションに挑戦して26期生として入塾しました。

ーー多くの実力派俳優を排出した「無名塾」は言わずと知れた仲代達矢さんが主宰する俳優養成所。その入塾審査の厳しさは有名で「劇団の東大」とも言われる。佐賀さんは26期生だが、次の27期生は6年後に入塾している。

無名塾での日々は…う〜ん、一言でいえばきつかったです。朝5時には稽古場に行って掃除をして、ランニングと発声練習。9時に稽古が始まって、夜中までやらなきゃいけないことは目白押し。公演があればチェック項目は100以上。ミスが出れば怒鳴られる。常にギリギリの状態で追いまくられていましたね。4年たったら7人いた同期は2人になっていました。でもあの仲代達矢さんの身近で4年間を過ごすことができたのは財産です。

LE VELVETSとの出会い


無名塾4年目のとき、京都に帰ってたまたまご縁があって、歌の先生の前で、レッスンで歌う機会があったんです。久しぶりに歌ってみたら、これがめちゃくちゃ気持ちよかった! あれ?歌うのってこんなに楽しかったっけ?という感じでした。

歌と踊りと芝居を全部ひっくるめて、ミュージカルに挑戦していたのですが、その中で「歌」が一番好きだということに気がついたんです。その後、シャンソンを歌う方々の会にゲストで出させて頂いたりして、個人で歌の活動を始めました。


そのタイミングで、LE VELVETSのオーディションの話を聞きました。「クラシックをもっと一般の人たちに身近に感じてもらうための活動をする」というところが、僕に刺さった。クラシックが遠い世界のものだという感覚は、まさに僕が大学に入ったときに感じたことだったからです。

それから大学でクラシックを学んで、オペラにも接してクラシックの世界に触れて、その素晴らしさに気づくことができた。だから一般の人たちにクラシックを知ってもらう活動は、まさに僕が目指すものでした。

でも一方で、無名塾では継続して仕事をもらっていました。もし、LE VELVETSのメンバーとしてオーディションに受かったら、仕事に穴をあけることになります。だから、オーディションを受ける前に、仲代さんに自分の気持ちを話しました。そしたら、しばらく間をあけて「わかった」と…。そして「そうしろ」と言ってくださった。オーディションに受かってから、ではなく受ける前にお伝えしてけじめをつけたかった。無名塾をやめて、不退転の決意でLE VELVETSのオーディションに臨みました。

LE VELVETSの活動15周年を前に…


ーー身長180センチ以上、全員が音楽大学声楽科出身者というLE VELVETS。その一員としての活動は、2008年に始まった。

LE VELVETSとしての活動当初は、僕自身、背負っているものが大きくて、ガチガチに力が入っていたかもしれません。無名塾をやめてまで参加してるんだから、ここで一発当てないと立つ瀬がない!という気持ちに縛られていたんですね。方向性が違う、やり方が違うなどと、周りに食ってかかってしまったこともありました。自分の価値観を押し付けてしまったことも…。そんな僕に、メンバーは我慢強く付き合ってくれていたんだな、と病気をしたからこそ、ようやく気づいてきました。僕たちってリーダーを決めていないんです。だからちゃんと話し合って、みんなが納得して次に進むほうが結局は早いってことに気がついたんですよね。

来年は活動15周年を迎えます。いろいろあったはずですが、これまでのことよりも、これからのことだけを考えたい。


LE VELVETSって本当にすごいグループなんですよ。自画自賛ですが(笑)、メンバー個々の実力もすごいのに、まとまった時のハーモニーもすごい。クラシックからソーラン節まで歌いこなせるグループですから。あ、MCには難点があるなあ。そこだけは弱い(笑)。でも、休んで外から冷静に見てみて、自分たちはそんなにМCをがんばらなくてもいいんじゃないかという気にもなってきました。

完全な僕の主観でメンバー紹介をすると、バリトンの宮原さん(宮原浩暢)は、ひたすらダンディで存在感ありすぎ。あまり多くを語らないのに、ちょっとしゃべっただけで重みがあるように伝わるんです(笑)。日野さん(日野真一郎)は自己プロデュース力が高くて、自分をどう見せたいかよくわかっていて、細かいところにもよく気がつく女子力が高い男です。佐藤さん(佐藤隆紀)は、発声のメカニズムをマニアックに知り尽くしていて、いま、どういう状態で声が出ているかを的確にアドバイスしてくれる。彼の言う通りにすると、それまで出なかった高音が出たりするんです。

こんなすごいメンバーが僕を待っていてくれているって、本当にありがたいですね。先日、ナレーションの仕事で復帰を果たしました。次は10月から始まるコンサートツアーです。ちゃんと間に合うように、もっともっとリハビリをがんばりたい。

そして、僕の存在や歌声が、僕と同じ病気をした人に届いて、右半身が動かなくてもリハビリをすれば歌えるようになるということをわかっていただきたいです。

こんな病気をしたということを気づかせないようなステージをお見せしますから、みなさん、期待していてくださいね!

婦人公論.jp

「脱退」をもっと詳しく

「脱退」のニュース

「脱退」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ