新企画・スーパーGTドライバー勝手にお悩み相談ショッキング Vol.2 阪口晴南さん

2021年4月15日(木)16時11分 AUTOSPORT web

 2021年も、ファンのために熱いレースを展開してくれるスーパーGTドライバーたち。SNS等でも散見されますが、所属するチームやメーカーによって差はあれど、多くのドライバーが“繋がり”をもっています。そんなGTドライバーたちの横の繋がりから、お悩みを聞くことでドライバーの知られざる“素の表情”を探りだす新企画をスタートしちゃいました! 今回は第1スティントの石浦宏明さんから紹介された、阪口晴南選手に取材を敢行しました。


 しばしばSNS等でも見られる、気になる2ショット。「へえ、あのドライバーたち、仲良いんだ」とファンの皆さんも驚くこともあるのでは。そんなGTドライバーの繋がりをたどりつつ、ドライバーたちの“素”を探るリレートークのようなものができないか……? という企画が編集部内で出てきたのが2月。そこで、3月の岡山公式テストで第1回の取材を石浦宏明さんにお願いし、なんやかんやとご好評いただいたVol.1。石浦さんから紹介されたのは、スーパーフォーミュラでJMS P.MU/CERUMO・INGINGから参戦することになった阪口選手です。


 本来であれば『スーパーGTドライバー勝手にお悩み相談ショッキング』なので、スーパーGTドライバーとして取材するところなのですが、3月の段階では阪口選手はK-tunes RC F GT3をドライブするのか、KeePer TOM’S GR Supraをドライブするのか不透明な状況が続いていました。そこで、このまま第2回にして企画倒れになるのはさすがにアレだったので、ちょっぴり趣旨を曲げまして、スーパーフォーミュラ第1戦富士の際に取材を敢行することに。


 真新しい白いJMS P.MU/CERUMO・INGINGのスーツを着て、週末のレースに向けて気合十分、てっきりスーパーフォーミュラについて聞かれると思っている阪口選手に取材を開始しました。


* * * * *


■まずは阪口家についてうかがいました。


──そんなこんなで、お忙しいところすみません。というわけで、先日石浦宏明選手に取材をさせていただきまして……。
阪口晴南選手(以下阪口さん):そっち? そっちかぁぁぁ! その取材でしたかぁ……。


──1回目にお話を聞いた石浦さんが、「晴南くんのプライベートが分からない」という、ある意味でお悩みをおっしゃっていたので、今回は晴南くんのプライベートを根掘り葉掘り聞いていきたいと思います。というわけで、まずはワタクシも知っているようで知らない気がする阪口家について教えていただければと思います。
阪口さん:はい!


──まずうかがいたいのが、知っているようでワタクシもあまり知らない阪口家について。晴南くんのお父さんはもともとレーシングドライバーだったのですか?
阪口さん:そうですね。そもそも祖父が二輪から四輪に転向して、その後はレース活動を止めてしまったのですが、その影響で僕の叔父さんと父親がレースをしていました。叔父さんはレースでも速かったのですが、父は手先が器用だったので、叔父さんと一緒にサーキットに行ってマシンの整備などをしていました。その流れで父が祖父のカートショップを受け継いだという感じです。


──その叔父さんというのは(阪口)良平さんで良いんですよね?
阪口さん:はい。良平さんです。祖父と僕の父が良平さんをサーキットでサポートしていたときもあったようです。父はF4くらいまでドライバーとしてやっていたはずですが、その後スクールに合格しなかったので、自分はレース活動を止め、息子に託したような感じですね。


──そんな晴南くんは何歳からカートに乗っているんでしたっけ?
阪口さん:いちおう僕がカートに初めて乗ったのは2歳くらいのときです。乗ったというより『乗せられた』という感じです。最初は嫌いだったと思いますよ(笑)。まだ赤ん坊ですし、『危ない・臭い・うるさい』ですからね。


──フツーの子どもだったら泣いちゃいますねぇ。
阪口さん:当時の話を聞くと、いきなりエンジンがかかったカートに乗せると泣いてしまうので、エンジンをかけた状態で置いといて、僕が歩いてカートまで向かえば少しずつ音が大きくなるのでビックリしないだろう……という風に乗せていたらしいですよ(笑)。


──そんな育て方をされた晴南くんですが、これまでずっとカートをやってきて、『もうカートなんてイヤだ!』という時期はなかったんですか?
阪口さん:当然あったと思います。父も厳しかったので、結構怒られていました。それこそ小学生くらいのときは修学旅行をキャンセルしてまでレースをしていたので『普通の学生生活をしたいな』と正直思いました。でも、振り返ると今の方が良かったと思いますし、感謝しています。実家がカートショップというのはデカいですよ。


──道上(龍)さんなどもそうですよね。
阪口さん:そうです。言い方は良くないかもしれませんが、最初の段階でいろいろな知識を自分から探しにいかなくても、ある程度ベースの知識がある状態からスタートできるのはかなりアドバンテージがあると思います。

スーパーGT第1戦岡山ではKeePer TOM’S GR Supraを駆り、ポールポジションを獲得した阪口晴南


■筆者、名前の由来からショックを受ける


──ところで、晴南くんの名前の由来は、かのアイルトン・セナが由来で合ってますよね?
阪口さん:はい。合ってると思います。祖父と父の両方で決めたと思いますが、おそらく父ですね。


──え〜、ズバリ聞きますが、小中学生のときに、同級生に『音速の貴公子』と呼ばれた経験がある?
阪口さん:いや、友だちはアイルトン・セナを知らないですね。


──……えっと、そういう世代?(正直ショックでした)
阪口さん:はい。友だちのお父さんにはそういうことを言われた気がします。ちょうど僕らのお父さん世代が『アイルトン・セナ世代』だと思いますし、大ファンだったとも思います。でも、セナが亡くなったのが1994年なので、僕が産まれる5年前なんですよ。だから友だちにはあまり言われないし、同世代のドライバーにも別に言われないですね。なので、あまり自分の名前に違和感なく生きてきました。


──なるほどそうですか(遠い目)。ではどちらかというとミハエル・シューマッハー世代だ。
阪口さん:僕らはシューマッハーvs(フェルナンド)アロンソ世代です! 2005年くらいは面白かったですね。今でも記憶に残っています。


──……次いきましょう。そんなこんなで、この企画は『お悩み相談ショッキング』というものなのですが、晴南くんは『笑っていいとも』と『テレフォンショッキング』は知っていますか?
阪口さん:まぁ、はい。あの……数珠つなぎ電話みたいな感じですよね? 『次回出てくれますか?』みたいな。


──(だいぶギリギリでした)この企画もそういう体なので、あとでお友だちを紹介してもらいますのでよろしく。ではここから晴南くんのプライベートに切り込んでいこうと思いますが、今はまだ大阪のご自宅に在住でOK?
阪口さん:はい。実家です。


──ほう。でも『ひとり暮らししちゃおうかな』という考えはないんですか? 同世代のドライバーはけっこうひとり暮らし多いでしょう?
阪口さん:そうですねぇ。同世代のドライバーも同級生もひとり暮らし多いですね。


──あまりそういった欲求はない?
阪口さん:ないですね。数年前までは関東圏でひとり暮らしをしたいと思っていたのですが、このご時世もあってか、熱が冷めましたね。そこまで関東圏に出たいという欲はなくなりました。


■阪口晴南さんの交友関係を知る


──なるほど。ではプライベートでよく遊ぶドライバー仲間はいますか?
阪口さん:う〜ん。これもイマドキで、オンライン上で遊ぶ仲間が多いです。


──ほほう。その遊び仲間は誰?
阪口さん:(牧野)任祐、(福住)仁嶺、(大湯)都史樹、(小高)一斗、あとは(角田)裕毅ですかね。


──オッサン(筆者44歳)にはオンラインで遊ぶってもよく分からないんですが、ナニをして遊ぶのですかね?
阪口さん:シューティングゲームです。『Apex Legends(エーペックスレジェンズ)』といって、いまメチャクチャ有名なゲームなんですよ。みんなプレイしてますよ!


──ほ〜(念のためリンクは貼っておきました。気になる方はぜひ)。その中では誰がうまい?
阪口さん:仁嶺ですかね。メチャうまいです。もともと仁嶺はほかのシューティングゲームを昔からプレイしていて、その延長からの『エーペックスレジェンズ』なんです。僕とかは初めてのシューティングなので、この『エーペックスレジェンズ』自体にかけた時間は変わらないと思うのですが、ぜんぜん仁嶺のほうがうまいですね。プレイスタイルを見て勉強したりしています。


──こんなご時世ですが、外に遊びに行くならどこで誰とですか?
阪口さん:プライベートで会うといったら、やっぱり仁嶺か、一斗ですかね。世の中がこうなる前は、僕が関東にいたときに一緒にどこか行くという感じでした。あまり遊び方がわからないので、何かをするわけではなく普通に食事に行くくらいです。ただ、スーパーGTでK-tunes Racingに所属させてもらった2年くらい前からゴルフをするようになりました。


──それは新田守男選手と影山正彦監督の影響ですね。
阪口さん:はい。“師匠”のふたりに教えてもらいながらやっていますが、ちょっとレースが忙しくなってしまったので最近は落ち着いています。昨年の終わりくらいはすごく楽しかったです。


──え〜、あえて聞かせていただきたいのですが、宮田莉朋選手はどういう存在ですか?
阪口さん:莉朋はいちばんのライバルだと思っています。年齢も同じで誕生日も近いんです。ほぼ同じようにステップアップしてきて、育成は別でしたが、昨年もスーパーフォーミュラ・ライツでチャンピオン争いをしました。今年もふたりでSFのチャンピオン争いができれば良いですね。とりあえず、同じレースに出るライバルですが、実はプライベートでも、莉朋が大阪に来たときに、遊んだこともあります。


──ほほう。では仲は悪くはないと?
阪口さん:仲悪くしたいんですか? ワルいなぁ〜。


──ええまあ(笑)。(編注:周囲からは『ふたりは仲悪い』説をたびたび聞いていたのです)
阪口さん:いや、分かりますよ(笑)。僕がこう言ってるだけで、莉朋は『キライ』と言っているかもしれないので。でも、正直昨年はさすがにあまり話さなかったですね。


──たぶん表彰式の前後とかで話したくらいですよね。
阪口さん:そうです。やっぱり意識はしていたし、こんな言い方をして良いのか分からないですけど、昨年のスーパーフォーミュラ・ライツはかなりの面でふたりだけのレースをしていた気がするので、なんとしても勝ちたかった気持ちもありました。でも最終戦が終わって、スーパーフォーミュラのテストをするくらいのときから仲良く話をしたので、関係は良好だと思います。

2020年スーパーフォーミュラ・ライツ第6ラウンド富士での阪口晴南と宮田莉朋
岡山公式テストでの阪口晴南と宮田莉朋


次ページ:■想定していなかったSFのデビュー


──では、これまでのキャリアで辛かったことはなんですか?
阪口さん:う〜ん……。ホンダさんの育成を外れたことじゃないでしょうか。あれは自分のレースキャリアにおいて悔しい意味でいちばん印象に残っているシーンですし、ずっとホンダさんの育成でやってきて、いきなり16歳でF3デビュー(当時は限定ライセンスでの参戦)し、カートでもチャンピオンを獲ってスクールも合格して、誰が見てもトントン拍子だったと思うんです。そんな順調に来た自分のレースキャリアからしたら、育成を外れるのはいちばんの挫折だったと思います。あのときの年末年始は本当に辛かったです。


──その後のことを、言える範囲で教えて下さい。阪口家はINGINGさんと近い存在だと思うのですが。
阪口さん:INGINGさんには以前から良平さんがお世話になっていたのですが、それくらいだと思います。良平さんを通じてご挨拶させていただくことはありましたが、直接面識はありませんでした。そんななかで、その頃、K-tunes Racingは岡山トヨペットさんとINGINGと共同でやっていたので、代表のおふた方と初めてお会いしたんですね。そこからなので、なんと言ったらいいのかな、お二方は僕からしたら正直“救世主”ですね。


──昨年のスーパーフォーミュラ・ライツにはB-MAX RACING TEAMから参戦しましたが、その参戦の背景にもINGINGさんからちょっとサポートがあったのですか?
阪口さん:ちょっとじゃないですね(笑)。結構しっかりとサポートをしてもらいました。


──そこからスーパーフォーミュラまでたどり着いたということですね。人生何があるか分からないですね。
阪口さん:分からないですね〜。本当に3年前の自分からは想像できないです。昔からスーパーフォーミュラには出場したいと思っていましたが、まさかこのチームからデビューできるとは思ってもいなかったです。それこそ2015〜2017年あたりはこのチームの黄金時代だったので、今そのチームに自分が乗れているというのが不思議な気持ちです。


──なるほど。で、最近悩みはありますか? レースのことでもプライベートのことでも良いですよ。その悩みを次のお友だちにどう解決したらいいのか相談したいと思います。
阪口さん:悩みですかぁ。う〜ん。難しいですね。お友だちについては、前回先輩(石浦選手)からこのバトンを繋いで頂いたじゃないですか。なので、あえて先輩に返そうかなと。


──……!?
阪口さん:流れ的に同期にいくような感じではなく、もう一度目上の方にバトンを繋ごうという意味で。新田守男さんでどうでしょう?


──……難しいところ来ましたね(笑)。たしかに新田さんは超優しくて、いろいろと教えてくれますけど、なんかプライベートのことは聞けないなぁ。
阪口さん:まぁまぁ(笑)。石浦さんはプライベートのことは話してくれたんですか?


──あんまり話してないですがね。……じゃあお悩みはどうしましょうか?
阪口さん:レースの方は、ありがたいことに乗せていただきたいところに乗せてもらっているし、スーパーGTも開幕戦はどうなるか分からない(この取材はSF第1戦時に実施)ですがうまくいっているので、特にレースについてのお悩みはないですが、その悩みを自分で考えられるようにならないといけないなとも思っています。

2021年スーパーフォーミュラ 阪口晴南(P.MU/CERUMO・INGING)
スーパーフォーミュラ第1戦富士決勝で8番手を争う阪口晴南と宮田莉朋


■阪口晴南さんのお悩み


──ふむふむ。
阪口さん:あえてそれ以外のことでお話しすると、『人の気持ちをそこまで深く考えない人間』で育ってきてしまいました。レーシングドライバーやスポーツ選手にはありがちかもしれないですが、自分が結果を出すためには、いかにストイックさを積み重ねていくかじゃないですか。なので人の感情を考えたり、相手が『こう思っているのかな?』というのに、ちょっと疎いんですよ。ひとりっ子のB型というのもあるのかもしれないですが、知らぬ間に相手を傷つけているんじゃないかという想いがあります。


──ほうほう。
阪口さん:長く僕の友達でいてくれている友人も、僕には『そういうところがある』と分かっていながらも付き合ってくれていて、すごく優しくてイイ奴ばかりなんです。そういう周囲に甘えてきたのかもしれないですけれどね。


──とはいえ、ずっとそれじゃ良くないですからねぇ。
阪口さん:そうなんです! なので『どうすれば人を思いやることができますか?』ということを新田さんに聞きたいです。新田さんはすごく優しくて、それこそレースのことも僕がペーペーで入ってきて、新田さんは何十年というレースキャリアがあって、GT300クラスでは最多勝じゃないですか。


──そうですねぇ。
阪口さん:なのに僕が入った1年目のとき、僕が『こうしたいんですけど』というアイデアを取り入れてくださって、エンジニアさんに対する僕の発言が至らない点も間に入ってカバーしてくれて、より分かりやすく伝えてくれたりもしてくれました。それで僕のパフォーマンスも上がるし、なんというか、若手のこともきちんと思いやってくれます。
 変な言い方かもしれないですが、自分よりも下の立場の人にも、すごく気を遣われる方なんですよ。そういうところが尊敬できますし、だからこそふたりで良い結果を残せました。ということで、ちょっと先の話かもしれないですが、もし僕が長くレーシングドライバーを続けられたとして、いつか後輩たちに指導しなければいけない立場になったとき、『人のことを考える』『思いやる』にはどうすれば良いのかなと。今すぐ取り入れるわけではないですが、将来どうすれば……というところが聞きたいです。


──なるほど。ではそれを聞いてみましょう。
阪口さん:汗かきそうです(笑)。


──では最後に。今シーズンの意気込みをお願いします!
阪口さん:スーパーフォーミュラは、ルーキーイヤーで本当にたくさんの方に支えてもらいました。ひと言でまとめられそうにないですが、スーパーGTのK-tunes Racingの話もそうで、すべてのことが繋がって今このスタートラインに立つことができているので、そこにはとにかく感謝です。出るからには、1年目でなかなか最初はリザルトが安定しないかもしれないですが、目立つレースというか、ルーキーらしく思いきり走り、1勝をつかんでシーズンを終えたいなと思います。


 スーパーGTは、まだ体制が確定はしていませんが、速く走るということは両カテゴリーとも一緒だと思います。もし代役でGT500クラスのチャンスが頂けるのであれば、それはそれでチームのために全力で走って良い結果を残さないといけないですし、GT300クラスのK-tunes Racingでは、昨年は悔しい思いをしたので、今年は体制もすべて同じ状態で挑みます。だからこそ自分たちの真価が問われると思うので、しっかりと結果を残したいと思います。


──ありがとうございました!


* * * * *


 というわけで、2回目にしてちょっぴりマジメ(?)なような、阪口晴南選手らしい爽やかな取材になりました。そして、すでに次回の新田守男選手への取材も終了致しました。阪口選手の悩みへの回答はいかに……? そして新田選手は誰を紹介したのか……? 次回もお楽しみに!

2019年からGT300でコンビを組んできた新田守男と阪口晴南

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