「落合さんも打てなかった」佐々木主浩氏が高く評価した"希代のシュートピッチャー"とは

2024年5月14日(火)16時40分 ココカラネクスト

横浜で長く活躍した盛田氏の強気なピッチングは知られていた(C)産経新聞社

 落合博満氏といえば、史上初の3度の三冠王に輝くなど、天才バッターとしてその名をとどろかせた。

 一方、そんな落合氏が苦手にしていたピッチャーがいた。当時の話を振り返ったのは「ハマの大魔神」で知られた佐々木主浩氏(現野球評論家)だ。

 横浜でクローザーとして98年の日本一に貢献、その後は米メジャー、マリナーズで1年目に2勝37セーブで新人王を獲得した。

 そんな佐々木氏が、巨人、西武、楽天でもコーチを務めた大久保博元氏のYouTubeチャンネルに出演。5月13日に更新された動画内で現役時代の対戦相手秘話を明かした。  
 
 まず現役時代の落合氏との対戦に関しては「落合さんがすごいのはまっすぐを打ち損じない、甘く入ってきたまっすぐを打ち損じしない」と話した。

 直球、フォークのコンビネーションで知られた同氏だったが、落合氏との勝負時には意図的に直球勝負を挑んでいたとした上で、甘く入った直球を見逃すことはなかったとした。

 また平成の名勝負としても知られた、当時巨人の4番を務めた松井秀喜氏との対戦に関しても、ルーティンがあったという。

 「松井は頑固、待ち球をずっと待ち続ける」(佐々木氏)傾向があったとした上で、対戦時には初球で狙い玉をさぐった上で当時、バッテリーを組んでいた谷繁元信氏とともに配球を組み立てていたと明かした。

 一方で長く守護神として活躍する中で「調子がいいときはほとんどなかった」とも話した。調子がいいときに限って登板機会がなかったりなど、その上で状態が悪くても抑える術を見つけていったとした。

 さらに落合氏との対戦に関して当時の思い出深かった点として、同僚ナインの名前もあげた。

 「奇跡のストッパー」といわれた盛田幸妃氏、1988〜97年まで横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズで活躍、その後、98〜2002年まで近鉄バファローズでリリーフエースとして足跡を残したが、脳腫瘍のため、45歳の若さで早世した。

 盛田氏といえば、持ち球の切れ味抜群のシュートを武器に、どんな強打者にも向かっていく強気のピッチングで知られた。1992年には、最優秀防御率のタイトルを獲得、横浜時代には佐々木氏につなぐ必勝リレーから、2人で「ダブルストッパー」と並び称された時代もある。

 そんな盛田氏に関して佐々木氏も「シュート、えぐいっすよ」とした上で「あれは落合さん打てないですよ」と落合氏も苦手としていたと明かす。

 理由としては「盛田、平気で(打者に向かって)行くんで。『いや、抜けたんですよ』と言って、本当(きわどいところ)狙ってますからね」「あいつは、肝座ってる」と改めて勝負度胸が抜群だったとした。

 96年シーズン、4月12日の巨人戦では落合氏に対して、頭部付近を襲う速球を盛田氏が投げ込んだことでも話題を集めた。

 このようにどんな大打者に対しても向かっていく姿勢を崩さなかったことも、キャリア形成につながったとされる。

 動画内ではほかにも、佐々木氏がメジャー挑戦した際の「真相」や、ドジャースに移籍後も活躍を続ける大谷の打撃についての見解も述べている。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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