芸達者な俳優に囲まれ浮き上がる、三國連太郎デビュー作に映る萌芽――春日太一の木曜邦画劇場

2025年5月29日(木)19時0分 文春オンライン


1951年(108分)/松竹/3080円(税込)


 今回は『善魔』を取り上げる。現在の目で観ると、オープニングの配役クレジットにまず驚かされるだろう。


 俳優名も役名も、いずれも「三国連太郎」と記されているのだ。これは、三國が自身の役を演じているということではない。俳優名の脇に「入社第一回出演」と付け加えられており、実はこれが三國の俳優デビュー作品。つまり、役名がそのまま芸名となったのである。それだけに、劇中の冒頭で彼が「三國くん!」と呼ばれる際は、時おり本人のことを指しているような、不思議な違和感がある。


 といっても、監督は切れ味が最も鋭い時期の木下惠介なだけに、そうした違和感がすぐに消え、作品世界の中に一気に引きこまれた。


 本作で三國が演じるのは新聞記者で、物語の実質的な主人公である。上司の中沼(森雅之)の命令で高級官僚の北浦(千田是也)の妻・伊都子(淡島千景)が家出した件を取材することになった。当初はプライベートに踏み込む仕事に拒否感を覚えた主人公だったが、伊都子の妹の三香子(桂木洋子)に惹かれたことで、中沼も交えた個人的な人間関係に巻き込まれていく。


 一つの作品という「点」として触れても、本作は十分に見応えがある。だが、後に「名優」となった三國を意識した上での「線」として触れると、ドキュメンタリーのような楽しみ方もできたりする。


 この時の三國は東銀座の街角で松竹のプロデューサーにスカウトされてデビューして間もない。演技の基礎課程は全く踏んでおらず、滑舌が不安定な上に感情が入ると早口気味になる。そのため、ところどころでセリフが聞き取りにくくなる。また、挙動や表情にも硬さがある。後の三國の、共演者を喰い尽くすような変幻自在な演技を思うと、「彼も最初から名優だったわけではないんだな」という、考えてみれば当然なのだが——つい忘れてしまいがちな事実を認識できるのも楽しい。


 この蒼さが作品全体に奏功した。森、淡島、千田に笠智衆という芸達者たちに囲まれて三國の硬い演技は際立つのだが、それがかえって、葛藤の果てに純粋さを貫く主人公像を浮き彫りにしている。


 一方では——後の実績を踏まえて観ているからそう見えるのかもしれないが——名優への道を歩む萌芽を存分に受け止めることもできる。


 未熟ながらも艶やかな口跡、死の床に伏す三香子に生き抜くことを説く一途な横顔、そして悪の魔性を中沼に説かれた際に灯る瞳の暗黒。街角でも明らかに目立ったであろう日本人離れした目鼻立ちもあいまって、とても新人とは思えない映え方をしていた。


(春日 太一/週刊文春 2025年5月29日号)

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