「進撃の巨人」は少年漫画の枠組みを打ち破ったアニメ―中国メディア

2025年5月10日(土)23時0分 Record China

3日、中国のポータルサイト・淘宝百科に「進撃の巨人」を従来の少年漫画の枠を打ち破ったアニメだと評した記事が掲載された。写真は進撃の巨人。

2025年5月3日、中国のポータルサイト・淘宝百科に「進撃の巨人」を従来の少年漫画の枠を打ち破ったアニメだと評した記事が掲載された。



記事はまず、「『進撃の巨人』は、日本の漫画家・諫山創氏による叙事詩的作品であり、その複雑なストーリー構成、鋭い社会的暗喩、そして圧倒的なビジュアル表現によって、現代アニメの象徴的存在となった作品である」とし、「物語の舞台は、巨人の脅威にさらされた終末的世界である。人類は生存のため三重の壁を築き、百年にわたる平穏を享受していたが、超大型巨人とよろいの巨人の奇襲によってその静寂は突如破られる。主人公のエレン・イェーガーは、巨人に母親が巨人に食われるのを目撃し、外敵と戦うために調査兵団への入団を決意する」と説明した。



続けて、「物語が進むにつれ、巨人の正体が人間の変異体であることや、壁外にはパラディ島(エルディア人の居住地)と敵対するマーレ帝国が存在することなど、次第に真実が明らかになっていく。マーレは人種差別的な宣伝を通じてエルディア人を『悪魔の末裔(まつえい)』としておとしめ、巨人の力を用いた対外的な勢力拡大を図っていた。エレンは『進撃の巨人』と『始祖の巨人』の力を手に入れた後、次第に復讐者から過激な行動をとるようになっていった。彼は『地鳴らし』計画を発動し、数千万の超大型巨人を使って壁の外の世界を踏み潰し、パラディ島の絶対的な安全を得るために民族抹殺を図ったが、最終的にはエレンは幼なじみであるアルミン・アルレルトとミカサ・アッカーマンによって阻止され、巨人の力は消滅し、世界は新たな対立の循環に突入することとなる」と述べた。



また、「物語の第1期から第3期までは、生き残りをかけた戦いの段階であり、人類が巨人という物理的脅威と戦いながら、壁内の支配層の腐敗と隠された真実が明らかなっていく。第4期の前半では、マーレとパラディ島の間で繰り広げられる政治的な駆け引きが描かれ、巨人の力の起源と、長きにわたる民族間の憎しみの連鎖が明かされる。第4期の後半になると、全面戦争と物語の終結の段階となり、エレンの世界滅亡を目的とする行動が道徳的な葛藤を引き起こし、最終的には個人の犠牲によって一時的な平和がもたらされることになる」と言及した。




その上で記事は、「物語は一貫して『自由』という概念を問い直している。調査兵団が壁を乗り越えるという壮絶な行動の末にたどり着いたのは、壁の外にもさらに大きな檻が存在するという現実であった。エレンが追い求めていた『自由』とは、実際には記憶に操られた宿命にすぎなかった。しかし、まさにそのような行き場のない状況が、より深い意味での『自由』の定義を生み出すことになる。ミカサがエレンの首をはねたことで始祖・ユミルの連鎖が断ち切られ、『自由』とはかせを壊すことではなく、かせがあることを認めた上で選ぶ力にこそあると証明されたのである」とした。



さらに、「諫山氏は、日本のバブル経済崩壊後の『失われた30年』の時代に育った。その時代は失業率が高く、職場の圧力の強さから『過労死』が社会問題となっていた。作中に描かれる壁の中の人々の抑圧と絶望は、日本の若者たちが未来に対して抱く不安や迷いを映し出している」とし、「『進撃の巨人』は、演出的に洗練された暴力の表現と政治的なテーマを複層的に扱うことで、従来の少年漫画の枠組みを打ち破り、アニメを『子ども向け』から『全年齢向け』へと転換させた。その世界的な成功は、日本のアニメ文化の海外発信が新たな高みに達したことを示している。西洋の視聴者は個人の英雄主義や自由意志により強く関心を寄せる一方で、アジア圏では集団主義や宿命論に共鳴する傾向が強い。このような差異は、作品が持つ普遍性と同時に文化的な特殊性の両方を浮き彫りにしている」と論じた。(翻訳・編集/岩田)


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