『べらぼう』蔦屋重三郎の出版人人生の幕開けとなった『吉原細見』。販売も編集も蔦重が務めたその本に記されていたのは…

2025年1月6日(月)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

1月5日から、2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の放送がスタートしました。横浜流星さん演じる本作の主人公は、編集者や出版人として江戸の出版業界を支えた“蔦重”こと蔦屋重三郎です。重三郎とは、いったいどんな人物なのでしょうか?今回は、書籍『べらぼうに面白い 蔦屋重三郎』をもとに、重三郎マニアの作家・ツタヤピロコさんに解説をしていただきました。

* * * * * * *

出版人 蔦重爆誕!


蔦屋重三郎の出版人としての人生は、耕書堂という書店を開いてから始まります。義理のお兄さんが、新吉原大門口、五十間道で茶屋を経営していたので、そのお店の軒先を借りて、書店をやり始めたのです。それがスタートです。

耕書堂で、最初に売り始めたのは『吉原細見(よしわらさいけん)』という本でした。これは、吉原のガイドブックだと考えて下さい。いまでいう風俗誌です。

このとき『吉原細見』を制作していたのは、鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)という人物です。重三郎は『吉原細見』を販売するだけでなく、その内容を考える編集者の役目も担っていました。これは、かなり責任重大なことです。

『吉原細見』には、吉原のすべてが詰まっていないとなりません。どこの遊郭に、どんな遊女がいるか、名前や位。値段。イベントがあればその日付。茶屋や、名物についてなど、あらゆる情報を網羅していなくてはならなかったのです。だって、吉原について知る方法はこの『吉原細見』しかなかったのですから。

いまのように、調べたい情報をスマホで簡単に調べられる時代ではありません。吉原で、お姉さんを買うのは値段が高いため、経験がある人も周りにそう何人もいないのです。それでも、憧れの有名観光地吉原のことは、日本中のみんなが知りたがったし、行ってみたいと恋い焦がれたのです。

こうなってくると、ガイドブックほど重要なツールはありません。重要も何も、吉原のことは本当に『吉原細見』でしか知ることはかなわなかったのです。

吉原にとっても重要だった『吉原細見』


吉原のほうも、自分たちの宣伝をして欲しいと思っていました。幕府が公認している歓楽街だといっても、そこに胡坐をかいて、ただ座っているだけではお客さんは集まってきません。

こんな素敵な遊女がいるよ。こんな面白い遊びがあるよ。この日にはお祭りをやります。値段はこのくらいです。そういった情報は、ある程度出していく必要があったのです。この情報がよくなければ、お客さんは吉原に興味を持ってくれません。

『吉原細見』は、お客さん側にとっては、唯一のガイドブックであり、吉原側にとっては、大事な宣伝媒体だったというわけです。

吉原は日本で一番といえる観光地です。書店を始めてすぐの重三郎がそのガイドブックの編集者に抜擢されるなんて、すごいですよね。ずば抜けた才能を持っていたことが、このことからだけでもうかがえます。

『吉原細見』に書かれていたのは、遊郭のマーク、屋号、店主の名前、遊女のランク、遊女の名前などです。実物が国立国会図書館に保存されていますが、それを見ると、重三郎がいかに、丁寧に情報を詰め込んでいたのかがよく分かります。とにかく、細かい。きっと、できるだけたくさんのことを伝えてあげようと思ったのでしょうね。

1783年刊行のものから、巻末に色々な広告が載るようになりました。これは、蔦屋重三郎が始めたことです。

もうひとつの業務


重三郎は本をつくって出版するという業務のほかに、すでにできあがっている本を貸すという仕事、貸本業もやることにしました。

江戸時代、情報の主軸だった本は、非常に高価なものでした。普通の人たちは、なかなか手に入れることができません。貸本屋から本を借りて読む。読んだら返す。そのスタイルが一般的でした。


(写真提供:Photo AC)

レンタル料は新刊が24文。旧刊が6文くらい。新しい本を購入するとなると、24文の数十倍のお金を払わなくてはなりません。この頃の物価としては、おそば一杯が16文です。本、ちょっと高過ぎますよね。普通の人たちにとっては、レンタルが妥当だったといえます。

情報誌だけではなく、読み物としての本も人気が出てきた時代です。読書を楽しみたいという人も、いまよりたくさんいました。重三郎は、そんな普通の人たちの需要に目をつけたというわけです。

耕書堂の経営を支えた貸本業


この頃の貸本業は、借りにくる人をお店で待ち続けるのではなく、借りてくれそうな人がいるところへ、書店員が本を持って行くというやりかたをとっていました。重三郎も、本を背負い、お客さんのところへ通ったはずです。ここでポイントとなってくるのが、重三郎の商売範囲、ナワバリが吉原だったということです。

位の高い遊女はとても教養があったので、本を読んで色々勉強していました。そんなお姉さんたちのところへ、頻繁に貸本を持って行くわけですから、重三郎は自然と吉原に顔が利くようになります。

内情も知ることになるし、使用人の人たちとも仲良くなっていきます。そして、何より、吉原に通う有名な作家たちとコネを持つことができたのです。

「先生。私は、今度こんな本をつくりたいんですよ」
「次はうちでもかいて下さいよ」

そんな会話があったかも知れません。

コネというのは、そのまま保障になります。トレンドの発信地である吉原で生まれ育ち、自分の一族も働いている。そして、そこで書店の実店舗をかまえている。そんな出版業者って、信用できます。作家の先生たちが、蔦屋重三郎と仕事をするようになったのは、必然なのです。

貸本業は、出版社耕書堂の経営を支えるために、なくてはならない部門だったといえます。

※本稿は、『べらぼうに面白い 蔦屋重三郎』(興陽館)の一部を再編集したものです。

婦人公論.jp

「べらぼう」をもっと詳しく

「べらぼう」のニュース

「べらぼう」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ