性虐待被害の後遺症が悪化した。苦しむ私に届いた『死ねない理由』。経済的に余裕がなければ休むこともできない

2024年4月29日(月)12時0分 婦人公論.jp


写真提供◎photoAC

父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない——。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?

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前回「子育てを母親だけに背負わせ「出産前の妻」を求める夫と離婚を決意。ぶつけた本音「〈いるのに何もしない人間〉はいらない」」はこちら

後遺症の悪化により一変した生活


一昨年のはじめ、性虐待の後遺症が悪化する出来事があった。詳細は割愛するが、その影響により、それまで一度も落としたことのない原稿の締切をはじめて落とした。生活の柱となっていたクライアントから仕事を切られ、私の経済基盤はみるみるうちに崩れ去った。仕事は減り、病院代はかさみ、貯金が底をつくまでに2年もかからなかった。

当時の私は、冷静に考えれば入院が必要な状態にあった。だが、私は入院するどころか新しい案件獲得を求めて必死に動き続けていた。企画書を作り、営業をかけ、書いて読んでを繰り返し、副業先も探した。本当は休みたかった。でも、休むお金がなかった。

独身時代、後遺症によりまともに働くことができなかった時分にも、過酷な貧困に悩まされていた。その頃に比べれば、今はまだマシな状態にある。あの頃のように、公園のトイレで髪を洗うことも、生の雑草を食べることもない。だが、貯金の大半を失い、カードの残債に怯える日々は、私の心を容赦なく削り取っていった。

虐待の後遺症に加え、日々差し迫る貧困への不安。過剰にかかるストレスに耐えかね、私は何度か生きることを放棄した。それらが未遂に終わったのは、パートナーと友人たちの尽力があったからにほかならない。しかし、その際にかかった入院費や治療費は、今でも私の生活を圧迫している。

薄れない痛み


実父による性虐待被害から、今年でおよそ25年が過ぎた。時間は少なからず薬になる。私は、その効果を信じたかった。もちろん、多少なりとも時間薬の効き目は感じている。だが、体が記憶したトラウマは恐るべきしつこさで私を蝕み続け、実際には思うほど痛みは薄れず、壊れた箇所はそのままで、夜は怖くて、眠れずに迎える朝は冷淡で、喉元からせり上がる声は私にも周りにも優しくなくて、我慢しきれずこぼれた悲鳴は私とパートナーの日常をいとも容易く破壊する。

両親は今、故郷で穏やかな年金暮らしをしている。日常を壊された側がのたうち回っている裏側で、加害者は通常営業で日々を過ごしている。ある日、唐突に「もう無理だ」と思った。がんばる理由も生きる理由も山ほどあるはずなのに、発作的に「もうがんばれない」と思った。全身に絡みつく希死念慮は思いのほか強く、異変を察して繰り返し連絡をくれた友人たちの電話にさえ出られなかった。

友人たちがパートナーに連絡を取り、パートナーが昼休憩を中抜けして自宅に駆けつけた時、私の手の中には刃が握られていた。抗えない力でそれを奪い取ったパートナーは、私を車に乗せて職場まで連れて行った。


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「あと2時間で仕事終わるから、絶対に車から降りないで。ここにいて。約束できる?できないなら、仕事場まで連れて行く」

そう言った彼の目は、ひどく怒っていた。加害者である両親に対して怒っていたのはもちろんのこと、命を投げ出そうとした私に対しても、言葉にしきれない感情があったのだろう。私自身、本当は死にたいわけじゃない。生きてやりたいこと、叶えたい未来がたくさんある。だが、それ以上に生きていることが辛くなる瞬間があって、引いていく波のように容赦ない強さでその衝動に心を持っていかれるのだ。

大切な人たちの存在をはじめとして、本、仕事、夢など、杭となるものは多々あれど、増幅する痛みと憎しみは、時に理性を凌駕する。そのことを、自分でも悲しいと思う。

「頼れる実家」を持てない人たち


パートナーに保護された日の翌日、互いに休日だったため、車で2時間ほどの場所にドライブに出かけた。少しでも気分転換になればいい。春のきれいな景色を私に見せたい。そんな彼の思いやりが嬉しかった。桜の蕾が綻びはじめ、菜の花が満開で、小雨が降る海の静けさに心が凪いだ。きれいなものを「きれいだ」と思う感覚は、ちゃんと私の中に残っている。それなのに、なぜ唐突にすべてを投げ出してしまいたくなるのだろう。

「辛いことを過去のせいにするな」と言う人がいる。しかし、実際に過去に被った被害が今現在の私の生活を侵食し、せっかく恵まれた幸福にさえ影を落とす。それらすべてを「自己責任」と言われたら、私はもう言葉を持てない。這い上がりたい、立ち直りたい、と誰よりも当事者が思っている。だが、普通の生い立ちの人が持っている基盤を持てないがゆえに、立て直しそのものが困難なケースは多い。


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心身のバランスを崩した時、出産時、離婚時、何らかのトラブルに巻き込まれた時、どのような状況においても、サバイバーには「実家に帰る」選択肢がない。両親からの経済的援助も、家事サポートなどの実質的な手助けも望めない。それどころか、人によっては実家に仕送りをしている場合もある。親が子どもにとって支えになる家庭ばかりではなく、親子関係が逆転し、子が親の生活を支えているケースも少なくない。小説でいえば、『52ヘルツのクジラたち』に登場する主人公の状況がそれに当てはまる。

支援者や知人から手厚い援助を受けられる人間はほんの一握りで、どの当事者もほぼ例外なく窮地からの自力脱出を求められる。虐待被害者、貧困家庭出身者、障害者、ジェンダーマイノリティ、ミックスルーツ。あらゆるハンデは「抱えていくもの」で、差別や偏見は「仕方のないもの」。そんな世間の風潮が、酷く息苦しい。

このタイミングで届いた一冊のエッセイ


希死念慮に襲われながらも生き延びた数日後、自宅にある書籍が届いた。発売前から絶対に読もうと心に決めていた、ライターのヒオカ氏によるエッセイ『死ねない理由』。「婦人公論.jp」にて連載中の「貧しても鈍さない 貧しても利する」書籍化された一冊である。本書には、連載記事のほかに“書籍だからこそ書ける内容”が大幅に加筆されており、著者の素直な想いが実直な言葉で綴られている。


『死ねない理由』(著:ヒオカ/中央公論新社)

“経済的に苦しいと、休みが取れず、体調が安定しない。そのせいで医療費が生活を圧迫し、また困窮する。こんなループを繰り返し続けている。”

ヒオカさんの父親は体が弱く、安定して働くことが難しかったため、慢性的な貧困に悩まされる家庭で育った。また、著者自身も慢性的な体調不良に悩まされており、頭痛、倦怠感、吐き気、首の痛みなど数多くの不調を現在進行形で抱えている。

貧困は、悩みを増幅させる。医療費の心配がない経済状況の人は、数日のオフで心身を回復させ、予後の治療にも難なくお金を払える。だが、経済的に圧迫されている人は、そもそもが休めない。治療費の心配のみならず、休んだぶん減額される給与の心配もしなければならないからだ。誰もが、有給のある勤務体制で働いているわけではない。ケアできない体調は当然ながら悪化し、最終的には働けないどころか、生活すらままならない状況に追い込まれる。

「無理をしない」ことが大事なのは、言われるまでもなくわかっている。だが、無理をしなければ生きていけない人たちがいる。ヒオカさんの書籍には、そのような状況の人間が陥る切実なリアルがぎっしり詰まっている。

著者は、面前DVなどの心理的虐待の被害者でもある。著者が抱える体調不良の一部は、虐待の後遺症である可能性が高いと専門家から指摘を受けている。自分の生い立ちや環境との類似点が多い著者の言葉は、私が日頃言いたくても言えない本音と深く重なった。

Webの連載当初から、ヒオカさんの記事を追いかけてきた。このタイミングで本書が手元に届いたこと、『死ねない理由』というタイトルに、不思議な縁を感じた。装丁に描かれた著者の似顔絵が、まっすぐにこちらを見つめてくる。「あなたの“死ねない理由”は?」
——そう問われているような気がした。

※書籍引用箇所は全て、ヒオカ氏著作『死ねない理由』本文より引用しております。

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