1万人が死亡した“ローマ兵のおなら”とは? 歴史を変えた一発!教科書にない真実の世界史

2025年1月2日(木)7時0分 tocana


 歴史を変えた「おなら」がある。ある状況下で放たれた1発のおならが1万人の命を奪い、また他方ではおならが反乱を引き起こし、時のファラオを失墜させたというのだ。


■おならが原因で1万人が命を落とす

 帝政ローマ期の歴史家にして軍の指揮官でもあったフラウィウス・ヨセフス(37〜100)は、西暦75年の著書『ユダヤ戦争(The Jewish War)』で、反ユダヤ主義者のローマ兵について説明している。そのローマ兵のおならが、1万人の死をもたらしたというのだ。


 神殿の前の広場で過越の祭り(すぎこしのまつり)を祝っていた多くのユダヤ人の前に、そのローマ兵は現れたという。


「衣服をまくり上げ、下品な姿勢で身をかがめ、お尻をユダヤ人に向けると、そのような姿勢で予想されるようなものを放ちました」(著書より)


 この兵士の行動にユダヤ人たちは激怒し、何人かは兵士とその同僚に石を投げはじめ、暴動にまで発展する。そして鎮圧部隊が神殿に到着して暴動を制圧したが、多くのユダヤ人が踏みにじられて亡くなったという。その数は1万人にものぼったのだ。


■おならで使者を追っ払う

 さらに時代を遡ると、古代エジプトでおならがファラオを王の座から引きずり下ろしたケースもある。


 ギリシアの歴史家ヘロドトスは、紀元前569年にアマシスという名の将軍が扇動された軍隊の反乱を鎮圧するために派遣された一件を記述に残している。反逆者を鎮圧しに来たはずが、なぜか周囲の支持を受けたアマシスは、彼らの新しい王として持ち上げられてしまったのだ。


 時のファラオであったアプリエスは、現地で起こった事態を詳しく調査するため、パタルベミスという名の使者を派遣する。アマシスに会い、裏切り者として連れて帰るように命じたのだ。


 しかし、現地に赴いたパタルベミスがアマシスを叱責すると、アマシスはおもむろに立ち上がって尻を使者に向けて1発のおならを放った。そして「それ(おなら)をアプリエスへの土産に持ち帰れ」と捨て台詞まで吐いたのである。


 任務を果たせずに帰還したパタルベミスが、この一件をアプリエスに報告したとき、王は激怒してパタルベミスの鼻と耳を切り落としたのだった。


 この残忍な行為は王に対する軍と民衆の怒りを引き起こし、ますますアマシスへの支持が強まる。やがて自らファラオを名乗ったアマシスは、紀元前569〜525年まで公式にエジプトを統治することになった。アプリエスは国を追われて逃げたというが、最終的に暴徒に見つかって惨殺されたといわれている。


 日常では何の価値も感じられないおならだが、次に出そうになった時、場合によっては歴史が変わってしまう可能性もあることを思い出してみると少しは意義が感じられるかもしれない。


参考:「Ancient Origins」、ほか


 


※当記事は2022年の記事を再編集して掲載しています。

tocana

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