101歳〈ギネス認定〉世界最高齢の薬剤師。問診票だけでなく、会話を通じてその人の症状に合う薬を選ぶ。元気の秘訣は野菜たっぷりの食事

2024年4月18日(木)12時29分 婦人公論.jp


幡本圭左さん(101歳)(撮影:藤澤靖子)

長生きするなら自分の足で歩き、毎日笑顔で過ごしたい——。元気に趣味や仕事を楽しむ93歳と101歳の女性の暮らしぶりを聞いてみると、その希望を叶えるヒントが見えてきました(撮影:藤澤靖子)

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<前編よりつづく>

財産を失い一念発起


東京・目黒区の住宅街、昔ながらの佇まいの「安全薬局」を訪れた。「外は寒かったでしょう? どうぞ座ってください」と笑顔で筆者を出迎えてくれたのは、御年101歳の店主・幡本圭左さん。カウンターには、「世界最高齢の薬剤師」のギネスブック認定証が燦然と輝いている。

「これは100歳になる少し前にいただいたものなんです。今は101歳なので、自分の記録を更新してしまいました(笑)」

圭左さんがこの地に店を構えたのは、約70年前。店舗兼住居の建物はほとんど、店を開いた当時のままだ。営業時間は月〜土曜の10時〜18時。休みは日曜と祝日のみだというから、かなりハードである。

「店が多忙になり、見かねて同じ薬剤師の次女夫婦が帰ってきてくれました。開業当時は市販薬や雑貨などを置いていましたが、次第に漢方中心に。現在は病気予防のための和漢薬などを扱っています」

圭左さんの起床は7時。目覚めたら10分間、ベッドの上で腕や脚を伸ばしたり自転車をこぐように関節を動かしたり、自己流の体操をして体をほぐす。スッと伸びた背筋にキビキビした動き。肌もつややかで若々しい。一体どんな食生活を送っているのか——。

「食事の支度は娘がしてくれるの。朝はトマトや豆類、ゆで卵、ハムなどが入ったサラダと、バナナ1/2本、チーズ、パン。それと手作りのヨーグルトを食べます。ワインや焼酎に漬け込んだ干しぶどうを小さじ2杯混ぜるのが、私のこだわりです」

昼は、ごぼうやかぼちゃなどあるものを何でも入れた具だくさんの減塩味噌汁とご飯、魚料理が定番。圭左さんも娘夫婦も甘いものに目がなく、17時のおやつタイムは欠かさない。

「夜はしょうが焼きなどの肉料理で、3食とも野菜はたっぷり。シニアの3人家族とは思えない消費量です。入浴を済ませたあとは、テレビの時間が楽しみ。スポーツ観戦がとにかく大好きで、先日のサッカーアジアカップは大盛り上がりでした(笑)」

圭左さんは1922年、長野県に生まれた。一家で東京に引っ越したのち、「これからは女も手に職を持つべき。免状は役に立つし、薬剤師ならずっと続けられる」という父親の勧めで、東京・谷中の東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)女子部に進学。20歳で卒業し、化学工場の研究室に就職した。

「働き始めて2年が過ぎた頃、徐々に戦争が激しくなり、父も体調を崩して亡くなったため、家族で長野に疎開しました。東京では空襲で焼け死んだ人が隅田川に浮かんでいるのも、機銃掃射で隣家の梅干しのが割れるのも見ています。それでも私は無事でした。何かに守られていたとしか思えません」


お客さんの症状をよく知るために、1〜2時間話し込むことも

終戦後、25歳で結婚。夫婦で東京へ戻り家を建てた。2人の子どもに恵まれ、さあこれからという時に、暮らしを一変させる出来事が起こる。商売をしていた夫が親友の保証人になり、財産を失ってしまったのだ。

「残ったのは小さな家だけ。これは大変だと頭を抱えました」

そんなある日、夫の友人からある提案が。それは、圭左さんが持っている薬剤師の資格を生かして、薬局を開いてみてはどうかという話だった。

「夫もやってみようと言うので、住んでいた家を売ってオンボロの平屋を購入しました。右も左もわからないなか、薬局をやっているお友だちのところで勉強させてもらい、開店にこぎつけました。30歳の時です。日本経済が発展していく時期で、風邪薬も石けんも、並べたそばから売れました。父が言ったとおり、お免状が役に立ったわけです」

その後、先輩の勧めで漢方を学ぶため学校に通った圭左さん。工学部出身の夫も一緒に勉強して助けてくれたという。

「ずっと二人三脚でやってきましたが、15年前に夫は亡くなりました。店で倒れ、病院に運ばれて1週間という早さでした。突然のことで悲しみはありましたが、何もわからないまま静かに逝けたのでいい最期だったと思います」


お気に入りの万年筆とインクでお礼の手紙をしたためる圭左さん

お客さんの声が励みに


以来今日まで、娘夫婦の協力を得ながら店を続けている。店で扱う漢方薬や自然薬は、必ず自分で試すのが圭左さんのポリシーだ。

問診票だけでなく会話を通じてお客さんの症状に合う薬を選ぶ、商品を送る際には直筆の手紙を添えるなど、その姿勢は一貫して変わらない。常連客の中には、30年、40年と通い続けている人もいるという。

「たとえば風邪薬ひとつお出しするのでも、少しおしゃべりすれば、その方のことがよりわかるでしょう。会話があると人とのつながりができますし、何より楽しいですから。

手紙も、時候の挨拶だけでは味気ないので、世間で起きている面白い話などを入れるようにしています。だから書くのに時間がかかっちゃって(笑)。夜寝るまでの時間やお店が暇な時など、ずっと机に向かって書いています」

現在、5人の孫と8人のひ孫がいる。自身が不健康では申し訳ないと、お酒は飲まずタバコも吸わず、若い頃から体をいたわってきた。

年齢とともに減少する脳細胞を補うため、今も文献を開き、新たな知識を吸収している。何度も読み込んだ跡のある分厚いテキストが、彼女の情熱を物語っていた。

「薬剤師の集まりに行っても、お会いするのは年下の方ばかり。それも元気でいられる秘訣かもしれません。私自身は年齢を意識していないので、101歳なんてすごいですね、と言われてもピンとこないのですが(笑)」

とはいえ、週6日も店に立つのは体力的にも厳しいはず。店を閉めようと思ったことはないのだろうか。


文献は何度も読む。「脳細胞が衰えているから、いつでも新鮮に読めますよ(笑)」

「お客様から、『おかげさまで元気になりました。私も長生きできるように頑張ります』と言われると、やっぱり嬉しくて。この仕事をしていて良かったなあと幸せを感じて、天職に感謝し、もう少しだけ続けようと思ってしまうんです。

大変なこともあったけれど、困った時はいつも誰かが助けてくれました。これからも感謝の気持ちを忘れず、頼りにしてくれる人がいる限り頑張っていきたいと思っています」

最近になって膝の古傷がぶり返してきたという圭左さんだが、気持ちは前向きだ。

「20年前、半月板にひびが入ったのですが、手術はしなかったの。お医者さまからは、今はもう軟骨がつぶれていて手の施しようがないと言われています。だから漢方薬を飲んだり、痛みが出たら薬を飲んだり湿布を貼ったりしてやり過ごしているんです。

とはいえ、ゆっくりなら30分くらい平気で歩けますし、クヨクヨ考えても仕方ない。痛みが出る日もあるものの、それでヨシとしています」

取材中、常連客からの電話で、何度か話が中断することがあった。電話を終え、当たり前のように途切れたところから話を再開する圭左さんに、「あれ、どこまで話したっけ?」が日常茶飯事の筆者は度肝を抜かれた。間違いなく圭左さんの脳細胞のほうが元気だ。

***

人に期待されることが幸せだと語っていた恵美子さんと、お客さんとのふれ合いに生きがいを感じているという圭左さん。

人生100年時代をハツラツと過ごすには、生活習慣に気をつけることはもちろん、何歳になっても打ち込めるものがあり、人や社会とつながっていることがいかに大切か——。それをしみじみと感じた。

婦人公論.jp

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