なかなか勝てない日々、“屈辱的大不振”も経験 西郷真央、メジャー制覇までの紆余曲折

2025年4月28日(月)11時0分 ALBA Net

まだ23歳だが、西郷真央がここに至るまでには紆余曲折があった(撮影:南しずか)

<シェブロン選手権 最終日◇27日◇ザ・クラブatカールトン・ウッズ(米テキサス州)◇6911ヤード・パー72>

西郷真央が、5人によるプレーオフを制し米ツアー初優勝をメジャーの舞台で飾った。日本女子ゴルフ界にとっても、メジャー制覇は昨年「アムンディ・エビアン選手権」を制した古江彩佳以来となる、史上5人目の快挙だ。ラウンド後には「諦めずやってきてよかった」とも話していたが、ここにたどり着くまでに23歳はさまざまな葛藤も味わってきた。


父の影響で5歳からゴルフを始めた西郷は、ジュニア時代からジャンボ尾崎のもとで腕を磨き、2019年の「日本女子アマ」で優勝。そしてまだ千葉・麗澤高3年生だった同年11月にはプロテストで一発合格を果たした。同い年の同期には山下美夢有、笹生優花がいる。

ルーキーイヤーはコロナ禍の20年。後に21年シーズンと統合されたが、この2年間で1億7899万7891円を稼ぎ、賞金ランク4位になるなど、順風満帆なプロの滑り出しといえる。ただ、特に21年は、トップ10入り21回、「日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯」、「日本女子オープン」など2位にも7度なりながら、なかなか勝てない日々を過ごした時期でもあった。

ようやく悲願が成就したのが、22年の開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」。2位の黄アルム(韓国)に1打差のトータル10アンダーでツアー初優勝を飾った。優勝スピーチでは「複数回優勝できる強いゴルファーになりたい」と決意を語り、取材にも「よろこびの涙を流すにはまだちょっと早いかな、というのが自分の中にはあります」と、終始、笑顔のフィナーレに。今回は涙を流してよろこびを語っていたが、それとは対照的な姿だった。

ここから堰を切ったように、優勝を重ねる。ダイキンの勝利を皮切りに、「アクサレディス」、「ヤマハレディースオープン葛城」、「パナソニックオープン」、「ブリヂストンレディス」と、5月までのわずか2カ月で5勝を挙げた。一躍、女王候補に、躍り出る活躍ぶりだ。

さらにこの年は「全米女子オープン」(44位)、「KPMG全米女子プロ選手権」(30位)、「アムンディ エビアン選手権」(3位)、「AIG女子オープン」(予選落ち)と海外メジャーも4試合経験。順調に歩みを進めていたが、秋口に入ると異変が。徐々に調子を落とし始め、ドライバーなど不振に悩まされることになる。

ブリヂストンレディスを最後に勝利から見放され、シーズン最終戦の「JLPGAツアー選手権リコーカップ」では、3日間80台を叩き、トータル35オーバーという屈辱も味わうことになる。後に、この時期について「クラブを握りたくないと思った時期もありました」と、“どん底”だったことも振り返っている。

「死ぬ気で練習した」。そんなオフを過ごし、23年は復調の兆しを感じさせる1年に。好不調の波こそあったが、“らしい”プレーも見せるようになっていた。この年には「シェブロン選手権」にも初出場し、予選通過を果たしている(65位)。最終日こそティショットの乱れから「79」と崩したが、「オフのころを考えれば、この試合に来られたことが奇跡」と、手応えも口にしていた。

完全復活を印象づけたのは、シーズン終盤戦の「伊藤園レディス」。ここで1年6カ月ぶりとなる勝利をつかみとった。「すごく苦しい時期が長かった」とも語ったが、特別な1勝だったはずだ。そしてこの年には、米ツアー挑戦も公言。年末の最終予選会を2位で通過し、ツアーメンバー入りを果たした。

“ルーキーイヤー”となった昨季は、2度の2位を経験したが、やはり優勝には手が届かなかった。それでもルーキー・オブ・ザ・イヤー(最優秀新人賞)に輝き、CMEグローブ・ポイントランキングは9位という1年を過ごすことができた。プロ転向からまだ6年目だが、酸いも甘いも経験。その行く先は、海外メジャーという舞台で大輪の花を咲かせる、という結果だった。


<ゴルフ情報ALBA Net>

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