“また”終盤戦失速のラツィオ…希望の光・インモービレは得点王に輝けるのか

2020年7月26日(日)19時0分 サッカーキング

C・ロナウドとの得点王争いに挑んでいるインモービレ [写真]=Getty Images

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 終盤戦失速。これがシモーネ・インザーギ体制のラツィオに突きつけられていた課題だった。しかし、今季もこれを克服することができず、コロナ禍による長期中断からの再開後に痛恨のペースダウン。中断中には、万一、リーグが打ち切りになった場合、「タイトルはラツィオに与えられてしかるべきだ」という声も多かったほどだ。それは、昨年12月7日のユヴェントスとの戦いで3−1と勝利。さらに同22日のスーペルコッパでも3−1とセリエA8連覇のチームから2連勝して凱歌を揚げたことが大きく起因する。この2つの勝利が、ラツィオの評価を大きく押し上げた。そして期待は、1999−2000シーズン以来のスクデットへと高まっていた。

●スクデットを目指し再発進のはずが…ラツィオが再開後に陥った苦境

 リーグ再開前、首位ユヴェントスと勝ち点差1の2位につけていた。ところが、6月24日の再開後の初戦でアタランタに2−3と競り負ける。すでにサッスオーロとの未消化分だった第25節の一戦で4−1と大勝していたアタランタにはアドバンテージがあったようにも思えるが、ラツィオは2点をリードしながらも大逆転負け。続く、フィオレンティーナ戦、トリノ戦といずれも先制を許す厳しい戦いではあったが、逆転勝利を挙げ2連勝し、ユーヴェとの勝ち点差を4として優勝争いに踏みとどまる。だが、再開後に好調のミランとの一戦で、0−3と完敗を喫すると、レッチェには開始5分にフェリペ・カイセドのゴールで先行しながらもひっくり返され、降格圏のチームにまさかの1−2と敗戦。サッスオーロにも、1−2と逆転負けし3連敗。ユーヴェとの勝ち点差は8と開いた。

 ウディネーゼとはスコアレスドローに終わり、そして7月20日のユーヴェとの直接対決。開始6分に、バストスがペナルティエリア付近でハンドの反則をとられる不運のPKではあったが、その直後にルイス・フェリペが最終ラインでボールを失い、2点目を許したのが痛かった。1−2と敗れ、ジ・エンド。勝っていれば、勝ち点を77に伸ばし、ユーヴェとの差を5としていたが、双方の勝ち点差は11と開いた。

 緊急事態下のセリエAは、交代枠が5人に増え、戦力が決して厚いとはいえないラツィオはこの点で不利だったのかもしれない。しかし、それ以上に急降下した要因はメンタル面にあったと思われる。ラツィオはS・インザーギがチームを指揮していてから、毎シーズン、終盤戦に調子を落とした。2016−17シーズンは、ラスト3試合を3連敗し、4位から5位に順位を落としてシーズンを終えた。2017−18シーズンも最後の3試合で2分け1敗で4位から5位に後退。最終戦のインテルとの直接対決に2−3と敗れ、チャンピオンズリーグ出場権を逃したのは痛恨の極みだった。そして、2018−19シーズンは残り9試合を2勝2分け5敗で終え、第29節には5位だった成績も8位まで落とした。今季は20年ぶりのスクデット獲得が期待されたこれまでにない重要なシーズンだったが、過去3シーズンと同じように右肩下りに順位を落とし、またしても同じ轍を踏んでしまった。残り3試合でユーヴェとの勝ち点差が8とあり、かすかに優勝の可能性は残されているが、それは数字上のものでしかないだろう。

●落胆に暮れるラツィアーレ…残す希望はインモービレのみ

 3度目のスクデット獲得はラツィアーリにとって、心願であった。なぜならそれは永遠のライバルであるローマに優勝回数で並んでいたからだ。ラツィアーリの失望は計り知れない。それでも、チームには希望の光がある。ユーヴェのクリスティアーノ・ロナウドと熾烈な得点王争いを演じているチーロ・インモービレの存在だ。実は2人が30得点を上回り、得点王のタイトルが争われるのは1950−51シーズン以来となる出来事だ。インモービレはトリノ時代の2013−14シーズンには22得点、ラツィオ入団後2年目の2017−18シーズンは29得点をマークし、インテルのマウロ・イカルディ(現パリSG)と得点王の称号を分かち合っているが、今季はその2シーズンを上回るキャリアハイの31得点を挙げている。

●貧しかった幼少期から紆余曲折、ラツィオの王に

 2月20日に30歳の誕生日を迎えたチーロは、ナポリのトッレ・アンヌンツィアータの生まれだ。ナポリ市から南にヴェスビオ山を越えた海辺の街。ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られるポンペイと隣接している。風光明媚な場所ではあるが、「幼いころの友達の多くは刑務所にいる」とチーロが言うほど、貧しく、犯罪が絶えないところでもある。それでもチーロは、イタリアの名曲の一つ『帰れソレントへ』の舞台であるソレントと同名のクラブに12歳から所属。2006−07シーズンには30ゴールを挙げる活躍もあり、同郷のナポリ人、チーロ・フェッラーラの進言によって、17歳のときにユヴェントスに引き抜かれることとなるのだ。名門に加入後もトッププレーヤーへの階段を着実に上り、2009年3月14日のボローニャ戦では、ついにセリエAデビューを果たす。「憧れていた選手」と語るアレッサンドロ・デル・ピエロとの交代出場でピッチに立った。その翌年には、若手選手の登竜門「トルネオ・ディ・ヴィアレッジョ」で10得点を挙げて得点王に輝くとともに、チームの優勝にも貢献した。だが、トップチームにとどまることはできず、シエナ、グロッセート、ペスカーラとレンタルで渡り歩くこととなる。転機が訪れたのは、2011−12シーズンに在籍したペスカーラの一員として戦ったセリエBでの1年、名伯楽ズネデク・ゼマン監督との出会いだ。3点取られても4点奪って勝つような超攻撃的スタイルを敷くゼマンのもと、このシーズンに28得点を奪い、セリエBのゴールキングの称号を獲得した。

 翌2012−13シーズンは、ユーヴェと共同保有権を持っていたジェノアに移籍。すると、この1年の成績が5得点と振るわず、ユーヴェは共同保有権を解消。その半分の権利がトリノに譲渡され、2013−14シーズンをプレーすることとなり、"イタリアの恋人"(ユーヴェの愛称)に復帰することは叶わなかった。けれども、ユーヴェの売却は失敗だった。なぜなら、チーロはこのシーズンに22得点を挙げ、セリエBに続き、セリエAでも得点王に輝くのだ。権利を解消したばかりでこの活躍を目の当たりにしたユーヴェ首脳陣は、ほぞをかむ思いをしたはずだろう。セリエA得点王のタイトルを得ると、1940万ユーロでユルゲン・クロップが率いたドルトムントに引き抜かれるが、初めての国外移籍は思い描いたサクセスストーリーを描けず、ブンデスリーガでは3得点にとどまってしまった。だが、CLの舞台では6試合の出場で4得点。アーセナルからも得点を決めている。決して失敗の二文字で片付けてはならない1年だった。

 そして、セビージャ、トリノへの帰還を経て、2016年夏にラツィオへと移籍する。この1年にリーグ戦23得点をマークし、ラツィアーリのハートを鷲掴みする。翌シーズンには2度目の得点王を獲得。ようやくたどり着いた安住の地で、ラツィオの王となった。6月には、ニューカッスルが総額1億3500万ユーロもの金額を投じて、獲得に乗り出すとの噂がでるほどだが、チーロがラツィオを離れることを想像することは現時点で難しい。23日のカリアリ戦では、苦しみながらも決勝ゴールを奪い、今季の通算得点を31とした。ライバルのC・ロナウドとの得点差を1としている。

 この勝利でCL出場権も手にしたチーロは「3試合を残して、目標を達成することができて嬉しい。うまくいっているときにチームが一つになるのは簡単なこと。でも僕らは悪いときでも一体となれているんだ」とチームの和を強調している。ラスト3試合。経験値や勝負強さからみれば、C・ロナウドが有利に違いない。一方、インモービレには今季15アシストのルイス・アルベルトが控える。絶対的なアシストマンの援軍は大きな強みとなろう。

 20日のユーヴェ戦では敗れたものの、2得点を決めたC・ロナウドとピッチ上で言葉を交わし、満面の笑みをこぼすシーンも見て取れた。コロナ禍により、これまでに経験したことがないほど精神的にもきつかった1年に違いない。最後は、心の底からサッカーを楽しんで、世界最高峰の男との得点王レースを満喫しているのかもしれない。

文=佐藤徳和/Norikazu SATO

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