ジャンヌ・ダルクは貧農ではなかった?「文字も解せぬ」「貧しい娘」の真相

2025年5月30日(金)6時0分 JBpress

(歴史家:乃至政彦)

ジャンヌ・ダルクは本当に「文字も読めぬ貧農の娘」だったのか? 史料を読み解き、その情報を整理すると、意外な実像が浮かび上がってくる。電子書籍『ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進』を上梓した乃至政彦氏が、家族、政治の背景からその謎を洗い出す。


ジャンヌ・ダルクは貧農の娘だったのか?

 5月30日はジャンヌ・ダルク(1412〜31)の命日。

 彼女の生涯は神秘に包まれている。

 今回はその出自を見ていこう。

 ジャンヌ・ダルクは貧しい農民の娘と見られることが多い。

 史料的な裏付けが2つある。

 ひとつは、文字の読み書きが全くできなかったことだ。当時の裁判記録に「文字も解せぬ」「字も読めぬ」と書かれ、フランス側の史料でも、ジャンヌに送られた手紙は近くの者が読み上げて聞かせ、ジャンヌ署名の手紙もその言葉を聞いた者が代筆していることを確認できる。

 もうひとつは、処刑裁判となった1431年2月22日の第二審理で、彼女自身が自分のことを尋ねられて「自分は貧しい娘」(高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』白水社、1984・2015)と述べていることだ。

 これら2点から、創作物や伝記の類で、貧しい農民の娘として描かれることが多かった。

 だが、この2点ともより掘り下げてみると、別のことが見えてくる。


文字の読み書きができなかった理由

 識字能力がない⇒まともな教育を受けていない⇒だから貧しかった──という論法はどこまで妥当か。

 結論からいうと、ジャンヌに識字能力がないのには、理由があった。

 戦災によって教会が焼失し、識字能力を習得する機会を得られなかったのだ。文字を読める施設がない、教えてくれる施設がない。

 それにジャンヌは中世農民の長女である。富裕層の長男などと比べて、教育優先度はどうしても低くなるだろう。

 しかも時代は「百年戦争」と呼ばれる長期の戦乱の真っ只中にあり、ジャンヌの村も国境近くにあることから、教会復興の目処は立っていなかった。これで文字の読み書きを学べるはずもない。

 もちろん自分が信奉する『聖書』を読むこともできなかった。

 それでも彼女は裁判中、『聖書』にある教えや祈り文言の一部をしっかり暗唱している。

 戦災により朽ち果てた村の教会で、司祭から教わった教育の賜物であっただろう。


貧しい娘と述べた理由

 次にジャンヌ自身が「自分は貧しい娘」と述べた理由を見ていこう。

 こちらはジャンヌが「神の声」との対話において、発せられた言葉である。神の声はジャンヌに、イギリス軍に包囲されているオルレアンを救出するように要請した。

 その声は、ジャンヌの村を統治する城主に面会すれば、城主が「自分と同行してくれる従者を与えてくれる」と伝えた。ジャンヌはびっくりして、こう答えた。

「自分は貧しい娘で、馬に乗ることも戦闘の仕方も知らない」

 つまり、自分は貴族や騎士のように、馬に乗ったり、戦闘したりできないのに、従者を与えられて、戦地へ赴けと言われても困ると述べたのである。

 このときのジャンヌは騎乗や戦闘のできる富裕層ではないと言っているのであって、「農民の中でも特に貧しかった」と言っているのではない。

 これら2点の根拠を印象論で結びつけて、貧しい農民の娘だったと見るのは適切ではない。


実は富裕農民だったジャンヌ

 近年の研究によれば、ジャンヌの両親は、庶民層の中でも上位層にあったことを認められている。

 父のジャックには次の実績がある。

 1423年、ジャンヌ11歳の頃、近くに野盗(もと傭兵団)が拠点を構えたとき、村を代表して交渉に赴き、村への攻撃をしない契約を結んだ。ついで1425〜27年の間、城主から「長老」(Doyen。取りまとめ、村長的な役。検察と徴税の役を負う)役を任じられたこともある。こちらはジャンヌ13〜15歳の頃である。

 もしも野盗たちが村を襲ってきたとき、村人が避難するための城館を借り受けてもいた。こうした行動には、相応の資産が求められる。事実、ジャックは准騎士クラスの人物からも名を知られており、地元では名士として扱われていた。

 そしてジャンヌの母親も親戚に司祭や修道士がいることを史料に確認されており、やや知識階層寄りだったのではないかと見られる。

 このように両親の輪郭を整えていくだけでも、ジャンヌは、村の中では貧しいどころか、むしろいいところのお嬢さんだったと思われる。


ジャンヌが歴史の表舞台に現れた背景

 ジャンヌはあるときより、神の声が聞こえるようになり、その声に基づいて、城主にオルレアン解放への積極参加を主張した。ここでこの城主は、なんとジャンヌの言い分を認めて、本当に従者を与え、ジャンヌの進発を力強く支援した。

 実はこの城主、ジャンヌの父ジャックを「長老」に任じた人物であり、ジャックは何度も城主に減税を意見しに出向いたことがある。2人の男は顔見知りであったのである。

 こうした背景を見ていくと、ジャンヌの奇跡の背後に幾らかの政治的な思惑があることを認められる。

 なお、ジャンヌ死後、その名誉を回復するために行われた復権裁判において、同じ村の友人が村人時代のジャンヌを「すすんで、度々教会に通い、父親から貰ったものを貧しい人々に施して」いていたと証言している。

 ジャンヌは生活に困らない富裕層で、なおかつ善良な娘であり、村人たちからも好まれていた。

 彼女の言動には曇りがなく、彼女を有罪にしようとする者たちですら、その清らかな答弁に動揺することがあった。

 小説や映画の中に、ジャンヌを異常者、狂気の人とする作品は少なくない。だが、確かな実像を求めて、情報を整理していくと、意外に普通の人間であったことが見えてくる。

 彼女の謎については、電子書籍限定で発売させてもらった『ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進』(日本ビジネスプレス、2025)で様々に考察しているので、よろしければご一読願いたい。

【乃至政彦】ないしまさひこ。歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(ともにJBpress)、『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。現在、戦国時代から世界史まで、著者独自の視点で歴史を読み解くコンテンツ企画『歴史ノ部屋』配信中。

筆者:乃至 政彦

JBpress

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