斉藤ナミ「まだXがTwitterだったころ。フォロワーを1000人の大台に乗せたいと思った私は、怪しいサイトから〈ポチ〉して買った」
2025年5月18日(日)12時0分 婦人公論.jp
いつもUPできるネタを探してしまう(写真提供:筆者 以下すべて)
noteが主催する「創作大賞2023」で幻冬舎賞を受賞した斉藤ナミさん。SNSを中心にコミカルな文体で人気を集めています。「愛されたい」が私のすべて。自己愛まみれの奮闘記、『褒めてくれてもいいんですよ?』を上梓した斉藤さんによる連載「嫉妬についてのエトセトラ」。第5回は「フォロワー数嫉妬地獄」です
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前回「『嫉妬 女性 作家』で検索したら、出てきたのは偉大な先輩、紫式部だった!知り合いの『新刊が出ます』のお知らせが世界で一番嫌いだ」はこちら
フォロワー1000人の大台に乗せたくて
まだXがTwitterだったころ。フォロワーが900人くらいだった私はどうしても1000人の大台に乗せたいと思い、怪しいサイトからフォロワーを買った。
「外国人フォロワー100人」という商品をカゴに入れポチッと購入すると「ご注文ありがとうございます。24時間以内に徐々に増加します」と表示された。
フォロワー購入がバレるとアカウントが凍結されるらしいと聞いていた私はドキドキしながら増えるのを待った。すると、徐々にと書かれていたのに数分すると一気に増えた。
「うわ、まじで増えてる! やばいやばいやばい!」
増えたフォロワーを見ると、ほぼ全員がどう発音していいかわからないアルファベットの名前にアニメキャラのアイコンだった。
数十分のうちにあっという間に1000人に到達した。こんなに短期間で大量に増え、どうみても日本人じゃないインチキくさいアカウントがずらりと並んでいるなんて、一発で買ったことがバレる! 「こいつフォロワー買ったな。クスクス」と蔑まれてSNS人生は終わりだ。もうこのアカウントを削除するしかない。
そう思っていたところ、一瞬到達した1000というフォロワー数がポロリポロリと減っていった。あれ、どんどん減ってる? 3日もすると怪しいアカウントは全員消え、元の900人に戻ってしまった。なんだこれ、詐欺じゃないか! 返してよ、私の100人と胸のドキドキを!
アカウントを捨てようかと思うほど後悔していたくせに、夢の1000人という数字が一瞬で終わったことをまた悔しく思った。1000人にさえなれば、もっと注目されて世間に認められるのに。
フォロワー1万人の今もSNSの奴隷
あれから何年か経ち、お金で買っていないフォロワーも1万人を超えたけれど、私は今もSNSの奴隷だ。
ほほう。ライバルのあの人が著名人とおしゃれなカフェでランチをしている写真をまたあげている。
「大好きな〇〇さんとランチでした。パワーをたくさんもらったから明日からまた頑張るぞ!」
へー。有名人とお知り合いで、すごいですね。フォロワーももう4万人になってるんだね。あちこちのメディアで見かけるようになり、本もたくさん売れている様子で、すっかりインフルエンサーですねえ。
自虐で笑わせようと必死なのが透けて見えてしまっている私の投稿は今日もどん滑りしていて半日で1300ビューなのに、「これから歯医者に行ってきます(ハート)」と足元の写真をあげている彼女の最新の投稿は、30分ですでに1万ビュー。
なんで歯医者行くのにそんなヒール履いてんだよ。ちっとも「いいね」と思わないけれど、「いいね」しないと嫉妬していると思われそうなので、ギリギリと歯を食いしばりながら「いいね」を押す。もちろん嫉妬は死ぬほどしている。
もっとフォロワーを増やしたい。もっと認められたい。少しでも「いいね」が欲しい。キラキラした写真をアップして、すごいと思われたい。
「わー、斉藤ナミさんからコメントをいただけるなんて感激です!」
そんなことを言ってもらえると、まるで自分が有名人になったようで気分が昂揚する。
有名人に「いいね」や「リツイート」をしてもらえると「この人が私に賛同してくれた!」と世界中に言いふらしたくなる。
ほら、私はこんなに認められているんだ! 私にはこんなに価値があるんだ!
悲しいことが起きても、ここぞとばかりに何もかもを自虐にして140文字でつぶやく。もっと「いいね」が稼げるネタはないか? 朝から晩までSNSのネタを探す。ドカンとバズってフォロワーが一気に増える体験を一度すると、またバズりたいと欲が出る。
1万人に到達すると、今後は3万人にしたくなる。3万人に到達すればきっと10万人にしたくなる。フォロワーが多ければ多いほど、私はすごい人になれるんだ。もっと、もっと……!
これぞ映え!アフタヌーンティー
あるコミュニティの食事会へ
1000人、5000人、1万人と増えるたび、そこへ到達すれば何かが変わると思っていた。
フォロワーが1万人に達したちょうどその頃。あるコミュニティの食事会があった。社交性もなく人と喋るのが下手くそで、その類の予定は少し憂鬱に感じる私も、その日は違った。
もう昨日までの私とは違う。きっといろんな人と話がはずみ、たくさん友達ができるぞ。なんてったってフォロワーが1万人になったんだから。
「さあフォロワー1万人の私が来ましたよ!」という気持ちで誇らしげに集合場所へ到着した。
続々と集まってくるメンバーたち。2、3人で連れ立って仲良くお喋りしながら、または一人ずつで来て、集合場所で「久しぶりー」と言いながら小さなグループがどんどんできていく。それを眺めている私。
その後、人々は集合場所からゾロゾロと食事会の会場へ移動し……あれ。なんか思ってたのと違うぞ?
食事会が始まり、隣の人に「斉藤ナミさんですよね。わー、本物だ。お会いできて嬉しいです」と言われ、一瞬鼻の下が伸びることはあっても「あ、はい。初めまして」と挨拶するとその先に何を言っていいかわからない。天気の話をするか、どこから来たか尋ねるか、ぐるぐると迷った挙句、黙って食事をした。
食事という作業があるうちはまだいいが、その後の雑談タイムに周りの輪に入れず、何度もLINEを確かめるふりをしたり、トイレへ逃げ一人でツムツムして時間を潰したりする頃には、もう帰りたくて仕方なかった。
こ、これは……いつもと変わらない!
フォロワーが増えたからなんだというのだ。900人のころと同じ。私はいつも通りコミュ障で、一人ぼっちだった。
私に本当に必要なこと分かっているのに…
子どもの学校のPTA活動でも、町内会のお掃除でも、編集部の人たちとのオンラインMTGでも、何も変わらない。結局、私はいつも頭の中で文章を考えてばかりでろくな返事もできず、キョドってばかりの人間のままなのだ。そんなもの、変わるはずがない。SNSの私なんてネットの中だけの偽物なんだから。
SNSなんてやっていなくても芸能人のゴシップを面白おかしく話せるママ友のほうがみんなに好かれている。フォロワーが500人でも、私が逆立ちしたって書けない素晴らしい文章を書いている人がいる。フォロワー数なんてなんの証明にもならない。そんな虚像でしかない数字だけを追ったって、手元には何もない。
友達とのランチ、オシャレなスイーツ、新しい商品のリリース報告、優雅な旅行やキャンプ……なんていうキラキラした様子を不特定多数に向けてどんどん誇示して「いいね」を集めて永遠に承認欲求を満たそうとし続ける。
もう分かっている。誰だっていいところだけを見せている。そんなものと自分”を”比較したってしょうがないし、SNSでキラキラして見えているものは自分が持っている価値観とは大きくズレている。新しいものも、騒がしいところも好きじゃない。旅行も苦手だし、快適な家の中で美味しいクッキーを食べながら読書をすることが一番幸せだ。
SNSとは現代人を歪ませるために作られたのかと思うほど、要らない嫉妬や劣等感をボコボコと生み出しブクブクと増幅させる装置みたいだ。自分に自信がなく、周りにどのくらい認められているかで価値を測ってしまう私に、SNSという比較中毒者の墓場みたいな場所はどう考えても向いていない。恋人の動向を四六時中見張ることも、過去の恋愛を遡ることもできてしまうし、もうスマホごとカチ割ったほうがいい。
私に本当に必要なのは、あの人より多いフォロワー数でもなく、著名人の知り合いでもなく、SNSの向こう側にいる人たちからの「いいね」でも、承認でもない。隣にいる人に気さくに話しかける勇気や、このままで幸せだと感じる力だ。
分かっているのに今日も「いいね」を集めようと反則技であるネコのかわいい写真を撮ってつぶやいてしまうし、あの人の動向を追いかけてはギリギリしながら、接待「いいね」をしている。
1日の何時間をスマホと向き合っているんだろう