もうひとつの「ゑびす様」の総本宮・美保神社、漁業や海運の神として信仰、出雲大社と参るとご利益が高まるとも

2024年3月12日(火)8時0分 JBpress

取材・文=吉田さらさ 

えびす神にはなぜ二つの総本宮があるのか

 今回ご紹介するのは島根半島の東端に鎮座する美保神社である。今年(2024年1月)にえびす神の総本宮とされる兵庫県の西宮神社について書いたが、実はこの美保神社も「ゑびす神」の総本宮と名乗っている。

 えびす神にはなぜ二つの総本宮があるのか。実は双方で「えびす」と呼ぶ神が違うのだ。西宮神社における「えびす神」は「蛭児大神」。伊邪那美命と伊邪那岐命が最初に子作りを試みた結果生まれたが、思わしくない子であったため海に流された。その後突然西宮の海岸にあらわれ、福の神として信仰されるようになったという。一方、こちら美保神社では、えびす神は事代主神と同一視されている。

 ではその事代主神とはどんな神なのだろう。ここは出雲。出雲と言えば大国主命。事代主神はその偉大な神の長男である。ここで、かの有名な国譲りの神話を思い出してほしい。天照大神は大国主命が治める地上の国が栄えているのを見て、「あの国はわたしの子が治めるべきだ」と考えた。それからもろもろの経緯があり、最後に使者として遣わされた建御雷之男神が出雲の稲佐の浜に降り立ち、剣の上にあぐらをかいて大国主命に向かい「国を譲るように」とすごんだ。

 すると大国主命は「譲るかどうかは息子たちに聞いてくれ」と答えた。長男の事代主神はあっさり承諾したが、次男の建御名方神は「相撲で勝負をしよう。もし自分が勝ったら国は譲らない」と言った。そしてあっけなく建御雷之男神が勝ち、建御名方神は諏訪まで逃げて行って諏訪大社を開いた。かくして国は譲られ、大国主命はその代償として出雲大社を建ててもらったというのが話の概要である。

 ところで事代主神は、建御雷之男神がやってきた時にそこにはおらず、国を譲ってよいかの返答を得るために使者が探しに行った。なんとこの兄さん神は、そんな一大事の際に、ここ、美保関でのんびりと鳥や魚を獲って遊んでいたのである。いつからどんな経緯で事代主神がえびす神と同一視されるようになったかはわからないが、釣り竿と鯛を持って笑っているえびすさんと、釣りが大好きな事代主神の姿は、確かにどこか重なっているように思われる。

 えびす神は一般的には福の神として信仰されている。もうひとつのえびす神総本宮である西宮神社は商売繁盛を願う人々の篤い信仰を集めているが、美保神社のえびす神=事代主神は主に漁業や海運の神として信仰される。それは、この神社が鎮座する美保関というところが、三方を海に囲まれた特異な形の岬であることと関係があるのだろう。

 この地はまた、国譲り神話より前に古事記に登場する重要な神が出現した場所でもある。大国主命がこの岬で国造りについて思いを巡らしていると、沖からガガイモの葉の船に乗って小さな神がやってきた。これ以降、大国主命に同行して国造りを手伝うことになる少名毘古那神である。出雲の偉大なる神、大国主命はかくのごとく美保の地と関係が深い。出雲大社と美保神社の二つにお参りすると大黒様と恵比寿様の両参りとなり、ご利益がより大きくなるとも言われている。


特別な2つの神事

 さて、では実際にお参りしてみよう。車が便利だが、JR松江駅やJR境港駅からバスを乗り継いでも行ける。バスを降りると、どことなく懐かしい港の風景が広がる。鳥居をくぐって石段を登り、さらに神門をくぐると正面に拝殿がある。

 昭和3年、築地本願寺などでも知られる建築家、伊東忠太氏の設計によって造営された。船底を模した独特の形で壁や天井板がなく、梁がむき出しの構造である。周囲が山に囲まれていることもあって、この構造が優れた音響効果をもたらす。これは御祭神が歌舞音曲を好むとされることに由来し、年間を通して音楽の奉納が多い。

 また、各地からさまざまな楽器類も奉納され、このうち846点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。わたしが訪れた際も巫女さんによる舞が奉納されおり、音曲がことのほかよく響いていた。それにより境内全体が神々しさに包まれ、別世界に招かれたかような感覚にとらわれたものである。

 その奥に本殿。大社造の二つの社を「装束の間」と呼ばれる空間で繋いだ特殊な形式で、美保造、または、比翼大社造と呼ばれる。1813年に再建されたもので、国指定の重要文化財に指定された風格ある建物だ。向かって右側の社には三穂津姫命、左の社に事代主神が祀られる。

 三穂津姫命は高天原の高皇産霊命の御姫神で大国主命の御后神。高天原から稲穂を持って降りて来られたことから、五穀豊穣の神として信仰される。また、夫婦和合、子孫繁栄、そして歌舞音曲の守護神とも。事代主神はこれまでも述べたようにえびす様として世に知られ、海上安全、大漁満足、歌舞音曲などの守護神である。

 この神社では、国譲り神話に関連する特別な神事が二つ伝わっている。ひとつは4月7日に行われる青垣神事。古事記によれば、事代主神は国譲りを受諾するとすぐ、自分が乗ってきた船をひっくり返して「青芝垣」(青葉で作った垣根)とし、その中に身を隠したという。その様子を再現したこの神事は、年に一度神霊を新たにする祭であり、豊作を祈るものとも言われる。

 もうひとつは12月3日に行われる諸手船神事。美保で釣りをしていた事代主神が、父大国主から国譲りに関する相談を受ける様子を儀礼化したものと言われる。これはもともと旧暦の11月に行われていたもので、稲の恵みに感謝する秋祭でもあったということだ。

 時間が許せば、周辺の観光もしてみよう。まずは神社を出てすぐのところにある青石畳通り。ここは江戸時代から続く参詣道で、旅館や商店などの古い建物が並んでいる。えも言われぬ風情のあるところで、美保関史料館という施設もある。海運とお参りの町として繁栄した中世から近世の美保関の様子がわかる資料が展示されている。その先を少し山際に行くと、仏谷寺という寺院もある。重要文化財に指定された仏像が5体あり、往時はかなり大きな寺であったことがしのばれる。

 さらに時間があれば、岬の突端まで続くハイキングコースを歩くのもよい。沖に浮かぶ小島は「沖の御前」と呼ばれ、事代主神が釣りをしていた場所と伝わる。美保神社の飛地境内地で禁足地となっており、今でも海の底から雅楽が聞こえてくると言われる神秘的な場所だ。その先にある美保関灯台も見どころだ。高台にあるため眺めがよく、日本海方面は壱岐の島、美保湾方面は大山と、雄大な景観が楽しめる。

 実際に行ってみてわかったことだが、美保関はなかなかに興味深い場所である。お参りだけなら松江から日帰りでもよいが、港の近くに旅館や民宿もいくつかあるので、宿泊してゆっくり散歩をしたり、事代主命に倣ってのんびり釣りでもしながら過ごすのもよさそうだ。いつか必ず、もう一度ここに来たい。神社巡りをしていると、そんな場所がどんどん増えて行く。

筆者:吉田 さらさ

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