コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさんが『徹子の部屋』に出演。互いの素性を語る「〈三姉妹〉でくくられることに抵抗感がある」

2024年5月13日(月)11時30分 婦人公論.jp


コシノヒロコさん(中)、コシノジュンコさん(左)、コシノミチコさん(右)(撮影:下村一喜)

2024年5月13日の『徹子の部屋』にコシノヒロコさん、ジュンコさん、ミチコさん姉妹が3人そろって出演。「自宅」「趣味」「新しい家族」などを語ります。それに合わせ、コシノヒロコさん、ジュンコさん、ミチコさん、が母の思い出や3人の思いを語った『婦人公論』2023年10月号のインタビュー記事を再配信します。
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三者三様のファッションに身を包んだ、コシノヒロコさん、ジュンコさん、ミチコさん姉妹。今も毎年新作を発表し、世界的デザイナーとして活躍し続けています。そのパワーの源は何でしょうか(構成=村瀬素子 撮影=下村一喜)

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デザイナーになるとは思わなかった


ヒロコ 3人での撮影は久しぶりね。きれいに撮ってもらって嬉しいわ。

ミチコ なんや、自分じゃないみたい。ヒロコミッちゃんと会うのは、お母ちゃんの慰霊祭以来よね?

ミチコ そうやね。母の命日と岸和田だんじり祭の2回、毎年必ず帰国するから。

ジュンコ ミッちゃんがロンドンに渡ったのは、1973年?

ミチコ 30歳の時だから、もう50年経つんかー。

ヒロコ 私はデザイナーになって60年以上よ。

ミチコ ファッションの世界は、春、夏、秋、冬と新作を発表して、それが毎年続いていく。だから、歩みを止めたら終わりやん。大変やけど、目の前のことに精いっぱい取り組んで、楽しんでいたら、気づけば何十年も経っていたってことやと思う。

ジュンコ 私は、年数を意識しない。若い人と仕事しているし、自分の年齢も一切考えないわ。

ミチコ 私も同じ。イギリスでは、年齢を聞かれることがないしね。私のブランドもコンセプトは変わらへんし、年をとったからといって感覚が変わるということも絶対にない。

ジュンコ そうね。年齢を意識したら、そこで止まってしまう。

ヒロコ 年齢は単なる数字だからね。でも、3人とも今も現役で、止まらずにここまでよくやってきたと思う。一つのことを長く続けるって、普通はなかなかできないものよ。自分を褒めてあげたい気分。

ジュンコ 私たちは洋装店を営むお母ちゃんの背中を見て育っているから、女性もずっと働くのが当然だと思っていたでしょ。

ヒロコ いわゆる〈良妻賢母〉になれという教育を受けてこなかったわね。

ジュンコ 「何になりなさい」とは一切言われなかったから、どんな仕事に就いてもよかったんだけどね。

ヒロコ 盆暮れなく働く母の姿を見ていたから、ファッションの仕事に特に憧れてなかったのに……。

ミチコ 私も、デザイナーになるとは思わんかった。(笑)

ジュンコ そういえば私たち、お母ちゃんをモデルにしたNHKの連続テレビ小説『カーネーション』が放映されて以降、〈三姉妹〉でくくられることが増えたでしょ。それにはちょっと、抵抗感がある。ずっと三者三様でやってきたから。

ヒロコ 自分は自分、だものね。

ジュンコ そう。デザインの方向性も生活スタイルも性格も違う。お互いに連絡もほとんどしないから、生きてる?っていうくらいの距離感よね。

ミチコ LINEでたまにやりとりするくらいやな。

ヒロコ 実際、3人とも生活の拠点はバラバラ。私は、自宅がある芦屋と仕事場の東京を週に数回飛行機に乗って、行ったり来たりする生活を40年続けている。それで耳が悪くなってしまったけれど、どんなに忙しくても、自然が息づく芦屋に身を置くことで元気になれるから、私にとっては大切な習慣なの。

ジュンコ 私、そんなんできないわ。仕事でパリに滞在した以外は、ずっと東京。それに、仕事場と住まいが近く、私と夫、息子夫婦、孫3人の7人暮らし。夫と息子とは一緒に仕事をして、家族7人で教会に毎週通っているの。

ヒロコ 意外よね。ある意味、ジュンコが一番家庭的かも。

ミチコ 私はロンドンでひとり暮らしやし。

ジュンコ ミチコ、何でも全部ひとりでやってんの、偉いわ。


「ジュンコとは2歳違いだから互いに対抗心があったけど、ミチコは私の6歳下でしょ。もう可愛くて仕方なかった」(ヒロコさん)

競争心がモチベーションに


ヒロコ 小さい頃、お母ちゃんが仕事で忙しかったから、私は祖父母に預けられていたでしょ。祖父は初孫の私を溺愛して、歌舞伎や文楽に連れて行ってくれて。創作の源泉は、この頃に培われたのだと思う。

ジュンコ 私はすごくヤンチャで、母も手を焼いていたほど。

ヒロコ そうよ。祖父が亡くなって7歳で家に戻ったら、激しい妹がいるもんだから、ひ弱な私も強くなったわよ。(笑)

ミチコ 私は激しくないけど、(ジュンコさんを指さして)この人は激しいな。

ジュンコ ようケンカしたね。お姉ちゃんは口が達者やから、私はバシッとお腹を蹴って、取っ組み合いになる。(笑)

ヒロコ ジュンコとは2歳違いだから互いに対抗心があったけど、ミチコは私の6歳下でしょ。もう可愛くて仕方なかった。みんなに自慢したくて、赤ちゃんのミチコを小学校に連れて行って、机に座らせてね。

ミチコ よう、やるよな。

ジュンコ それ、本当なの?びっくりするわ。でもお母ちゃん、私たちのやることを止めたことないもんな。

ヒロコ 一度だけ、絵描きを目指していた高校時代に「貧乏画家にはならんといて!」って美大行きを反対されたことはあったけど。

ジュンコ でも、そのおかげでデザイナーの道が開けたじゃない。

ヒロコ そうね。イラストで洋服のデザインを紹介する「スタイル画」に出合って、絵の技術をファッションに生かせるとわかったから、文化服装学院に路線変更したの。絵を描くのはやめたくなかったから。

ジュンコ 私はお姉ちゃんと比べられるのが嫌で、別のことをしようと思っていたのに、お姉ちゃんのスタイル画の先生が私の絵を見て、「上手ですね。なぜ、お母さんと同じ仕事を目指さないの?」って。その言葉に導かれて、結局、文化服装学院に入学。やっぱり、道って敷かれているのね。反発していても、スーッと進んでしまう。

ヒロコ 私の後をついてきたんでしょ。(笑)

ジュンコ でも私は、新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を最年少の19歳で取った。かわいそうだけど、お姉ちゃんは取れなかったのよね。「あんな腹立つことはないわ」って言ってた。

ヒロコ 妹に先を越されて、人生で一番悔しかった出来事だけど、私の時は装苑賞が始まったばかりで要領が掴めなかったのよ。でも、身近に最大のライバルがいたおかげで、競争心がモチベーションになって成長できた。それが今も、私たちを奮い立たせている部分はあると思う。

ジュンコ それは確かにそうね。

<後編につづく>

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