選手の溝埋めた「アブダビの夜」 包囲網に苦しみ ベテランDFの思いが転機に…W杯最終予選プレーバック
2025年3月16日(日)10時0分 スポーツ報知
06年ドイツW杯アジア最終予選バーレーン戦の前半、先制ゴールを決めた小笠原(右は中田英)
◆2006年ドイツ大会
サッカー日本代表は20日に26年北中米W杯アジア最終予選のバーレーン戦に臨む。勝てば3試合を残して8大会連続の本大会出場が決まる大一番。第2次森保ジャパンは順調に勝ち点を重ねてきたが、過去の日本代表には紆余(うよ)曲折もあった。開催国枠で予選免除だった02年日韓W杯を除く、過去6大会の激闘を振り返る。
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5勝1敗で首位突破を決めたジーコジャパンだったが、さまざまな苦難を乗り越えての出場権獲得だった。
第1戦の北朝鮮戦から苦戦を強いられた。北朝鮮には後半ATにFW大黒将志が辛くも決勝点(2〇1)。第2戦はイランに敗れ(1●2)、第3戦バーレーン戦もオウンゴールの1点のみ(1〇0)。第4戦バーレーン戦を前に行われたペルー、UAEとのキリン杯はいずれも0—1で敗れた。
当時の日本に、海外組と国内組をどう融合させるかという知見がなく、海外組と国内組に溝があった。ライバル国から徹底マークされる“包囲網”も初の経験。主将・宮本恒靖は「チーム状況は本当に良くなかった」と後に振り返っている。
転機は通称「アブダビの夜」。バーレーン戦を前に、宮本を中心にUAEの首都で行った選手ミーティングだ。出場機会が限られていたベテランDF三浦淳宏がW杯への思いを口にし、複数の選手も続いた。チームの意思を統一し、結束を深めた。
同戦は小笠原満男の得点で勝利(1〇0)。続く無観客開催の第5戦北朝鮮戦で突破を決めた(2〇0)。当時はサッカー後進国ではないが、まだ中堅国とも言えなかった時期。「過渡期」としての苦労に直面しながらW杯切符をつかんだ。