「魔神、聞いてる?と長嶋さんから言われて…」ハマの大魔神 佐々木主浩氏が明かした日本球界復帰時の”秘話”とは

2024年5月21日(火)17時36分 ココカラネクスト

佐々木氏は抑えとして、98年の日本一にも大きく貢献した(C)産経新聞社

 「ハマの大魔神」で知られた佐々木主浩氏といえば、直球とフォークのコンビネーションを主体に並みいる打者を封じ込めたことで知られる。

 1990年にドラフト1位で大洋に入団すると91年からリリーフとして活躍、95年からは4年連続リーグ最多セーブをマーク。特に98年には守護神として45セーブを記録するなど、チーム38年ぶりの日本一の立役者となった。

 その後、海を渡り、2000年にマリナーズに移籍すると、メジャーでも同年に37セーブをマークし、新人王を獲得と輝かしいキャリアを築いた。

 その後は再び、2004年に横浜ベイスターズに復帰となったが、実はライバル球団に移籍する可能性もあったという。

 佐々木氏は巨人、西武、楽天でもコーチを務めた大久保博元氏のYouTubeチャンネルに出演。5月15日までに更新された動画内で当時の裏話を明かしている。
    
 まずメジャー在籍時の話として、当時はアレックス・ロドリゲスなどもマリナーズに在籍した時代とあって、現在でも親交は続いているとした。ほかにも動画内ではメジャー時代の死球の扱いや乱闘などについて触れながら、話は自身の日本球界復帰時の出来事へ。偶然にも佐々木氏と当時、巨人軍の終身名誉監督を務めていた長嶋茂雄氏の行きつけの寿司屋が一緒という縁があったという。

 当時のことを佐々木氏は動画内でこう語っている。久々の帰国で店を訪れたところ、長嶋氏と対面したとして「ミスター(長嶋氏)がいて『こんにちは。お久しぶりです』と言ったら、『魔神(佐々木氏)、聞いてる?』と言われた。『何ですか?』と聞いたら、巨人からマリナーズにオファーを出していたんですよ。聞いてなかったので、代理人に確認したら『実際に来ているよ』」と、驚愕の事実が明らかになったという。

 その後、長嶋氏と実際に何度か話し合いの場を持ったというが、結局、巨人に入ることはなく古巣の横浜に復帰した。その決断の理由についても次のように語っている。

 「ミスターと何回か会って話をしたときに、アメリカ行ったときと同じ(考え)ですよ。『ジャイアンツのユニフォームは着ることはできない』と。(自身は)めっちゃジャイアンツファンですよ。長嶋さん、ミスターファンなので。江川(卓)さんのファンでもあるし、原(辰徳)さんとか、あそこら辺の時代が小さいころですから。ファンであるけれども(巨人のユニフォームを)着るということはなかなか。それでベイスターズに話をして、『帰ってきたいんだけど』と話をしてベイスターズなんですよ」

 佐々木氏は大久保氏の14日に公開された動画内でメジャーに渡ったときのいきさつとして、FA権を取得して、球団からは好きに使っていいと言われながら、当時、巨人からもオファーがあったとした。

 その際にも「『これでジャイアンツに行ったら、ベイスターズファンを裏切るし、無理だな』と思って。『じゃあアメリカ行くか』と。仕方がないから、アメリカに行きました。(アメリカで)やってみたい気もありましたし」とベイスターズ愛を語っていた。日本球界復帰時も最終的に巨人を断り、古巣復帰を選んだのは入団時から応援してくれたファンの存在が決めてになったようだ。

 結局、佐々木氏は2005年限りで引退。計16年のプロ生活で日米通算381セーブを記録するなど、唯一無二の成績を残した。

 動画内ではほかにも同氏が指導者への意欲を語る場面もあった。

 いつの日か、指導者としてベイスターズのユニホームを着る日はめぐってくるのか。今後も注目を集める存在となりそうだ。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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