「コロナ禍が完全に落ち着いた後、映画業界全体の状況は悪化した」気鋭の香港出身監督が明かす“映画産業への危機感”

2025年5月29日(木)7時10分 文春オンライン

 2022年に長編デビュー作『正義迴廊』で大ヒットを飛ばしたホー・チェクティン監督は、 香港映画の「新しい波」を代表する若手監督の一人。中国資本の大作指向と離れて、予算は少なくても香港ローカルに根差したテーマと繊細な演出で魅せる作品群—「新しい波」の若い監督たちの連帯や今後の香港映画について、チェクティン監督に聞いた。


◆◆◆


他国での制作を模索する香港の若い映画作家たち


 私はホー・チェクティン。これまでに2本の長編映画を監督した。香港演芸学院で映画監督を専攻し、2012年に卒業。『星くずの片隅で』(22年)のラム・サム監督とは同期で、彼の卒業制作にも参加した。





 小さい頃から映画館によく通い、ジャッキー・チェンやチョウ・ユンファの映画を観ていた。ツイ・ハークの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』やスティーヴン・スピルバーグの『ジュラシック・パーク』などの作品が特に好きで、映画監督という職業を意識するようになった。


 中学生になると、VCDを買い込んで映画を観るようになった。勉強は苦手だったが、モーニングショーの映画が安かったこともあり、よく映画館に通った。映画に関する本を読むようになり、学歴がなくても映画監督になれることを知った。例えば、フルーツ・チャンやダンテ・ラムは高学歴ではないが、立派な映画監督になっている。その事実に興奮し、「勉強しなくてもいい職業がある!」と気づいた瞬間、エリート職、例えば医者や弁護士になる道を完全に除外した。英語も苦手で、スポーツも得意ではなかったので、映画だけが自分の進むべき道だと確信した。


 演芸学院では映画を学びながら充実した4年間を過ごし、卒業後はスクリプターや助監督として経験を積んだ。ダンテ・ラム監督の演出部に加わり、『激戦 ハート・オブ・ファイト』(13年)や『疾風スプリンター』(15年)などの大作に参加し、多くのことを学んだ。その後、香港テレビの『獅子山下』シリーズでディレクターを務め、プロデューサーのフィリップ・ユン監督と出会った。この縁で彼の会社に入り、17年頃から、彼の『風再起時』(22年・香港映画祭で上映)という映画の企画・脚本・ロケハン・撮影・仕上げなど全般に関わることになった。


 その期間中、フィリップから長編デビュー作『正義迴廊』(22年・未公開)の話が持ちかけられた。13年に起きた実際の殺人事件(20代後半の男が両親を殺害、遺体をバラバラにして調理したとされる事件)を基にした作品で、事件の詳細な資料も手に入る状況だった。18年に本格的に脚本を書き始め、19年に撮影予定だったが、香港情勢の影響で延期。さらに20年にはコロナ禍で再延期となり、ようやく20年末にクランクイン。スタッフの感染で中断し、最終的に21年4月にクランクアップした。


二つの作品に込めたこと


 本作は自分の企画ではなかったが、デヴィッド・フィンチャーの『ゾディアック』(07年)のようなサスペンス映画や、東野圭吾の推理小説が好きだったこともあり、興味を持った。『羊たちの沈黙』(91年)のような邪悪なキャラクターに魅力を感じる部分もあった。


 特に、犯人の背景が自分と似ていたことに強く惹かれた。彼は中産階級の出身で、ゲームやSNSに夢中だった。そんな彼がなぜ両親を憎み、殺害に至ったのか理解できず、その心理を深く探りたいと思った。また、裁判に関わる弁護士や裁判官、陪審員の視点も含め、徹底的にリサーチを重ねた。


 編集作業の最中に、『正義迴廊』の主人公を演じたヨン・ワイルンのマネージャーであり、映画プロデューサーでもあるエイミー・チンから『四十四にして死屍死す』(2023年・大阪アジアン映画祭〔OAFF〕で上映)というブラックコメディ作品のオファーを受けた。2022年4月にクランクインし、『正義迴廊』とはまったく異なるジャンルで、新たな挑戦となった。スター俳優が多く出演し、撮影規模も大きく、喜劇のリズムを掴むのに苦労した。


 僕の2作の映画はどちらも群像劇だ。皮肉や社会批判を込めつつ、観客の共感を得るように演出する。『正義迴廊』では、裁判側、警察側、マスコミなど、たくさんのキャラクターを登場させ、それぞれの立場と視点が絡み合いながら複雑な殺人事件を描こうとした。


 最終的に『正義迴廊』は4300万香港ドル(約8億6000万円)を超える興行収入を記録し、R指定の香港映画として史上最高の成績を収めた。初動は振るわなかったが、口コミで広がり話題になった。さらに、香港電影金像奨の新人監督賞も受賞した。『四十四にして死屍死す』は大阪アジアン映画祭でワールドプレミアを迎えた後、すぐに香港で公開され、評判も興行成績も上々だった。


『正義迴廊』の公開中、ラム・サム監督のデビュー作『星くずの片隅で』も封切られた。しかし、最初の興行成績は思わしくなかったと聞いていた。そんな時、『香港ファミリー』(22年・OAFFで上映)のエリック・ツァン監督から「ラム・サムを応援しよう」と連絡をもらった。


 エリックの『香港ファミリー』はすでに香港で上映を終えていたが、『正義迴廊』と『星くずの片隅で』が公開中であり、カー・シンフォン監督の『流水落花』(22年・OAFFで上映)、アナスタシア・ツァン監督の『燈火は消えず』(22年)、ラウ・コックルイ監督の『白日青春—生きてこそ—』(22年)、ニック・チェク監督の『年少日記』(23年・東京国際映画祭で上映)が公開予定だった。いずれも新人監督の長編デビュー作であり、デビュー作が失敗すれば、次のチャンスはなかなか巡ってこない。だからこそ、互いに助け合う必要があると感じた。


コロナ禍が落ち着いた後、映画業界は活況を呈するかに見えたが……


 ラム・サムはイギリスに移住し、香港にはいなかったが、代わりに僕たちが彼の映画の舞台挨拶やトークイベントに参加した。6人の新人監督が集まり、利害関係を気にせず、相乗効果を狙って互いの作品を宣伝し合った。この互助の動きと新たな連帯がマスコミと映画評論家に好意的に受け止められ、「香港の新しい潮流」と称された。


 しかし、コロナ禍が完全に落ち着いた後、映画業界全体の状況はむしろ悪化した。観客は海外旅行に出かけるようになり、ライブやコンサートも増え、娯楽の選択肢が増えた。また、経済状況の悪化により、人々は娯楽にお金を使うことに慎重になった。23年以降、映画館の経営はますます厳しくなった。例えば、24年に1億香港ドル(約20億円)を超える興行収入を記録した香港映画はわずか2本のみ、それ以外の作品は数百万ドル規模のものばかりだった。興行収入が100万ドル(約2000万円)に届かない映画も珍しくなくなった。そして、今年2025年の香港旧正月映画は史上最低の成績を記録し、業界全体に危機感が広がっている。


 経済的な問題だけでなく、撮影できる題材もどんどん制限されている。香港にこだわらず、他国での撮影も模索している。僕の次回作は台湾での撮影になりそうだ。台湾の製作費は香港より安く、ロケーションも新鮮で、政府の助成金も活用できる。特に、題材の自由度があることが魅力だ。香港では警察を扱った犯罪映画は撮りにくいが、台湾なら可能性がある。実は台湾映画として中国本土で公開することもでき、検閲はあるものの、公開の可能性は残る。最近、香港人映画監督が台湾で撮ったバイオレンス映画『我、邪で邪を制す』(23年・Netflixで配信)が中国本土でも大ヒットしたことに勇気づけられた。


 映画業界は現在厳しい状況にあるが、チャンスがあるなら全力で最高の映画を作るしかない。



四十四にして死屍死す


《ストーリー》


 香港の高層マンションの玄関先で裸の男性の死体が発見された。自分たちの部屋が“事故物件”となり、資産価値が暴落することを恐れた住民たちは、死体の押し付け合いを始めるが——。現代の社会問題を背景にした軽やかなコメディ。大阪アジアン映画祭2023で「ABCテレビ賞」を受賞。


 2023年/香港/119分/未公開/©2023 One Cool Film Production Limited,852 Films Limited,Icon Group Limited,the Government of the Hong Kong Special Administrative Region All Rights Reserved




ホー・チェクティン 1987年香港生まれ。香港演芸学院を経て監督デビュー。初長編『正義迴廊』は香港電影金像奨新人監督賞を受賞。興行成績を次々と塗り替える大ヒットとなった。



(リム・カーワイ/週刊文春CINEMA)

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