さだまさし「『無縁坂』ではマザコン、『関白宣言』は女性蔑視……。若い頃からボロボロに言われてきたから、今まで続けられている」

2024年6月14日(金)12時29分 婦人公論.jp


ヴァイオリニストの前橋汀子さん(右)とシンガー・ソングライターのさだまさしさん(左)
さださんが弾くヴァイオリンは、前橋さんがお持ちになったもの(撮影:岡本隆史)

ヴァイオリニストとシンガー・ソングライター。音楽家としてのかたちは違えど、前橋汀子さんとさだまさしさんは幼い頃から音楽と向き合ってきました。交流が深く、今なお現役で活躍するおふたりが、これまでの道のりを振り返りつつ語り合います(構成=小西恵美子 撮影=岡本隆史)

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<前編よりつづく>

親宛てに遺書を書いた


前橋 当時、レニングラードには日本人が1人もいない時代で、日本領事館もありませんでした。

さだ 頼るところがない。留学中に、ヴァイオリンをやめたいと思ったことはなかったんですか?

前橋 ソ連の音楽教育のシステムは最高でしたから、レベルが非常に高くて、どの生徒もすごく上手でした。私はソリストになりたかったけれど、とても無理だと思って毎日泣いていた。挫折です(笑)。でもせっかくこられたんだし、ソ連の奏法を身につけて帰れば、日本で役立つと思ったの。

さだ 当時の音楽教育では世界のトップですよ。バレエにしろスポーツにしろ、歴史に支えられた知識と方法論がある。でも周りがうまいとだいたいやめちゃうんです。それを「挫折」と言います。(笑)

前橋 やめたくても、容易に日本に帰れないですもの。手紙は日本との往復に1ヵ月以上かかるし、電話はかけられないし。3年間、夏休みも帰らないで(笑)。ソ連の人たちは温かかったし、友だちもできたし。ただ、私は頑張りすぎたのか、ついに倒れて2ヵ月入院しました。

さだ えっ、レニングラードで?

前橋 心細くて、ここで息絶えるかもしれないと思ったの。両親に遺書を書いて枕の下に入れました。でも入院したことは親に知らせなかった。心配するからね。

さだ 僕も遺書を書いたことがあります。下宿生活を送っていた高校生の時、インフルエンザで高熱が出て、朦朧として。体の節々が痛くて死んじゃうかもしれないと思ったんですね。やっぱり枕元に置きました。前橋さんはレニングラードから帰国後、今度はアメリカに行かれていますよね。

前橋 66年にジュリアード弦楽四重奏団が来日して、若い音楽家のために室内楽のワークショップを開くというので、参加しました。急遽トリオを編成して、シェーンベルクの弦楽トリオのレッスンをファースト・ヴァイオリンのロバート・マン先生から受けたのです。そのレッスンがとても刺激的で。

さだ それでジュリアードへ。

前橋 マン先生に、「どうしてもジュリアード音楽院に行きたいけれど、どうしたらいいですか」と聞いたのね。デビッド・ジョーンズさんっていう、大相撲千秋楽の表彰式で「ヒョーショージョー」って言っていた人を覚えてる? パンアメリカン航空の。

さだ 覚えてます。

前橋 彼とマン先生がお友達で。それでニューヨーク行きの、パンアメリカン航空のチケットを用意していただいたのよ。条件として、タラップで写真を撮って送ってほしいと言われたのだけど、着いたらタラップがなくて。(笑)

さだ ボーディング・ブリッジだった。(笑)

前橋 何のお礼もできませんでした。マン先生にはジュリアードのスカラシップ(奨学金)を段取りしていただいて、先生のカルテットのレッスンも受けました。私はソ連で窮屈な生活をしていたでしょう。ニューヨークでは糸の切れた凧みたいになって。見るもの、食べるもの、珍しくて、真面目な学生じゃなかったの。(笑)

さだ 生活のほうが楽しくなっちゃった。

前橋 授業をさぼって、呼び出されたり。

さだ いい思い出だなあ。でも、ちゃんとカーネギーホールでデビューするんだから、すごい。確かアメリカ交響楽団で、ストコフスキー指揮でしたよね。

前橋 25歳の時にストコフスキーのオーディションを受けて、2年後に彼とのコンサートが実現したのです。

さだ その後はヨーロッパにも。

前橋 何と言ってもクラシック音楽発祥の地ですから。どうしてもヨーロッパで勉強したかった。

長く演奏活動を続けるために


さだ 前橋さんはもう60年以上、演奏活動を続けてらっしゃるわけですが、自分を高めるモチベーションは何ですか? 人生100年時代になって、「モチベーションを保ち続ける」というのは、現代人のテーマでもあると思うんですよ。

前橋 楽譜に作曲家が何を込めたか、その思いを汲み取って私なりに咀嚼して表現すること。若い時から30、40代を経て、今、同じ楽譜を見ても、思いもかけない新たな気づきや発見があります。それが面白い。

さだ 僕も、歌い方や表現が違いますね。特に今は優れたギタリストやドラマー、ピアニストたちとステージに立っているので、昨日と同じセットリストでも、同じ演奏はできないんですよ。それぞれが演奏中に仕掛けてくるので、「あ、そうくる!?」というプレイがきた瞬間、モチベーションがバーンと上がって。

前橋 音楽って、そういうものだと思います。いい仲間ね。

さだ お客さんもそれをわかって楽しんでくださる。これも音楽家の財産だと思うんですよ。そういう意味で、僕はいよいよお客様に恵まれているな、と思いますね。

前橋 さださんはどの年代の人にも心に響く詞を歌ってらっしゃる。

さだ 僕は若い頃からボロボロに言われてきたから、今まで続けられているのかもしれません。「精霊流し」は人が死んだ暗い歌と言われ、「無縁坂」で母が、と歌ったらマザコンと言われ。「雨やどり」では女の子の歌を男が歌って軟弱者だ、「関白宣言」は女性蔑視だ、と。歌をちゃんと聴いてくれれば、俺より先に死なないでって言っているんですけどね。

前橋 いろんな人がいるんだから、聞かなきゃいいのよ。

さだ もはや炎上商法です(笑)。今はどこにいても音楽を聴ける時代になりましたが、僕らのことを知らない若い世代に僕らの音楽を伝えるのは、結局ライブしかないと思っています。実際、幅広い世代が聴きにきてくれていて。ただ、クラシック音楽は敷居が高いと感じる人がいるでしょう?

前橋 なので、私は1人でも多くの方に気軽にコンサートホールに足を運んで生のヴァイオリンの音を聴いてほしいと、自主企画で始めたのが、週末の午後のひと時に低料金で楽しむサントリーホールのアフタヌーン・コンサートです。今年の6月に20周年を迎えます。

さだ 僕も前橋さんが演奏する1736年製のヴァイオリン、デル・ジェス・グァルネリウスの音を聴いていますが、やっぱり生の音は違うんだなあ。

前橋 私は1回1回のコンサートを大切に、1日でも長く弾きたいと思っています。10代でのソ連の3年間が、ここまで長く弾き続けてこられた礎になっていると思います。

さだ 僕はこの1月に、咽頭炎をやりましたでしょう? 少し休んで、ライブも延期させていただきました。今回改めてわかったのは、年を取ると回復に時間がかかるということ。

前橋 今日もこんなにお話しになって、心配です。この先も長いこと歌っていただきたいから、体だけは気をつけてください。

さだ 自分の体のことなのに、実際に年を取ってみないとわからないことばかりで。その点、今の若い音楽家には気力も体力も技術も十分にあるわけですが、人間力を高めることも必要ですよね。ほかに大切なことは何だと思いますか?

前橋 それは、たくさん挫折を味わうことよ。(笑)

さだ そこに答えがあった(笑)。やっぱり挫折って大事ですね。

婦人公論.jp

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