バスタブで一糸まとわぬ姿、“パンツ脱ぐよりイヤだった”ことにも挑み…「年齢は関係ない」中川翔子の“レベルアップし続ける人生”
2025年5月14日(水)12時5分 文春オンライン
〈 歌手として熱烈な支持を集めた父は32歳で他界…中川翔子がかつて両親に抱いていた“複雑な感情” 〉から続く
自身の誕生日である5月5日に、第1子の妊娠と新事務所の設立を発表した、“しょこたん”こと中川翔子。ブログが大きなきっかけとなりブレイクを果たすと、歌手活動、ミュージカル出演、YouTubeや写真集では大胆な姿も披露するなど、あらゆる挑戦を続けている。「レベル40」になった彼女が次に叶えたい“夢”とは?(全2回の2回目/ はじめから読む )

◆◆◆
「しょこたん語」人気に「綺麗ア・ラ・モード」のヒット
中川翔子はブログでブレイクを果たしてからというもの、投稿でよく使っていた「ギザかわゆす」などといった独特の言葉遣いが「しょこたん語」として人気を集めるほか、活動の場も着実に広げていった。
2006年には歌手デビューし、翌年、“アキバ系3組”としてブレイク前夜のAKB48とグラビアアイドルのリア・ディゾンとともに紅白歌合戦に初出場も果たしている。2008年には、筒美京平作曲・松本隆作詞によるシングル「綺麗ア・ラ・モード」でヒットを飛ばした。
数々の名曲を生んだ筒美・松本コンビの久々の作品とあって、松本の公式サイト掲載の対談では《本当に信じられない気持ちでいっぱいで。もう、もう、もう、お二人の歴史を汚さないようにとにかく頑張らなきゃと思うんです》と緊張気味に伝えている(『松本隆対談集 風町茶房 2005-2015』立東舎、2017年)。中川にとって松本隆は、崇拝する松田聖子の黄金時代を支えた作詞家でもあるだけに、よけいに畏敬の念が強かった。
ラジオのマニアックなトークで仕事を広げ
2007年からは、評論家の山田五郎のラジオ番組『東京REMIX族』(2013年に局を移り、現在も『山田五郎と中川翔子の「リミックスZ」』として継続中)にレギュラー出演を始め、博識な山田を相手にマニアックなトークを繰り広げている。同番組で深海生物について語ったところ、それがJAMSTEC(海洋研究開発機構)の知るところとなり、別のテレビ番組の企画で、潜水調査船「しんかい6500」で5351メートルの深海まで潜らせてもらうということもあった。
2013年には、ビールのCMで、かつてその事務所に所属したジャッキー・チェンと初めて共演を果たした。それというのも、このCMの制作にあたり、ビール会社が一般の人たちから叶えたい夢を募集したところ、「ジャッキーとカンフーをやりたい」という人が選ばれ、その人が企画書に一言「しょこたんも一緒に」と書いてくれたからだった。
このように20代は順調そのものかに見えたが、30歳を目前にして、ネットへの投稿に対する誤解から炎上が続いた上に、コンサート中にお尻を骨折し、「もう辞めろっていうサインなんだろうな」と捉えてしまい、再びどん底に落ち込んだ。
崇拝する松田聖子からのサプライズ
そんな時期、かつて仕事を辞めようと思っていたときにたまたま楳図かずおと出会ったように、またしても救いの神が現れる。NHK-FMで松田聖子を特集した特番に出演した際、サプライズで聖子本人が登場し、絶句して号泣する中川に、ディオールの香水を贈るとともに「あなたはたくさんの才能があるから楽しみにしているんですよ」との言葉をかけてくれたのだ。
直後には松本隆の作詞活動50周年を祝う日本武道館でのコンサートにも出演を依頼され、心がギリギリの状態のなか「綺麗ア・ラ・モード」を歌った。中川はのちにこのときのことを、《満身創痍で歌い終わったあと、松本先生が耳打ちで『すっごいよかったよ』と褒めてくださって。心が途切れそうになったりすると、何度でも神様が手を差し伸べてくれるんです。ターニングポイントとなる出来事は、痛みを伴うことが多い。でもその都度、私を見ていてくれる人はいるんだなと気づくことができる》と顧みている(『中川翔子写真集 ミラクルミライ』講談社、2022年)。
ミュージカル、一人暮らし…30代でさらに新たな挑戦
30歳になる直前には、事務所で「中川翔子の方向性について」と題して会議が行われ、今後は何か1本に絞ったほうがいいんじゃないかとの意見も出たという。しかし、「貪欲」を座右の銘に掲げてきた(ファンクラブも「貪欲会」と名づけた)中川には、1本に絞ることなど土台無理な話で、30代に入るとさらに新たなことに挑戦していく。
2016年には韓国で大ヒットしたミュージカル『ブラック メリーポピンズ』の日本版の再演で、ほかのキャスト4人が全員前回から引き続いての出演というなか、中川だけが新たに起用された。そんな事情もあり、公演直前には、《年上の女性から、“30代は楽しいよ”ってよく言われてたんですけど、実際に30歳になってみて、“こういうことだったのか”って思いました。20代までは、“若さ”が求められてきたけれど、アラサーになってからは、“スキル”が求められる。仕事がどんどん濃密になって、すごく刺激的です》と語っている(『週刊朝日』2016年4月22日号)。
このミュージカルに続き、その数年前から声優を務めてきたゲーム『ドラゴンクエスト』の舞台版にも出演した。舞台の仕事に合わせて体を鍛えるようになり、そのために環境を変えようと、生まれて初めて親元を離れて一人暮らしも始めている。
2019年には、劇場版アニメ『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』の主題歌「風といっしょに」を歌手の小林幸子と歌った。リリースイベントで各地を回ると、集まった子供たちから「しょこたん! しょこたん!」と熱烈なコールを受けたという。
こうした経験から、今後の抱負として《現実的な目標としては、子どもたちの想い出になることをたくさんやっていきたいと思っています。(中略)子どもたちの想い出に、何か彩りを添えられたら嬉しいという気持ちが強いです》と語るようになる(『人事院月報』2019年12月号)。そもそもこのとき主題歌をうたった『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』も、中川が子供のときに初めて劇場で観て泣いた想い出のある作品『ミュウツーの逆襲』のリメイクだった。
水着姿を披露し、YouTubeで1000万回以上再生
翌年の2020年にはコロナ禍で予定していた仕事がことごとく中止となり、またしても心が潰されかけた。だが、そもそも自分はオタクでインドア派だったと思い出すと、家のなかでこそやることはいっぱいあると気づく。それなら、これまでできなかったことに挑戦しようと思い立ち、YouTubeチャンネルを開設した。手始めにゲーム実況を生配信したところ、夜中にもかかわらず2万人以上が見てくれた。
YouTubeの開設後、映像で自分の姿を見て「やせなきゃヤバイじゃん」と反省し、ダイエットを始めた。これが功を奏し、2021年8月に久々に水着姿となった動画を公開したところ、年末までに再生回数が1116万と、その年の女性タレントのチャンネルにおける最高記録を出す。このことは翌年、デビューから20周年を記念して久々に写真集を出すことへとつながった。
バスタブで一糸まとわぬ姿を見せた写真集が大ヒット
写真集『ミラクルミライ』では、お湯に花を浮かべたバスタブで一糸まとわぬ姿になるなど、若い頃なら絶対にやらなかったことにも挑戦する。それ以前に覚悟を決めたのが、自分にとっては武装であり「パンツを脱ぐよりイヤ」とまで言っていたカラーコンタクトを取って、すっぴんで撮るということだった。そんな彼女の心意気に打たれ、撮影中、スタッフの一人が思いがけず涙をこぼすということもあったとか。
写真集を出すと発表するや注文があいつぎ、ネット書店でも1位となった。これに中川は自分もまだまだ大丈夫だと希望を抱いたという。その上で、写真集に収録されたインタビューでは、何歳になっても挑戦はできると、次のように読者にメッセージを贈っている。
〈《どうしても世の中、もう○歳なんだからという風潮が暗黙でもあるし、それを実際に思ったり、わざわざ口にしたり、SNSに書いたりする人も多い。男性は30代や40代になると“ここから”っていうモードなのに、女性はピークを過ぎたような扱いをされてしまう。遅いなんてことは決してないのに、と歯痒くて……。いくつになっても新しいことはしていいし、年齢は関係ない。(中略)『いくつになっても』とスイッチを入れられる自分でいるためには、もちろん努力は必要。まだまだ新しい発見がこの先にいっぱい待っていると思っていたいし、それは素敵なことだから》(前掲『ミラクルミライ』)〉
人生はロールプレイングゲーム「全部自分の経験値になる」
かねてより中川は人生をロールプレイングゲーム(RPG)にたとえ、《些細な楽しいことも悲しいことも、全部自分の経験値になると思うと、楽しくてしょうがない》などと語ってきた(『anan』2011年2月16日号)。たしかにどん底に落ち込むたび、そのあとには必ず新たなステージへと上がってきた彼女の半生を見れば、年齢を重ねることがそのままレベルアップにつながっていることはあきらかだ。
マニアには結構ありがちなことだが、中川はこれまでメジャーなものにはあまり関心が向かなかった。それも最近になって、興味がなかったり、やってこなかったものほど、これから知ることができる余地があると思い直すようになったらしい。昨年にはこんなことを語っている。
〈《最近では、世の中で「絶対に面白い」と言われているものの、自分がこれまで通ってこなかったものに興味があります。いまさらながら『名探偵コナン』の映画を見始めたり、初代ガンダムを見てみたり。おかげで40〜50代のおじさまと会話するのが楽しくなりました。/ただ未体験なものに挑戦するのって、時間と気持ちに余裕がないと難しいですね。最近では好きなゲームをするのにも気合が必要な年齢になってきました》(『週刊現代』2024年9月14・21日号)〉
「私が好きになるもの、全部父が好きだったものなんです」
そんな中川が20代から公言しながら、ずっと叶えられずにきた夢の一つに「子孫を残す」がある。それは両親への思いから来るものであった。
父でミュージシャンだった中川勝彦については、当記事の #1 で記したように、亡くなったのち中学時代に一度は心が離れていたが、その後、2006年の日本テレビの『24時間テレビ』で、生前の父の姿や、彼女が捨てたのを母がこっそり拾って残しておいてくれたバースデーカードの映像が流されるのを見て、感謝の気持ちを抱くようになったという。《私が好きになるもの、猫や宇宙、深海もアニメも特撮も、全部父が好きだったものなんです。やっぱり“血”ですよね。「この血を絶やしてはいけない」って思うのですが、こればかりはなかなか難しいです(笑)》(『週刊朝日』2018年6月22日号)とは7年前の発言だ。
母とも休日には一緒に買い物をしたり、同じ服を着たりと、友達のような関係を続けてきた。そもそもジャッキー・チェンの魅力を教えてくれたのも母である。そんな母との関係も念頭にあってか、《私が感じているおもしろいことを、フレッシュな興奮のまま伝えられる自分ジュニアがいたら、どれだけ世界は広がるだろうって思う》とも、かつて語っていた(『anan』2011年2月16日号)。
それだけに、このたび懐妊を発表し、子供と出会うことを誰より楽しみにしているのは中川自身だろう。いまはただ無事に赤ちゃんが生まれて来ることを祈るばかりだ。
(近藤 正高)