横綱大の里、二所ノ関親方と歩んだ「唯一無二」のスピード出世…「横綱から横綱を」部屋の信念脈々と
2025年5月28日(水)12時46分 読売新聞
横綱昇進が決まり、笑顔を見せる大の里関(右)と二所ノ関親方(28日午前10時18分、茨城県阿見町で)=浦上太介撮影
第75代横綱に昇進した大の里関(24)は、師匠の二所ノ関親方(38)の指導で素質が大きく開花した。学生時代から注目され、プロ入り時は争奪戦となった大器が選んだのは、たたき上げの元横綱稀勢の里が率いる二所ノ関部屋。初土俵から所要89場所で横綱にたどり着いた師匠が苦労と経験を伝え、驚異的なスピード出世を後押しした。
「本当にうれしい。よりいっそう、これからが大事になってくると思うので、さらに身を引き締めて頑張りたい」。28日、伝達式後の記者会見で、大の里関はそう語った。
口上では、大関昇進時と同じ「唯一無二」を使った。26日には違う言葉を使う考えも語っていたが、「やっぱり自分にはこの言葉しかないと思った」と経緯を明かした。目指す横綱像を問われた大の里関は「未知な世界だと思っている。今まで通り、スタイルを崩すことなく、唯一無二の横綱を目指して頑張っていきたい」と述べた。
「横綱から横綱を」。二所ノ関部屋のホームページには、稀勢の里が師匠だった鳴戸親方(元横綱隆の里)と握手する写真とともに、この言葉が添えられている。隆の里を育てたのも元横綱初代若乃花の二子山親方。横綱が横綱を作るという信念は脈々と受け継がれ、大の里関の横綱昇進によって、その系譜は4代まで延びた。二所ノ関親方は2021年8月に独立してから4年弱で横綱を育て上げ、「入門してから地道にやり続けてきた稽古が少しずつ身になってきた。稽古はうそをつかないというのがはっきり出た」と喜んだ。
稀勢の里が所属した鳴戸部屋の稽古は厳しかった。多くの部屋は午前中で稽古が終わるが、鳴戸部屋は昼過ぎまで続くこともしばしば。師匠が稽古で負けた力士に対し、「土俵の外には剣山があると思いなさい。そんな状況でも簡単に土俵を割るのか」と
現役時代、師匠から基礎運動の重要性を指導されてきた二所ノ関親方は、部屋に土俵を2面設けて四股やすり足に時間を割いた。素質も実績も十分の大の里関でも特別扱いせず、幕下以下の力士と同じメニューを課してきた。「基礎をしっかり教えてもらえてありがたい」と謙虚な姿勢で取り組む大の里関の姿を見て、師匠も「言われたことを素直にやり続けてきた」と褒める。
綱取りに挑んだ夏場所前にも、師匠と相撲を取る稽古をして、体で思いを受け取っていた大の里関。記者会見で、大の里関は横綱土俵入りを師匠と同じ雲竜型にすることを明らかにした。向上心を持ち続けてきた師弟が、ついに目指していた頂に到達した。
地元・石川「誇らしく、うれしい」
大の里関の横綱昇進を受け、地元・石川県でも喜びの声が上がった。
高校時代の大の里関を指導した、同県加賀市の会社員三輪隼斗さん(30)は「まさか身近な人が横綱になるとは。誇らしく、うれしい」と声を弾ませた。
夏場所終わりに「優勝おめでとう」と連絡すると、「石川に戻った時はまた会いましょう」と返信が来たという。「横綱として、圧倒的な相撲を取り続けてほしい」と期待を寄せた。
大の里関が小学生時代に通っていた同県津幡町少年相撲教室で、コーチとして指導した今村健作さん(54)は「楽しむ気持ちを忘れずに成長しながら、長い相撲人生を過ごしてほしい」とエールを送った。
金沢市の金沢駅では「祝横綱」と大の里関の昇進を祝う貼り紙などが登場。観光で訪れた長野県須坂市の自営業(75)は、大の里関の大ファンだといい、「けがなく息の長い横綱になってほしい」と話した。