藤波辰爾が「弔辞」をささげる…“過激な仕掛人”新間寿さん「告別式」…30日に感通寺

2025年4月27日(日)10時29分 スポーツ報知

新間寿さん

 今月21日に90歳で亡くなった“過激な仕掛人”とうたわれた元新日本プロレス専務取締役の新間寿さんの告別式が30日午前10時から実家となる東京・新宿区の感通寺で営まれる。

 弔辞をレスラー代表として藤波辰爾が読み上げることが決まった。藤波は、1978年1月23日にニューヨークのMSGで藤波辰爾(当時は辰巳)がWWWFジュニアヘビー級王座を奪取。新間さんのプロデュースで当時、日本マット界には定着していなかった「ジュニアヘビー級」を開拓し「ドラゴンブーム」を巻き起こし、トップレスラーの地位を確立した。「僕にとって恩人」という新間さんへ藤波は万感を込め弔辞を読み上げる。

 また、新間さんが会長を務める「ストロングスタイルプロレス」を主宰し現在、メニエール病で闘病中の初代タイガーマスク佐山サトルも体調が良ければ弔辞をささげる。

 新間さんは、中大を卒業後に化粧品会社に就職したが、1966年10月に親交があった豊登さんが旗揚げした東京プロレスに入社しフロントとしてプロレス界に飛び込んだ。同団体はわずか3か月で崩壊。猪木さんと訴訟合戦となるなど確執が生まれたが、和解し1972年秋には、猪木さんが同年3月に旗揚げしたばかりの新日本プロレスに入社した。

 以来、猪木さんのマネジャーとして当時は「禁断」と呼ばれたストロング小林、大木金太郎との大物日本人同士の対決、ムハマド・アリとの「格闘技世界一決定戦」を頂点とする異種格闘技戦、全世界のベルトを統一する「IWGP」などロマンあふれる企画で猪木さんをプロデュースした。

 さらに、WWF(現在のWWE)のビンス・マクマホン代表と公私にわたる親交を深め、新日本プロレスとニューヨークマットの距離を深めた。1981年4月には、佐山サトルが変身したタイガーマスクをプロデュースし日本中に空前のブームを起こした。89年夏には参院選に出馬した猪木さんが結成した「スポーツ平和党」の幹事長として政治家「アントニオ猪木」を支えた。その後、猪木さんとは決別したが、20年前に佐山が「リアルジャパンプロレス」(現ストロングスタイルプロレス)を設立し、同団体の会長を務めプロレス界の発展に生涯をささげた。

 新間さんの通夜は29日午後6時半に同じ感通寺で営まれる。

スポーツ報知

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