200人の観光客が島内にある水族館に取り残され…新聞・テレビが報じなかった能登半島地震“恐怖の一夜”

2024年6月15日(土)7時0分 文春オンライン

 あの日、石川県七尾市の能登島にある「のとじま臨海公園水族館」(愛称・のとじま水族館)では、多くの来館者が島内に取り残された。能登半島地震で橋が通行止めになり、帰宅できなくなったのだ。地震後に長期休業を余儀なくされた水族館は、夏休み前の営業再開を目指している。しかし、また取り残されるようなことは起きないか。最盛期には島民人口の4倍ほどの客が訪れる施設だけに、「備え」が求められる。


◆ ◆ ◆


 携帯電話の緊急地震速報がけたたましい音を立てた。


「すぐにガタガタと揺れ始めました。『久しぶりに大きな地震だね』と、同僚と話していたんです」


 のとじま水族館の高橋勲・企画係長(50)が振り返る。



閑散としたゲートで草刈りが行われていた(のとじま水族館の入口)©葉上太郎


地震当時、館内には200人ほどの来館者が残っていた


 2024年1月1日、午後4時6分。同県珠洲(すず)市で最大震度5強を計測する地震が発生した。のとじま水族館のある能登島は、珠洲市の震源とされる地点からだと直線距離で20kmほど離れている。島は震度3だったが、かなり強い揺れに感じたという。


 能登半島地震では大きく分けて2回の大きな揺れがあり、その1回目だった。


 水族館は一般財団法人「石川県県民ふれあい公社」が経営している。例年通り正月から開館し、職員約55人のうち30人近くが出勤していた。


 辰年の元日とあって、ダイバーが龍の着ぐるみ姿で水槽に潜る。家族連れやグループが水槽の外から“一緒に”記念写真を撮るなど、館内は和やかな雰囲気に包まれていた。


「日中は700〜800人の来館があったと思います。冬期の閉館時間は午後4時半。地震が起きたのはその20分前だったので、『もう帰ろうか』というお客様が出口に近い売店付近に集まっていました。普段はこの時間だと10〜20人程度しかいませんが、200人ほど残っていました」と高橋係長が話す。


無線で全職員に来館者の避難誘導をするよう指示


 最初の揺れの後、地震発生時のマニュアルに従い、職員は施設・設備の点検や来館者の確認などに散らばった。


 その4分後の午後4時10分、これまでになく激しい揺れに襲われた。


「私は事務所にいたのですが、何かにつかまらないと立っていられないほどの横揺れでした。重い机がおもちゃのように右へ左へと軽々動きます。いつ収まるのだろうと思うぐらい長く感じました」(高橋係長)


 輪島市などで最大震度7を計測し、能登島の震度は6強の激震だった。


 もはや設備の点検などしている場合ではなかった。無線で全職員に来館者の避難誘導をするよう指示を出した。


 のとじま水族館は海に面して建てられている。出口は山側の高台につながり、バス駐車場になっていた。続々と逃げ出した来館者は、まずはこの駐車場に集まった。もう一段上にある一般駐車場で自分の車に逃げ込む人もいた。不幸中の幸いで、けが人はなかったようだ。


半島と結ばれていた2つの橋が通行止めに


 海岸の地震で心配されるのは津波だ。気象庁は2回目の揺れの2分後に津波警報を出した。さらにその10分後、大津波警報に格上げする。


「水族館からの帰りは、防潮堤がない海岸沿いの道路を通ります。このため、多くのお客様が水族館の高台で待機したようです。携帯電話の緊急地震速報がひんぱんに鳴り、余震も続きました」と高橋係長は話す。間もなく日が暮れた。


 能登島は東西13.5km・南北8.6kmの大きさだ。能登半島の中央部がえぐれた七尾湾に浮かぶ。


 半島とは、能登島大橋(橋長1050m)と、中能登農道橋(愛称・ツインブリッジ、橋長620m)の2橋で結ばれていた。


 地震の後、これらが全て通行止めになり、島から出られなくなった。


 その情報を入手した職員が、駐車場で待機する来館者に知らせて回ると、「帰れない?」「いつ開通するの」と愕然とする人もいた。


 元日の夜は寒い。


 余震が激しくて館内に入ることはできず、来館者はそれぞれの車で寒さをしのいだ。職員も交代で車に入って暖を取った。


「食べ物はなく、館内の売店にあったお菓子や飲み物を配ることしかできませんでした」と高橋係長は言う。


「オムツの換えはないか」と尋ねてきた来館者もいた。予備のオムツは日頃から準備していた分を渡した。水族館としてできたのは、せいぜいこれぐらいだ。


 能登島は多くの地区で停電していたが、水族館は一瞬停電しただけで電気が通じた。真っ暗闇にならなかったことだけが救いだった。


地震直後、島内の集落に津波が来襲


 高橋係長らは手分けをして島内の情報を集めた。避難所が開設されたらしいという話を聞いたが、本当かどうか分からない。そこで高橋係長は同僚と一緒に車で確認に向かった。


 この時、道路が海水に濡れていて、津波に襲われたのだと分かった。漁船も陸に打ち上げられているのが見えた。


 どのような津波だったのか、住民の証言を記しておきたい。


 高橋係長らが津波の痕跡を目撃したのは、向田(こうだ)漁港の辺りだ。


 同港で漁師をしている橋下一博さん(73)は「2回目の揺れがあまりに激しかったので、『屋内にいたら危ない』と、まだ地震が収まらないうちに、はうようにして外に出ました。周囲では『津波が来るぞ』と叫ぶ人もいました。津波警報や大津波警報が出たという防災無線の放送も流れます。『とにかく逃げないといけない』と、すぐさま車で高台に避難しました」と語る。


 集落にはその直後に津波が来襲したらしく、道路から1.5mほどの高さに浸水した。もし、水族館の来館者が慌てて逃げようとしていたら、命を失いかねなかった。


 向田漁港の漁船は5隻が道路などに打ち上げられた。そのうちの1隻は橋下さんの船だ。他の港から流れ着いて、沈没した船もあった。


 橋下さんは漁船をもう1隻持っていたが、これは100kmほど離れた新潟県上越市に流れ着いた。


「かなり壊れていたようなので、現地で処分してもらいました」と語る。


 港は地震による損壊に加えて沈下してしまい、海が岸壁を洗うようになった。


来館者のほとんどが島内の避難所へ


 話を水族館に戻そう。高橋係長らが能登島生涯学習総合センターを訪れると、避難所が開設されていた。既に多くの島民が避難していて、水族館に取り残された来館者が入れる場所はなさそうだった。


 それでも、避難所運営の世話役をしている人に「水族館の駐車場に150〜200人ぐらい取り残されています。受け入れてもらえないでしょうか」と相談した。


 世話役は「分かった」と言ってくれた。コミュニティセンターに新たに避難所を開設しようとしていたので、そちらに向かうよう指示した。ただし、断水していて、食料もない。「それでもよければ」という話だった。高橋係長は「暖が取れるだけでもいい」と考えていた。「よろしくお願いします」と頭を下げた。


 水族館の駐車場に戻り、「島内の避難所に身を寄せることができる」と伝えて回ると、半分ぐらいが「行きたい」と答えた。


 途中の道路は地震で崩落して通れず、集落の中の細い道をたどらなければならない場所もあった。このため、高橋係長らの誘導で車列を組み、30〜40台ほどの来館者が避難所へ向かった。午後10時頃だったと記憶している。


 さらにその1時間後、水族館の駐車場でもう一度声を掛けて回ると、残っていた車のうちの半分程度が避難所へ移った。


 最後まで水族館の駐車場に残ったのは5台ほどだった。


長引けば、さらに酷い事態を招きかねなかった


「いつまで島内で孤立するか分からなかったので、移動でウロウロしてガソリンを消費したくないという考えがあったようでした」と高橋係長は話す。


 こうして食事もできず、断水で便所も使えないまま、翌1月2日の朝を迎えた。


 橋は、通行止めになった2本のうち、能登島大橋が午前10時に通れるようになった。足止めされていた来館者はようやく島外に脱出することができ、高橋係長はほっと胸を撫で下ろした。


 長引けば、さらに酷い事態を招きかねなかったからである。


 例えば、避難所の食料は全く足りてなかった。向田漁港の橋下さんは「発災初日は食べ物がありませんでした。2日目に炊き出しが始まりましたが、高齢者が優先だったので、私に回ってきたのはお握りが1個だけでした」と語る。


 200人近い来館者が食べる分はどれだけあったろう。


 また、発災した日が悪ければ、何千人も取り残される恐れがあった。


橋が通行できなくなったのは今回が初めてではない


 高橋係長は「5月のゴールデンウイークや夏休みには、1日に8000〜9000人が来館します」と話す。それなのに、2023年5月5日の「こどもの日」には大きな地震が起きた。


 午後2時42分、今回の能登半島地震と同じエリアを震源とする最大震度6強の地震が発生。珠洲市で1人が死亡し、同市などで1685棟の住家が損壊した。


 能登島は震度4で済んだものの、もし橋が通れなくなっていたらどうなっただろう。能登島の人口は2310人(2024年4月末時点)。水族館には多い日で島民人口の4倍もの来館者がある。


 しかも、橋が通行できなくなったのは今回が初めてではない。能登半島地震は2007年3月25日にも起きた。七尾市などで最大震度6強を計測し、能登島大橋は橋台が損傷して1週間通行止めになった。


「今回の通行止めが1日で済んだのは、前回の能登半島地震の後、補強工事をしていたからです。もし、していなかったら、どうなったか分かりません」と石川県の担当者は言う。


 もう1本のツインブリッジは今回大破した。橋台と橋げたの間にある連結材が損傷し、大がかりな修理が必要になったのだ。このため地震の発生直後から通行止めになっていて、いつ開通するか決まっていない。現在、能登島と能登半島の行き来は能登島大橋だけに頼っている。


今後、島民人口を上回る観光客が島に取り残された場合は…


 そのような状態ではあるものの、馳浩・石川県知事は2024年7月中旬までに水族館を再開させると表明した。


 水族館は設備の損傷や生物の大量死で休館していたが、「まずは準備の整った施設から、夏休み前に営業再開できるように準備を加速します」と記者会見で述べたのだ。


 それまでにツインブリッジが開通しなければ、島への交通は能登島大橋1本しかない。


 この能登島大橋とて再び被災しないという保証はあるだろうか。2024年6月3日には最大震度5強を計測する地震があり、輪島市で5棟が倒壊している。


 島民人口を上回る観光客が島に取り残された場合にどうなるか。避難所や備蓄などの準備をしておかなくていいのだろうか。島民も来館者に居場所を提供したり、食料を分けたりしなければならない。


 高橋係長は「水族館だけでは対処できないので、県や市という大ぐくりの中で考えていく必要があります」と話す。


 七尾市の防災担当者は「そこまでの想定はしていません。地震によって被害は違い、島外への救出など対応も異なるからです。市だけでは対処できないでしょう」と語る。「それでも備蓄など準備できることはある。島民も心づもりをしておかなければならないのではないか」と尋ねると、「確かにそうした課題はあるかもしれないので、検討はしていきたい」と述べていた。


 被災前は年間40万〜50万人の入場があった水族館。営業再開は被害が大きかった能登半島に明るい話題になる。遠方からの来客もあるだろう。だからこそ、想定できるものは想定しておきたい。


撮影 葉上太郎

〈 「半袖シャツ1枚で冷凍庫に入れられるようなもの」ボイラーが壊れて南方系の生き物は数日で全滅…40種5000匹の命が失われたのとじま水族館の悲しみ 〉へ続く


(葉上 太郎)

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