『べらぼう』蔦重の師でありライバルだった鱗形屋孫兵衛とはどんな人?『吉原細見』を刊行、「黄表紙本」を広める
2025年1月27日(月)6時0分 JBpress
(鷹橋忍:ライター)
今回は、大河ドラマ『べらぼう』において、主人公・蔦屋重三郎の出版界の師でもあり、ライバルともいえる片岡愛之助が演じる鱗形屋孫兵衛(うろごがたやまごべえ)を取り上げたい。
書物問屋と地本問屋
鱗形屋孫兵衛の話に入る前に、当時の出版について簡単に触れておこう。
江戸の版元は享保年間(1761〜1736)に、取り扱う出版物の内容によって、「書物問屋(しょもつどいや)」と、「地本問屋(じほんどいや)」に二分されたという(松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』)。
書物問屋は、「物之本(もののほん)」と呼ばれる歴史書、儒学書、医学書、仏教経典など、堅い内容の出版物を主に扱った。
江戸の書物問屋の多くは、上方の資本によって設立された店舗、あるいは、上方の本屋が出店したものだった。書物問屋は「下り本(上方で出版された本)」を販売するだけではなく、専門書、および学術書などを出版する版元でもあったという(安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』)。
対して地本問屋は、草双紙(絵入りの娯楽本)、浄瑠璃本、錦絵(浮世絵)など、江戸で出版された(地本)、書物問屋に比べて娯楽性の強い出版物を扱う。
地本問屋にも、版元としての一面もあった。
今回、ご紹介する鱗形屋孫兵衛は、江戸根生い(ねおい/生え抜き)の地本問屋である。
鱗形屋孫兵衛
鱗形屋孫兵衛は明暦年間(1655〜1658年)、あるいは万治年間(1658〜1661)頃から、江戸で出版をはじめたとされる老舗の地本問屋の三代目で、鶴鱗堂、もしくは鶴林堂と号した(初代は加兵衛、二代目は三左衛門)。
草双紙や芝居本、評判記など、数多くの出版している大版元であり、ドラマにも登場した『吉原細見』の出版は、享保中期(1725年頃)以後、盛んになり、複数の版元が手がけていたが、鱗形屋孫兵衛の単独事業となっていた。
鱗形屋孫兵衛と蔦屋重三郎がどのように知り合ったのかは不明だが、ドラマでも描かれたように、安永3年(1774)、蔦屋重三郎は『吉原細見』の改め役を依頼されている。
翌年、鱗形屋孫兵衛は、江戸文学史に名を残す画期的な作品を世に送り出し、大成功を収める。それは、初の黄表紙文学といわれる『金々先生栄花夢』である。
初の黄表紙文学『金々先生栄花夢』
黄表紙は、江戸時代に誕生した「草双紙(絵入りの娯楽本)」の一種である。黄表紙はその名の通り、黄色い表紙だ。
草双紙の呼び名は、時期により異なる。
延宝年間(1673〜1681)以降は「赤本」と呼ばれ、子供向けの絵本であった。
延享年間(1744〜1748)には、「黒本」、「青本」と称された。浄瑠璃のあらすじ、軍記物、怪談などを題材とし、大人向けの内容へと、転換しはじめていたという(以上、安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』)。
そして、安永4年(1775)、鱗形屋孫兵衛は、恋川春町(こいかわ はるまち/本名 倉橋格)作の黄表紙『金々先生栄花夢』を出版する。
『金々先生栄花夢』の簡単な内容は以下の通りである。
立身出世を夢見て江戸へ向かう金村屋金兵衛(かなむらやきんぴようえ)という若者が、目黒不動の門前の茶屋で注文した粟餅を待っている間に、うたた寝し、夢を見る。
富商の養子に迎えられ、吉原などの遊里で豪遊するも、勘当されてしまうというところで、夢から覚め、人生を悟って、元いた村に帰ったという。
文学と絵画を合わせた「視覚的文学」(松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』)である『金々先生栄花夢』は、大ヒットを飛ばし、江戸文学界は黄表紙の全盛時代に突入した。
危機の訪れ
『金々先生栄花夢』が大ヒットした安永4年(1775)は、鱗形屋孫兵衛に危機が訪れた年でもあった。
同年5月、鱗形屋孫兵衛の手代・徳兵衛が重板(じゅうはん/同じものを無断で出版すること)によるトラブルを起こし、重い処罰を受けたのだ。
最高責任者である鱗形屋孫兵衛も二十貫文の罰金を科せられ、社会的信用を失った。
経営にも悪影響を与え、この年の秋に予定していた「吉原細見」の刊行もできなくなる。
その隙を突くように、蔦屋重三郎は蔦重版の「吉原細見」である『籬(まがき)の花』の出版に踏み切った。
サイズを大きくし、レイアウトを変更した、見やすくわかりやすい蔦重版の「吉原細見」は好評を博した。
鱗形屋も、翌安永5年(1776)には「吉原細見」の刊行を再開したが、天明3年(1783)には、蔦重版の独占状態となっている。
鱗形屋孫兵衛、江戸出版界から消える
一方、鱗形屋孫兵衛は信用回復を狙ってか、恋川春町の作品を次々と世に送り出した。
安永6年(1777)からは、恋川春町の友人・尾美としのりが演じる朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ/本名・平沢常富)の黄表紙を出版する。朋誠堂喜三二もまた、黄表紙界を牽引する人気作家となった。
鱗形屋孫兵衛は大いに収益を上げたと思われるが、経営を立て直すまでには至らなかったようである。やがて、鱗形屋孫兵衛は、江戸の出版界から姿を消した。
なお、鱗形屋孫兵衛の次男は、西村まさ彦が演じる西村屋与八(にしむらやよはち)の養子に入り、二代目西村屋与八となったとされる。
恋川春町と朋誠堂喜三二は、鱗形屋孫兵衛の専属的な作家という存在であった。
しかし、鱗形屋孫兵衛の経営が傾き、黄表紙が出版できなくなると、彼ら手を組んだのは蔦屋重三郎だった(恋川春町は安永8年(
人気作家二人を擁した蔦屋重三郎は、鱗形屋孫兵衛と入れ替わるように出版界を駆け上がっていく。
筆者:鷹橋 忍