バイパーでGTLM王者となったクノ・ウィットマーが引退を発表。BMWやマクラーレンなどでも活躍
2023年8月17日(木)16時7分 AUTOSPORT web
元IMSA GTLMチャンピオンのクノ・ウィットマーが、プロフェッショナルレースから引退することを発表した。
SRT(ストリート・アンド・レーシング・テクノロジー)モータースポーツの『SRTバイパーGTS-R』を駆り、2014年のTUSCチュードル・ユナイテッド・スポーツカー選手権(現IMSAウェザーテック・スポーツカー選手権)のGTLMタイトルを獲得したウィットマー。40歳のカナダ人は、ダッジ/SRTをはじめ、BMW、マクラーレンのファクトリードライバーとして活躍し、昨季2022年はAWAからIMSAスポーツカー選手権のLMP3クラスに参戦していた。
Sportscar365の取材に応じたウィットマーは、シーズン途中でAWAと決別した直後の約1年前から将来の選択肢を考え始めたと説明した。
「成長してこのスポーツにのめり込んだとき、モータースポーツの世界で25年過ごすことできたら、何か新しいことに挑戦したいと考えていた。その数字はつねに頭の中にあった」とウィットマーは語った。
「人生は一度しかないからね。僕は別のキャリアに挑戦し、人生において何か違うことをやってみたかったんだ」
「このスポーツに情熱を持っていた僕は去年40歳を迎えて、家にはふたりの息子がいて、『今がその時かもしれない』と思ったんだ」
「(今シーズンに向けて)探していたシートや乗りたいクルマも見つからなかったが、自分が本当にやりたかったことはすべて達成したし、今でもそれはひとつのピースになっている」
「だから、新しいチャプター(章)に進むときが来たんだ。何の影響も受けず、自分で決めたことだ。簡単なことではなかったけど、うまく対処できているよ」
モントリオール出身の彼は最近、医療技術会社ストライカーの整形外科部門で臨床コンサルタントとして新たなキャリアをスタートさせた。
「必要なトレーニングを受けて、肩や足、足首の手術方法や使用するインプラントについて日々、手術中の外科医の相談にのっているんだ」
「本当にクールだよ。ドライバーからOR(オペレーション・ルーム/手術室)への大きな橋が架かっている。なぜなら、それをすぐに担当しなければならないためだ」
「外科医はときどき患者の状態を見て……そして一瞬のうちに決断を下さなければならない」
■ともに闘ったビル・ライリーに感謝
2000年代後半にPWCピレリ・ワールド・チャレンジでアメリカのシリーズにフル参戦する以前、カナダで数々のチャンピオンを獲得したウィットマーは、ファクトリーSRTプログラムでの成功は忘れられないものだという。
「当時のSRTモータースポーツのメンバーやビル・ライリーとの仕事は、間違いなく最高のものだった」とウィットマーは述べた。
「僕にとって、これまで一緒に仕事をした中で最高のチームだった。僕のキャリアのハイライトのために動いていくれたビル、そして彼の設立したチームには脱帽だよ」
「僕たちは2014年のGTLMチャンピオンを一緒に獲得し、その4カ月後に(ファクトリー)プログラムが廃止されると、今度はライリー・モータースポーツとしてデイトナで一緒に(GTDクラス)優勝したんだ」
「それは信じられないことだった。我々はその後も連絡を取り合っていて、今年初めまで僕はLMP3マシンに乗る彼の(チームの)ドライバーたちを指導していた」
「彼はいつも僕の面倒を見てくれたし、僕が働いていたチームのボスであるだけでなく、この業界でもっとも素晴らしい友人のひとりだと思う」
さらにウィットマーは、「父をはじめ、僕のキャリアを助けてくれた偉大な人たちにも感謝しなければならない」と語った。
「僕の家は決して裕福ではなかった。だから、つねにスポンサーや物々交換、交流が中心だった。父は多くの交渉を重ねながらいつも僕をサポートし、導いてくれた」
■カナダからアメリカへ。そして大手メーカーと契約
「2000年代初期にカナダ選手権で優勝したことが、2006年と2007年にリアルタイム・レーシングに乗るきっかけになった。それがアメリカでのキャリアへの扉を開いてくれた」と彼は続けた。
「BMW、マクラーレン、クライスラーなど、いくつかの自動車メーカーと接触し、彼らのストリートカー・テクノロジーの開発プロセスに参加できたことも、僕にとって非常に大きな意味を持つ出来事だった」
「それらはとてもに喜ばしいことだったんだ」
ウィットマーはプロフェッショナルドライバーとしてフルタイムレースから退く一方、ふたたびヘルメットを携え単発のレースに出ることは否定しなかったが、現在は人生の新たなチャプターに集中していると語った。