『スカイラインGT-R(BCNR33型/1996年編)』地道な改良も苦戦。連覇記録、ついに途切れる【忘れがたき銘車たち】

2024年4月17日(水)6時11分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、1996年の全日本GT選手権のGT500クラスを戦ったBCNR33型の『ニッサン・スカイラインGT-R』です。


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 1995年、BNR32型に代わって全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラス(1995年時点でのクラス名称はGT1)へと投入されたBCNR33型のニッサン・スカイラインGT-R。


 そんなR33 GT-Rは、トヨタ・スープラなどのライバルと比較して速さでは遅れをとっていた面もあったが、安定した戦績を残してデビューイヤーながらシリーズチャンピオンを獲得することに成功する。


 そして翌1996年。そのタイトルを防衛すべく、ニッサンはR33 GT-Rにさらなる改良を施した。


 1996年モデルのR33 GT-Rは、まずドライサンプ化でエンジンの搭載位置を大きく下げたほか、車体も軽量化。さらにリヤウイング、フロントスポイラーおよびバンパー形状など空力パーツのデザインも変更した。


 加えてリストリクター径も拡大されて(第4戦以降)、40馬力近くのパワーアップも果たしていた。


 こうして誕生した1996年モデルだったが、当時、ニッサンはル・マン24時間レースもR33 GT-Rで戦っており、そちらに多くのリソースを割かなければならない事情があった。


 そのため、鈴鹿サーキットで開催された開幕戦にこそ1台だけ新車が導入されたものの、その後は、その1台もル・マンの予備予選用に転用され、本格的な1996年車のデビューは8月に富士スピードウェイで開催された第4戦と大きく遅れてしまった。


 この本格デビュー戦である第4戦では、直前に施行された新車両規定がR33 GT-Rに有利に働いた面もあり、カルソニック スカイラインがGT-R勢にシーズン初勝利をプレゼント。


 しかしこの年は、JGTCに“来襲”したマクラーレンF1 GTRが課せられたハンデをものともせず、圧倒的な強さを見せていたこともあって、R33 GT-Rの勝利はこの1度のみに終わってしまう。


 結果、1994年のJGTC本格始動年から続いていたGT-Rの連覇記録は途切れてしまったのだった。

1996年の全日本GT選手権第4戦富士を制したカルソニック スカイライン。星野一義と影山正彦がステアリングを握った。
1996年の全日本GT選手権最終戦MINEを戦ったZEXELスカイライン。鈴木亜久里と福山英朗がドライブした。
長谷見昌弘と田中哲也のドライブで1996年の全日本GT選手権最終戦を戦ったユニシアジェックススカイライン。


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