『紅の豚』はなぜ主人公が「豚」なのか。宮崎駿自身が「こうかもしれない」と解釈するラストの意味

2025年5月9日(金)20時55分 All About

『紅の豚』を7つの項目に分けて解説しましょう。ラストや、ポルコが豚になった理由にはたくさんの「想像の余地」がありますし、宮崎駿監督の「願い」が込められていることも、重要だと思うのです。(画像出典:(C) 1992 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NN)

5月9日に『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で『紅の豚』が放送されます。本作で多くの人が気になっているのは、「なぜ主人公が豚なのか」「ラストにどうなったのか」ということでしょう。ここでは本編のネタバレありで、宮崎駿監督の言葉も交えつつ、7つのポイント解説しましょう。
※以下より『紅の豚』の結末を含む本編のネタバレに触れています。

1:宮崎監督自身が想像する「こうかもしれない」ラスト

宮崎監督は、『紅の豚』を見た人から寄せられたアンケートの中に、「(結末の)あの後、ポルコは人間に戻ったのか? それとも一生豚のままなのか?」という問いがあったことを知らされると、「人間に戻るということがそれほど大事なことなんでしょうか(笑)。それが正しいと?」と返答したことがあるそうです。
その返答の文面からは、どこか苦笑しているような、あるいは少しうんざりしたニュアンスも感じられます。とはいえ、宮崎監督自身にも「こうなのかもしれない」と想像している結末があるようです。ここでは、その発言を引用しておきましょう。
「「人間の顔に、本当の真顔になってしまうことも、豚にとってはあるかもしれない。だからといって、すぐジーナのところへ行って『どうも』って……行かないですね。そういう日もあったかもしれないけれど、ジーナが出てきたら、また豚になって飛んでっちゃいますよ。僕はそのほうが、自分を許さないというほうが好きです」
『ジブリの教科書 紅の豚』(文藝春秋)P64より
※もう少し宮崎監督自身が語る説は続きますが、本を読んでほしいので秘密にしておきます」
また、ラストシーンでホテル・アドリアーノに赤い飛行艇が停泊していることから、「ジーナは“ポルコが庭に来る”という賭けに勝った」という見方もあります。しかし、それも確定的な描写とは言い切れないでしょう。
例えば、「ポルコは様子を見ようと庭の前には来たけれど、お店が繁盛していたり、ジーナが誰かから求婚されているのを見て、ジーナに気づかれないまま、また自由気ままにどこかに去った」という解釈も考えられるのですから。また、劇中のモノローグはフィオによる「ジーナさんの賭けがどうなったかは私たちだけの秘密」で終わっています。それはつまり「観客それぞれがどうなったのかを想像してほしい」という「余地」を残したラストとも言えるのです。
ポルコやフィオやジーナの「その後」を考えてみるのは楽しいことですが、それをたった「1つ」に限定してしまうのは野暮なことなのかもしれません。
※以下、『ハウルの動く城』と『美女の野獣』の結末も含むネタバレに触れています。

2:「豚のままで生きるほうがいいんじゃないか」と思った理由

それでいて、宮崎監督は「ラストで豚に戻らないほうがいいんじゃないか」と言い切っています。引用すると、以下のようなものです。
「「僕は豚のままで生きるほうがいいんじゃないかと思います。ときどきつい本音がでて真顔になったりするけれど、でも豚のまま最後まで生きていくほうが、本当にこの男らしいと思う。いわゆる皆さんが期待している、なにか獲得して収まるハッピーエンドは、この映画には用意されていないんです」
『ジブリの教科書 紅の豚』P63」
「「かつて『もののけ姫』という、お姫様と、醜いもののけの物語を考えていたときに、もののけが最後に人間になる絵を描いてみたら全然しっくりしなくて、やはりもののけのままで終わるように描き直したら、実にすっきりしました。これでいいんだと。もののけが人間にならなかったら愛せないとしたら、このお姫様は駄目なんだ。(編注・のちに映画となる『もののけ姫』の原案は、1980年頃から何度も宮崎が検討・企画し変化した物語)」
『ジブリの教科書 紅の豚』P63-64より」
「「僕は豚が人間に戻るなんていう映画を作りたいとは、全然思っていない。それを作ってみせたら、ものすごくいやらしい映画であることに気づくはずです。僕にとって"美女と野獣”というテーマはずっとやりたかったものですが、もしやったとしても最後は野獣のままです」
『ジブリの教科書 紅の豚』P65より」
思えば、宮崎監督作では『ハウルの動く城』でも、主人公のソフィーにかけられた魔法が明確に解かれたという結末にはなっていません。同作についても、宮崎監督は「呪いが解け、おばあちゃんが若い娘に戻って幸せになりました、という映画だけは作ってはいけないと思った。だったら、年寄りは皆、不幸ということになる」とも、宮崎監督ははっきりと語っているのです( 『ジブリの教科書 ハウルの動く城』P139より)。「呪いともいえる魔法が解けてハッピーエンド」という展開は、確かに『美女と野獣』にも通じるものであり、多くの観客がカタルシスを感じ、望んでいる結末でしょう。しかし、宮崎監督自身の価値観、あるいは描きたい物語・キャラクターは「そうじゃない」のです。

3:登場するのは「自分をしっかりと確立した人間」だけ

では、宮崎監督が描きたかった物語およびキャラクターが何かといえば、その1つが「こうして生きることを選んだ人たち」なのだと思います。例えば、下記の言葉が根拠です。
「『紅の豚』に出てくるのは自分を全部確立した人間だけなんです。フィオも揺るぎなく自分です。劇中の出来事を通じて大人になったとか、そういうんじゃないんです。自分がやることも、意志もはっきりしていて『私は私』なんです。フィオがポルコについて行くのは商売のためであり、自分が作った物に対する責任があるからです。ポルコが好きだからじゃないですよ。もっとも、嫌いだったら行かないでしょうけれどね(笑)。
『ジブリの教科書 紅の豚』P60」
なるほど、17歳にして飛行機設計技師であり、物怖じしない性格のフィオは、まさに自分をしっかり確立しています。ジーナもまた、3回も結婚した飛行艇乗りと死別したことに「もう涙も枯れちゃったわ」と言いつつ、ホテルの女主人として、また歌手として多くの人に愛される存在です。
ほかにも、豪快でどこか憎めない空賊・マンマユート団の面々や、惚れっぽい性格でポルコと激しいバトルを繰り広げたカーチスも、みんな「迷い」を見せることはありません。登場人物たちは全員「まっすぐ」な言動をしているのです。『紅の豚』が「気持ちがいい」作品に仕上がっているのは、そのためでしょう。ブレない、悩まない、「自分はこうだ」と信じて生きている愛すべきキャラクターがたくましく、(後述するように激動の時代を迎えるとしても)彼らが元気でいることを願いたくなる……それこそが素晴らしい作品なのだと思うのです。

4:ポルコが豚になったのは「自由」「罰」のためかもしれない?

ポルコがなぜ豚になったのかは、劇中では明確にされていません。しかし、彼は自ら豚になることを選んだのではないか、つまりは自分自身に“魔法”をかけたのではないかと想像もできるところもあります。その大きな理由として考えられるのは、「戦争や国家のために働きたくなかった」ということ。ポルコはあるシーンで「ファシストになるより豚の方がマシさ」「俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえよ」と口にしています。豚は「家畜」という言葉があるように、従属する存在とも言えるからこそ、それに抗い自由になるため、逆説的に豚になったのかもしれません。あるいは、戦争で親友を亡くしたという「負い目」も、豚になった理由なのかもしれません。ポルコは「死んだはずの親友が向かった『ずっと高いところにある一筋の不思議な雲』に行く」ことができませんでしたし、「(戦争で)死んだやつはいいやつさ」という言葉からは「自分はいいやつじゃない」という自虐的な気持ちも垣間見えます。豚は「侮蔑」の対象でもあり、その姿になることが自身への「罰」だとも考えられるでしょう。
さらには、ポルコは豚の姿になることで、3人の飛行艇乗りの夫を亡くしたジーナとは恋仲にはならない、もう悲しませたりはしないのだと、自らを「戒めていた」とも解釈できます。前述したラストで、宮崎監督が「(ポルコが)自分を許さないというほうが好きです」と言った意味(理由)も、そこにあるのかもしれません。

5:エンドロール中のイラストがみんな「豚」である理由

ポルコが豚になった理由はいずれも推測の域を出ず、前述した結末と同様に「見る人それぞれが想像すること」ではあるでしょう。
しかし、大きなヒントもあります。それは、映画が終わった後のエンドロール中での、飛行機が発明された後のイラストです。「なぜみんな豚として描かれているのか」という質問に対して、宮崎監督はこう答えています。
「「空を飛ぶことが何をもたらしたと思いますか。飛ばなければ良かったとも言えるんです。どんなものでもキラキラしているんですよ。黎明期というのは。だけどそれが現実に資本や国家の論理の中に組み込まれたり、地上のいろんな利害関係の中に組み込まれて、いつの間にか汚れてくるんです」
『ジブリの教科書 紅の豚』P65」
「「今でもそうだと思いますけれど、飛んでいるときに人間たちが感じている感動は、嘘だと思わない。だけどそれで全部いいんだとも思わない。同時に、それは大したことじゃないんだという自覚を持ってくれなければ、かなわない。飛ぶことだけで全部完結していたら、絶対そういう人間は豚にならないです。自分はヒーローだと思い続けていますから、単なる乗務員で終わりですね。別に歴史をヒットラーのように自分で引きずり回した訳ではなくても、(任務で飛ぶということは)そこに何らかの形で加担しているんだから、ある種の苦々しさやそういうものから免れることはできない」
『ジブリの教科書 紅の豚』P66」
「空を飛ぶことが何をもたらしたと思いますか」という問いかけに対する答えの1つは、「飛行機が戦争で人を殺す兵器になる」ことでしょう。飛行機を作る時は「純粋」でいられても、それがひどい結果を生むという「矛盾」は、零戦の設計者の姿を追った『風立ちぬ』でも描かれていたことでした。そして、「飛ぶことだけで全部完結していたら、絶対そういう人間は豚にならないです」といった宮崎監督の言葉からは、飛行機に限らず、どんな物事でも——たとえ最初は楽しくても——やがて「しがらみ」「後めたさ」「苦々しさ」のようなものが生まれてしまう、という現実がにじみ出ています。それは残酷でありながらも、この世界の本質を突いた真実なのではないでしょうか。
豚は、そうした矛盾、あるいは滑稽さ、あるいは悲哀の象徴であり、それらをひっくるめて「生きている」ことを示しているのかもしれません。

6:宮崎監督自身の「中年になった今の自分に向けての手紙」

宮崎監督は『紅の豚』を「中年になった今の自分に向けての手紙」とも考えていたようです。
「「自分が今まで作ってきた『ナウシカ』や『ラピュタ』や『トトロ』などは、自分への手紙なんです。自分のさえなかった子ども時代や、さえなかった高校時代や、さえなかった幼年時代に対する、ああいうふうにしたかったけれどもできなかった自分自身の全世代に向かっての手紙。(中略)全世代へ手紙を書き終わったときに、これからどうやっていくんだと迷っている中年時代の自分にいくしかないんじゃないのと、『紅の豚』で現在形の手紙を書いてしまった」
『ジブリの教科書 紅の豚』P70」
宮崎監督は「ああいうふうにしたかったけれどもできなかった自分自身」の姿を、劇中のポルコ、そのほかの「自分をしっかりと確立したキャラクター」たちに投影していたとも言えるでしょう。思えば、宮崎監督はいつも作品の中で「こうだったらいい」という「理想」を描いているとも解釈できますが、同時に前述したような「後めたさ」や「矛盾」からも逃げてはいません。だからこそ、宮崎監督の作品は、監督自身だけでなく、多くの人に届く「手紙」になっているのでしょう。

7:「それでもみんなに元気に生きてほしい」という願い

劇中では「近頃は札束が紙クズ並の値打ちしかない」という言葉があったり、立ち寄った街でガソリンが3倍の値段になっていたりと、「世界恐慌の波が押し寄せ、人々の暮らしが厳しくなっている」と思わせるような描写も見られます。
舞台である1920年代以降のヨーロッパは現実でも大変な時代ですし、やがて戦争も起こります。このように、その後のポルコやフィオやジーナが「ずっと元気」ではいられないのではないか、と少し不安になる要素もあるのです。それでも、フィオの最後のモノローグは「あれから何度も大きな戦争や動乱があったけれどその(ジーナとの)友情は今も続いている」といった内容で、「ああ、やっぱりみんな元気だったんだな」とも思えるものになっています。
そして、「豚はヨーロッパの現代史を背負っている」という前置きをしてから、宮崎監督はこう考えています。
「「僕の知っている範囲のヨーロッパ史の知識からいっても、その後大変な激動の時代が続くんです。大バカな第二次世界大戦があって、そこでフィオはどうしたんだろう。イタリアの飛行機の町工場が、どういうふうにイタリアの戦争に巻き込まれていったのか。ああいうふうに生きているジーナみたいな女が、ホテル・アドリアーノを抱えたままユーゴスラビアと戦争になったときに、彼女はどこに生きたんだろう。そういうことが気になるんです」
 
『ジブリの教科書 紅の豚』P61」
この言葉に続いて、宮崎監督は、「この映画は、それでもみんなに元気に生きてほしいと思いながら作った」「俺は俺、俺の魂の責任は俺が持つんだ。豚はそういう男なんです。それが、これから生きていく上で必要だなと、自分も切実に思ったから」とも語っています。戦争の時代があり、その最中で「(後めたさや苦々しさがあったとしても)自己を確立した人たち」に、やっぱり「元気でいてほしい」と願いたくなる……。『紅の豚』で描かれたのは、そんなある種の都合のいい理想論なのかもしれません。しかし、それは同時に「願い」とも言えるのではないでしょうか。そして、ポルコやフィオやジーナのように、自分も生きてみたいと思える……そんな映画が、生まれて良かったと思います。
※宮崎駿監督の「崎」は「たつさき」が正式表記
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)

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