阪神元球団社長・三好一彦氏 「同志」吉田義男さんの訃報に言葉詰まらせる「見舞いに行こうと...」
2025年2月5日(水)5時15分 スポーツニッポン
吉田義男さんを「同志」と呼ぶ阪神元球団社長の三好一彦さん(94、写真)は西宮市の自宅で「言葉がありません」と声を詰まらせた。訃報を受け「思い出をたどっていました」
出会いは1952(昭和27)年春。神戸大二塁手だった三好さんは同じ関西六大学(現関西学生)リーグの立命大1年生の遊撃手の好打好守に驚いた。以来74年の付き合いだ。
53年の阪神電鉄入社と吉田さんの中退して阪神入団は同期。「電鉄と球団で離れていましたが常に気にかけていました」。84年秋、新たにオーナーとなった久万俊二郎本社社長(当時)の密命を受け監督要請を行った。85年日本一を見届け、87年は密会を繰り返し「三好文書」として記録して本社に上申。無念の解任に至った。
96年秋には球団役員会の翌日早朝5時に自宅を訪ね、3度目の監督就任要請を行った。
「最後に監督をやってくれて、どれだけうれしかったか。(低迷する)タイガースを何とかしたいという思いは同じでした。だから同志なんです」
昨年12月3日ごろの電話が最後だった。「OB会総会を欠席したが、元気ということでした。あの直後に入院と聞いていたので、見舞いに行こうと思っていましたが……」。また声を詰まらせた。