ホッファーと生活と暇

2023年4月15日(土)11時0分 ソトコト

ホッファーは、「ホーボー」という存在をバックグラウンドに持ちます。ホーボーとは、19世紀の終わりから20世の初頭のアメリカで土地から土地を移動しながら労働に従事した人たちのこと。彼らは仕事を求めて、勝手に鉄道に乗り込むなど拠点を持たず、ある種の自由を持っていたので、1940年代後半から60年代にかけて起こった、当時のアメリカのキリスト教的な伝統や規範からの解放を求めた「ビート・ジェネレーション(ビートニク)」と呼ばれる文化運動に大きな影響を与えています。デニス・ホッパーが監督・主演した『イージー・ライダー』の主人公がバイクで旅をするのも、ビートルズの音楽がインドに影響されるのも、スティーブ・ジョブズが日本の禅寺で修行をするのも、ホーボーやビートニクの影響と考えられます。自分も10代の頃にこのあたりの文化にどっぷり浸かっていたので、際限なく話ができそうですが、今は話を元に戻したいと思います。


ホッファーの人生


さて、ホッファーのことです。ホッファーは1902年にドイツ系移民の子としてニューヨークで生まれ、7歳の時に母親と死別し、視力を失います。階段から落ちた事故が原因でした。そのため学校には通わず、15歳の時に突然視力が回復してからは、再び視力が失われると思い込んで、3年の間、朝から晩まで本を貪るように読み、さまざまなことを独学で習得していきます。18歳で父親を亡くすと天涯孤独の身となり、当初はロサンゼルスのアパートを借りるものの、すぐに食い詰めて、レストランで皿洗いをする代わりに食事を得ようとします。そこで職を得るために職業紹介所に行くことを教えられ、「スキッド・ロウ(貧民街)」でその日暮らしの生活を始め、28歳の時に自殺未遂を起こし、それをきっかけとしてスキッド・ロウを離れます。そして34歳の時にミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』に出合い、繰り返し読み、暗記してしまうほど感銘を受け、同時に文章を書く行為を始めます。


39歳の時からサンフランシスコで「沖仲仕(港湾労働者)」として働き始め、雑誌に投稿をしたことをきっかけに編集者と知り合い、49歳の時に処女作『大衆運動』を出版し、評判を得ます。カルフォルニア大学で週に1度教鞭を執るようになっても65歳になるまで沖仲仕として働いたため、アメリカでは「沖仲仕の哲学者」として、ビートニクやヒッピーカルチャーの中でカリスマ的な存在になっていき、80歳で亡くなるその人生はドラマチックで、長々と書いてしまいたくなるおもしろさがあります。


彼は「沖仲仕ほど自由と運動と閑暇(暇があること)と収入が適度に調和した仕事はなかった」と述べ、社会的な地位や大きな収入を得るよりも、自分が快適に過ごせる環境をいかに保つかを優先させました。


ホッファーがハンナ・アーレントに出会ったのは53歳の時です。ホッファーはアーレントが描いた根無し草の典型のような人物に思えますが、アーレントは「才気はないけど、誠実で、ひじょうにドイツ的な変人」「わたしにとっては砂漠の中のオアシス」と述べ、好感を持っていたようです。才人であったアーレントにとって、ホッファーが独学で得てきた知識はやや物足りないものに思えたのかもしれません。しかし、アーレントはホッファーの人間性には大きな魅力を感じていました。


どこへ行っても「アウトサイダー」と感じていたホッファーは、「波止場では強い帰属感」を持ち「根が下りるほど長くとどまっている」と述べます。また「成熟するには閑暇が必要なのだ。急いでいる人々は成長することも衰えることもできない」とも述べており、波止場の心地のよい場所に根を下ろし、成熟できたことが、ホッファーを魅力的な人物にした理由なのかもしれません。


本当の生活を失わないために


人によって心地よい場所や環境は異なり、運よく巡り合えても、子育てをしていたり、親の介護が必要だったり、状況がそこにとどまることを許すか分かりません。そこが競争力の高い場所であれば、常にハイパフォーマンスを要求され、要求に応えられなければ外にはじかれてしまうことでしょう。


ホッファー自身は仕事について、「この世の中に、万人に対して、充実感を与えられるような意義ある職業は存在していない」、「本当の生活が始まるのは、その後」として仕事以外の時間を大切にして、自身のライフワーク(研究など)を行っていました。  


自分自身のことで考えてみると、文章や絵を描くことで収入を得たり、芸術祭に参加することを30代前半から行っており、現在は47歳です。「40歳を超えるとフリーランスは仕事が激減する」と、身の回りでよく話題になりますが、自分ではそれらの仕事がいつかなくなることも想定し、山菜採りや自然の中で生きる技術を覚えたり、準備と覚悟をしてきたつもりです。ホッファーが言うように、万人が充実感を得られる職業はないし、社会システムも同様だろうと思います。どんな社会状況になっても自分を最適化できるような柔軟性は失わないようにと、考えています。








文・題字・絵 坂本大三郎
さかもと・だいざぶろう●山を拠点に執筆や創作を行う。「山形ビエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」「リボーンアートフェス」等に参加する。山形県の西川町でショップ『十三時』を運営。著書に『山伏と僕』、『山の神々』等がある。


記事は雑誌ソトコト2023年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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