スター記者だった先輩の訃報に触れて

2025年5月29日(木)20時1分 スポーツニッポン

 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】文化社会部の先輩で、定年後は演劇・演芸評論家として活躍した花井伸夫さんが5月23日に亡くなった。享年78。高齢化社会にあっては早すぎる。残念だ。

 落語家、漫才師、お笑い芸人、タカラジェンヌ…と、築いた人脈は半端じゃなかった。「はばたけ宝塚 輝ける瞬間」など著書も多数。テレビ朝日系「ザ・テレビ演芸」内のオーディションコーナーに審査員として長く出演したり、昔風に言えば、紛れもなく「スター記者」の1人であった。スポニチを離れた後も落語会のプロデュースなどを幅広く手掛けていた。

 忘れられない出来事がいくつもある。あれは1987年の春。地下鉄漫才で人気だった夫婦コンビ「春日三球・照代」の照代さんがテレビ番組出演中にくも膜下出血で倒れた。入社5年目の記者は、花井さんに伴われて都内の大学病院を訪れ、緊急入院した照代さんを見舞った。意識は戻ることなく、照代さんは4月1日に51歳の若さで息を引き取ったが、三球さんと花井さんの関係の深さを垣間見て、「自分もこうした関係を何人と築けるだろうか」と真剣に思った覚えがある。

 余話がある。病院の入口を出てすぐの所に喫煙スペースがあった。一服していると、見たことのある人が点滴セットを引きずったままやって来る。大先輩のUさんだ。たまたま同じ病院に入院していて、暇つぶしに敷地の周りを散歩していたようだ。そこに偶然知った顔を見つけてニッコニコ。笑顔で近づいてきて言い放った。

 「佐藤くん、1本ちょうだい」

 とても、良い患者とは言えないが、Uさんもずいぶん前に彼岸に渡っている。懐かしい思い出だ。

 古今亭志ん朝さんが63歳の若さで亡くなった2001年10月1日。電話をくれて、

 「おい、志ん朝が死んじゃったよ」

 悲嘆に暮れる花井さんの声が耳に残っている。

 92年、桂小益の九代目桂文楽襲名をスクープしたのも確か花井さん。映画担当がホームグラウンドの記者だが、落語が大好き。05年4月2日、都内のホテルで行われた立川談慶(59)の真打ち昇進パーティーにも連れて行ってくれて、談志師匠にあいさつする機会も作ってくれた。09年に76歳で死去した五代目三遊亭円楽さんの通夜の席では六代目円楽さん(当時、三遊亭楽太郎)に紹介してくれるなど、何かと世話を焼いてくれた。日本テレビ「笑点」つながりではないが、「人間国宝になってほしいなあ」と桂歌丸さん(18年に81歳で死去)を応援していたことも忘れられない。

 昨今、落語や演芸の取材の機会も増えているが、会う人がいまだに決まって口にするのが「花井さんには世話になりました」という言葉。訃報に「線香を送りたいんだけど」などとありがたい申し出もたくさんいただいている。

 デスク当番にもかかわらず、「ちょっとごめん」と抜け出して亡き芸人さんの通夜に出掛けるなど、今では考えられない“いい加減”なところもあったが、逆に面白い時代であったとしみじみ思う。

 手元に1979年(昭54)5月1日発行の雑誌「落語界 NO22 5月薫風号」がある。『「国立劇場演芸場」スタート』の題で花井さんが長文を寄せている。ゆっくり読み直して、故人を偲びたい。合掌。

スポーツニッポン

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