マリウポリ陥落で露軍の捕虜となったアゾフ連隊司令官が見た「地獄の収容所」

2023年5月27日(土)6時0分 JBpress

(国際ジャーナリスト・木村正人)


最後に夫を訪ねたのはロシア軍侵攻の1週間前

[ウクライナ南部ザポリージャ発]アゾフ海に面したウクライナ南東部の港湾都市マリウポリのアゾフスタリ製鉄所が陥落して20日で1年。露国防省は昨年5月、ウクライナ軍やアゾフ連隊の兵士ら2439人が投降したと発表したが、これまでに帰還できたのはわずか約500人。帰還できても兵士たちは心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しめられている。

 アゾフスタリ製鉄所に立て籠もった兵士たちの妻や母、家族の会「鋼鉄の女性」はたった4人でスタートし、4000人に膨れ上がった。代表の1人、ナタリア・ザリツカさん(37)の夫ボフダンさん(32)はアゾフ連隊司令官だった。昨年5月、軍の命令で武器を捨てて投降、捕虜になった。同年9月に捕虜交換で帰還した215人の中にボフダンさんはいた。

「捕虜になった兵士の帰還は第1歩に過ぎず、第2の闘いは彼らが普通の生活に帰還することです」とナタリアさんは語りだした。

 ボフダンさんは背骨や腎臓、膝の損傷、視力や聴力、感覚の低下、手足の知覚過敏、PTSDなど、今も心身に多くの問題を抱えている。ナタリアさんと二人三脚でリハビリに取り組むが、社会復帰までの道のりは長く、遠い。

 教師だったナタリアさんはロシアが2014年に武力でクリミアを併合、東部ドンバスで紛争を起こした時、前線に行こうと決心した。しかし父が病弱だったため、代わりにウクライナ軍兵士を支援することにした。連絡先を教えてもらったアゾフ連隊の1人がボフダンさんだった。ナタリアさんは「何かお手伝いできることはありますか」とメッセージを送った。


捕虜になるより玉砕する腹積もりだった

 ボフダンさんはエリート部隊のウクライナ海軍歩兵に所属していたが、アゾフ連隊の訓練レベルの高さを目の当たりにして同連隊に入隊した。

 ナタリアさんが最後にボフダンさんに会ったのはロシア軍がウクライナに侵攻してくる1週間前。ボフダンさんはロシア軍侵攻を受け、マリウポリ市民を守るためアゾフスタリ製鉄所に籠城した。

 ある日、ボフダンさんの足元にロケット弾が落ちてきた。死を覚悟した。しかし爆発しないまま地面に突き刺さった。ボフダンさんはナタリアさんに「あなたの愛のおかげです」と感謝した。

 ボフダンさんの誕生日の4月14日、ナタリアさんは「無傷で生きて帰ってくるという戦闘の主要任務を完遂することを祈っています」とメッセージを送った。

 その日「あなたを愛しています。私と結婚することに同意しますか」とボフダンさんにプロポーズされたナタリアさんは「私もあなたを愛しています」と結婚に同意した。

 ボフダンさんは投降して捕虜になるより玉砕する腹積もりでいた。しかし玉砕は無駄死にだ。軍の命令で捕虜になってから2カ所の収容所に移された。


収容所でドストエフスキーの『悪霊』を読んだ

 収容所でボフダンさんは袋詰めにされ、7〜10人のロシア人に殴られた。手足は折られなかったが、体中に黒あざができた。尋問は9時間に及ぶこともあった。その間、水も飲まされず、手錠をかけられた。監視カメラが備えられた18平方メートルの雑居房には28人の捕虜が詰め込まれた。10のベッドに20人が寝て、大柄のボフダンさんら8人は床に横たわった。

 ボフダンさんはタバコと引き換えにロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの小説『悪霊』を借りて読んだ。ウクライナ語を話しただけで殴られ、外国の本を読むと「ファシスト」と罵られて罰せられた。

 東部ドネツク州の収容所では1日に2回、スプーン2杯のコメが与えられただけだった。トイレにも監視カメラが設置されていたが、水は流れなかった。

 水道はなく、誰かが殴られて雑居房に戻ってきても唇を水で濡らしてやることしかできなかった。ボフダンさんが収容されていた時より今は、待遇は改善された。当時は支給されていなかった歯ブラシや歯磨き粉が与えられるようになった。ナタリアさんら「鋼鉄の女性」はウクライナ政府や国際赤十字などの国際機関に収容所への立ち入りを求めている。

 解放された時、ボフダンさんはナタリアさんに「ベイビー、愛しているよ。でも僕に近づかないで。シラミがいるかもしれないから」と話した。ナタリアさんはこれで悪夢は終わると思った。しかし、あらゆる意味でボフダンさんを生き返らせる第二の闘いが始まったに過ぎなかった。


「まだ2000人が囚われている」

 ナタリアさんは言う。

「まだ約2000人が囚われています。彼らの消息を知る手段は解放された兵士たちの証言か、メッセンジャーアプリやテレグラムチャンネルでいろいろな写真を探すかの2つしか方法はありません」

 解放されたボフダンさんは7つの病院に入院し、今はサイコロジカルセンターで心のケアを受けている。

 ウクライナには捕虜になった兵士に関する法律がないとナタリアさんは指摘する。

「捕虜になって帰還した後も彼らは兵士のままです。しかし、皆がみな軍隊で仕事を続けられるわけではないのです」

 ボフダンさんは今、ホルモン、ヘモグロビン、血液、肝臓、腎臓すべてに異常を抱えている。夢を失い、感情も失った。

 86日間に及んだアゾフスタリ製鉄所での籠城生活は壮絶だった。1日100〜130回もの空爆。食事は1日500〜600キロカロリー。だが、その後の収容所生活はもっと過酷だった。ロシア軍の収容所から解放された時、ボフダンさんは「ナタリア、ロシア人が私に残した唯一の感情は飢えだった」と言った。身長190センチメートルの夫の体重は115キログラムから73キログラムに激減していた。

 昨年、ロシア最高裁判所はアゾフ連隊をテロリスト集団に指定。テロリスト集団のメンバーは最高10年、リーダーや組織した者は最高20年の刑を科せられる恐れがある。それでもアゾフ連隊司令官だったボフダンさんは早く解放された。その理由について、ナタリアさんが解説する。

「痩せすぎて健康状態が悪く、ひどいうつ病になっている兵士は解放されています」


「生きているのが夢ではないことを理解するのに1年半かかる」

 解放された直後、ボフダンさんは24時間食べっ放しという状態が続き、900グラムのケーキを2口で食べてしまうこともあった。それが3〜4カ月ほど続いたあと、「ナタリア、やっと満腹になったよ。もう空腹感はなくなった」とボフダンさんはつぶやいた。体中の細胞が栄養を吸収しているというような感じだったという。

 リハビリについて、ナタリアさんは「まず食事を取ることです。夫は製鉄所地下壕で3カ月、捕虜として4カ月過ごしました。良くなるには1年2カ月から1年半の間、適切な食事を取ることが必要です。完全に回復するとまではいかなくても、生きていることが夢ではない、ここにいるんだということを理解するのにそれぐらいの時間が必要なのです」と話す。

「半年が過ぎた頃、夫は“ナタリア、君がここにいるのは夢ではないと思う”と話し、何かを作ってくれました。しかし夫は記憶や夢に問題を抱えており、PTSDに無力症が加わり、今、セラピストと面談しています。あなたの愛する人が戻ってきた時、近くにいることが大切ですが、近づき過ぎてはいけないのです」(ナタリアさん)

 PTSDを抱える兵士はアドレナリンのレベルが高くなり、攻撃性を伴うことがある。

「夫が寝ている時、私はそばで眠ることができません。悪夢にうなされ、突発的に体を動かすから危険です。だから理想的な方法は2人の部屋を別にして、あなたは別の部屋にいることです。あなたは彼の輪の中にいる必要がありますが、あまり近づきすぎてはならないのです」

 PTSDを抱える元兵士が戦死した仲間を救えなかったことを後悔して自ら死を選ぶ例がこれまでにも報告されている。英国とアルゼンチンのフォークランド紛争では実際の戦闘で命を落とした兵士より、戦後、自ら命を断った元兵士の方が多かった。ボフダンさんとナタリアさんの普通の生活を取り戻すための闘いは果てしなく続く。

筆者:木村 正人

JBpress

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