《45歳で初産》「子宮口が硬いタイプだと判明」高齢出産を経験したあいり(48)が明かす、壮絶だった33時間の戦い
2025年4月26日(土)11時50分 文春オンライン
40歳からYouTube活動を始め、今では登録者70万人を超える人気YouTuberのあいりさん(48)。その裏で長年、不妊治療と向き合い、5年間の治療、2度の流産を経て、44歳で妊娠。45歳で初めて母になった。
そんな彼女が、心がボロボロだった不妊治療の日々、妊娠中のさまざまなトラブルや理想とはかけ離れた出産、産後の体の変化などを包み隠さず語った『 45歳で初めてママになりました。私の不妊治療・妊娠・出産のすべて 』(扶桑社)を上梓。一部抜粋して、高齢出産のリアルを紹介します。(全2回の1回目/ 続き を読む)
◆◆◆
33時間におよぶ孤独な戦いが始まる......
予定日が近づくとお腹で膀胱が圧迫されて、夜明け前にトイレに起きる日が増えました。ある日、早朝4時頃のトイレでのこと。
「ポタポタッ」
生ぬるいなにかが垂れる感覚が。
「やだ! もしかして尿モレ……?」
焦ったけれど、何かが違う。拭いても拭いても、再びポタポタと垂れてきます。
「もしかして、破水……?」
そう思い、慌てて大学病院に電話をしました。
それと同時に、もしかしたらしばらく動画を上げられないかもと思い、寝起きのボロボロの状態で「破水しました」という報告シーンを撮影する冷静さもありました。

病院に電話を入れると今すぐ来るように言われました。
「もうすぐ会える!」と嬉しい反面、どうなるのかな、大丈夫かな、と不安な気持ちも入り混じりながら、用意してあった入院バッグを持ち、コクーン(夫)と車に乗り込みました。
本格的な痛みも来ていなかったので「これが陣痛なのかなぁ?」「意外と大丈夫かも!」なんて余裕をかましながら病院に向かいました。
コロナで面会は厳しく制限
病院に到着。待ち受けていた看護師さんからすぐさま「荷物をもらいます」「旦那さんは診察室には入れません! ご自宅でお待ちください」と言われ、思いがけず一瞬にして離れ離れにされてしまいました。この頃はコロナ禍真っ只中。ほとんどの病院では、面会や出産の立ち会いが厳しく制限されていたのです。
「……連絡するね!」
「うん、うん」
言葉を交わす暇もないくらい一瞬の別れ。コクーンは戸惑ったような表情で、うなずきながら励ましを送ってくれているようでした。
コロナ禍でなければ、出産の大変さを目に焼き付けてもらおうと立ち会い出産を確実に希望していたと思いますが、それは叶わぬ夢に。ここから、私の長い長い孤独な戦いが始まります。
すぐにコロナのPCR検査をし、結果が出るまで何十分か待つことに。そして、エコーで子宮内の様子を見たり、お腹の張り具合を測る心電図のようなものを付けられ、横になって過ごします。その間、マスクは必ず着けていなくてはならなくて、息苦しさを感じていました。
破水、お産に入る準備で病室に
そこから約2時間ほどして、先生から、
「破水してますね。まだ子宮口は開いていないけど、お産に入る準備をしましょう」
そう言われ、即入院することに。それまでいた診察室から病室へ案内されました。
そのとき、看護師さんから「出産まで飲食ができないから、今のうちに何か食べておいたほうがいいですよ」と言われ、持っていたクリームパンを食べることに。
「クリーム部分は食べちゃダメですよ」
ということでクリームパンのパン部分をちぎってちびちびと食べることに……。無痛分娩(※出産時の痛みを和らげるために麻酔を用いる方法)をお願いしていたので、この後に入れる麻酔の関係で飲食に制限があったようです。でも、このときは食べたクリームパンの外側を最後に、33時間におよぶ出産に飲まず食わずで挑むことになるとは、このときはまったく予想していなかったのです……。
想像をはるかに超える痛みの陣痛
朝9時頃、陣痛はなんとなく感じながらも、まだ子宮口が開かない……。陣痛がなかなか進まないので陣痛促進剤(※出産時に子宮の収縮を促す薬)を入れることになりました。おかげでだんだんと強い陣痛を感じるように。それでも一向に子宮口が開いてくれない。看護師さんからはとにかく歩くように促されました。
そこから私は、病室内や廊下をヒーヒー言いながらひたすら行ったり来たり。「ぽぽちゃん、早く下りてきて!」と念じながら、ただただ必死に歩き続けました。
長〜い廊下をもう何往復したかわかりません。夕方になると陣痛の痛みもどんどん増してきます。痛みもしんどいけれど、もう体力が限界……! たまらず看護師さんに訴えました。
「もう歩けません!」
お腹にズドーンと隕石が落ちてきたような、鉄球が入っているかのような激痛が数分感覚で襲ってくるのです。重たい、苦しい、痛い! それに加え、普段のウォーキングでも歩かない距離を歩かされるなんて、拷問……? 陣痛は想像をはるかに超える痛みで、早くも心が折れそうな私。
子宮口が硬く1cmしか開かず
こんな痛みが続いているのに、子宮口はまだ1cmしか開いていませんでした。
どうやら聞いた話によると、年を重ねると子宮口が硬くなる人が多いんだとか。そのため、高齢妊婦は難産になることが多いようです。私も例に漏れず、子宮口が硬いタイプだと判明。
ただ陣痛はかなり来ているということで夜7時頃、分娩室に移動することに。無痛分娩の準備のため、腰から麻酔を入れてもらうと陣痛の痛みは徐々におさまっていきました。
ホッとしたのも束の間、今度は先生の内診。これがもう、のけぞるほど痛い。硬い子宮口をどうにか開かせるため、力を込めてグリグリと……。まるで子宮を引きちぎられるような痛みでした。これを2時間に1回くらいの頻度で繰り返しました。
陣痛に耐えながら描いた24枚の絵
数時間が経った頃、麻酔を最初に入れてラクにはなったものの、それと共に陣痛の感覚がよくわからなくなってきてしまいました。
「これだとお産が進まないので、麻酔を中断しましょう」
ということになり、再びぶりかえす痛み……。お産が進んだらまた麻酔を入れ、また陣痛が遠のいては中断し激痛再開。これを何度も繰り返し、もうこの時点で満身創痍になっていました。
「体力も限界でしょう。少し休みましょう」
先生のこの一声で、一旦睡眠を取ることになりました。おそらく深夜0時に差し掛かる時間だったのかなと思います。
そのとき私は、視聴者さんにプレゼントする予定だった「赤富士」のことを思い出しました。陣痛中の妊婦が描いた赤い富士山の絵には子宝のご利益があるということで、妊活を頑張っている視聴者さんのために必ず描こうと決めていたのです。
あらかじめ看護師さんにも伝えてあったため、
「仮眠から覚めたら本格的に分娩に入りますので、描くなら今のうちです」
と教えていただき、陣痛に耐えながら、用意していた色紙に分娩台で24枚ほど描くことができました。描き上げられたことにひと安心した私は、硬い分娩台の上でタオルケットをかけられ、気を失うように眠りにつきました。
〈 45歳で初めて出産、1.5Lの出血も…高齢出産を経験したあいり(48)が語る、産後に夫から届いたメッセージ「信じられない…」 〉へ続く
(あいり/Webオリジナル(外部転載))