産総研漏洩:妻が社長の中国企業が特許取得の構造疾患
2023年6月20日(火)6時0分 JBpress
前回稿「産総研の中国人研究者によるスパイ容疑、何があったのか」を校了した直後、中国人研究者情報漏洩事件に関して、より詳細な続報がありました。
すでに指摘した通り、やはり知財、特許を巡る問題がめくれてきた格好です。報道の内容を確認してみます。
まず読売新聞。
国立研究開発法人「産業技術総合研究所」(茨城県つくば市)の技術情報漏えい事件で、(中略)権恒道容疑者(59)(不正競争防止法違反容疑で逮捕)から研究データの提供を受けた中国企業が、約1週間後に中国で特許を申請していたことが捜査関係者への取材でわかった。内容が類似しており、警視庁公安部は研究データを転用したとみている。
さらに毎日新聞
容疑者の妻が漏えい先代理店社長 中国で特許申請か (中略)権恒道容疑者(59)=不正競争防止法違反容疑で逮捕=の妻が、漏えい先とされる中国企業の日本代理店の社長だったことが、捜査関係者への取材で判明した(中略)
漏えい先とされるのは中国の化学製品製造会社で、つくば市内にある日本代理店の社長を権容疑者の妻が務めている。同社は2018年4月、権容疑者からデータを受け取った約1週間後に中国で特許を申請し、20年6月に取得した。申請内容のデータは流出したものとほぼ同じで、発明人として権容疑者が名を連ねていたという。
こうなってくると、話は全く変わってきます。
問題となる中国の化学製品製造会社はつくば市内、産総研の目と鼻の先に日本代理店を構えており、その社長は「権容疑者」の妻であるという。
そして情報漏洩から約1週間後に同一内容の特許が中国で出願され、発明人として権容疑者の名も連なっていたとなれば、完全に計画的、かつ長期的に仕組まれた知財化の策略であったと考えられます。
ここでスパイ防止だの何だのという話題に飛躍しても、実はあまり意味がありません。
というのは、国家規模のスパイ行為であれば、妻が社長の企業名で自分を発明人にして中国の特許を取ったりしないし、そもそも産総研にすべてバレバレの産総研メールアドレスを利用して、情報送信するプロのスパイはいない(苦笑)からです。
家族を大切にする中国で、個人の図利を狙った「ファミリー犯罪」と見るのが、本件については妥当そうに思います。少なくとも軍事スパイの何のという色彩は、ここまではおよそ見えてきません。
ところが、大学・研究機関の実情を知らない人が、無関係な制度を作っても、日本の知財はちっとも守られず、むしろ事態を悪化させる可能性が高い。
全く考えもなしに、1990年代の日本で無意味に進められた大学院重点化と、その結果、日本人学生だけでは到底定足数に満たない日本の大学院の特に博士課程の実情など、より構造的な観点から、本質的な対策を講じなければ、技術立国日本は早晩滅んでしまうでしょう。
まずは外国人留学生、特に中国を含む東南アジアからの留学生がいなければ、ほとんど存続困難な日本の大学院研究事情から、この問題を考えてみます。
国内TLOなら優等生、産総研の知財管理は?
「権容疑者」は1984年に南京理工大学を卒業後、中国で研究職に就き、96年に同大学でフッ素化合物関連の研究で博士の学位を取得後、98年に来日して産総研の研究員職(講師・助教授相当)に就任しています。
1998年というのは、まさに日本国内で大学院重点化が進められていた渦中の時期です。
私自身この年、2度目の博士課程を社会人大学院生として修了、その頃は地上波テレビ番組「題名のない音楽会」監督等で収入を得ていましたが、1999年に人事があって東京大学に勤めるようになりましたので、当事者としてよく記憶しています。
皮肉なことですが、今回「権容疑者」がやらかした研究所のすぐそばにエージェント企業を置いて、そこで研究開発した内容を権利化、端的には特許取得や意匠登録など知財化するスキームは、この時期いまだ国立大学であった東大でも、精力的に進められていました。
ほかならぬ私自身が2000年、東京大学のTLO(Technical Licensing Office)「株式会社東大総研」の設立参加に誘われ、取締役技術評価委員として大学の研究成果を独自知財とする用務に携わりました。
学内で元気な若手を応援し、当時は助教授、現在は東大総長職にある藤井輝夫君のベンチャーなども応援しました。
そうした経験から記しますが、今回報道されている権容疑者の行為が、仮に中国企業でなく、またその社長が妻とかでもなく、産総研のTLOが適切に知財確保、知財管理できていたら、全く問題もなければ、むしろ優等生的な反応として称揚されているはずです。
というのも「データ送付から1週間で特許申請」実にスムーズです。これが、現在の東大の知財部であれば、こんなに早くは動きません。
私自身、実は2001年、東大の全学広報委員として現在の産学連携本部の元になる社会連携案件を担当しました。
当時の全学広報委員長は、のちに東大理事副学長を務め、現在は東京理科大学学長職にある石川正俊さんが務めていました。様々なことが牛の歩みで、石川さんも苦労しておられました。
のちに東大のTLOは一本化され、我々の「株式会社東大総研」は敗退します。
しかし、何かと無風状態を好む日本役所病の内輪もめなどでなく、複数のTLOが覇を競いながら業績を伸ばすスタイルにしていたら、東大の知財部は現状と比較にならない成長を見せていたに違いありません。
産総研についても、類似の指摘が可能と思います。
出自が引きずる官僚体質とユックリズム
そもそも産総研とは2001年、中央省庁再編に伴って、かつての通商産業省・工業技術院を中心に全国15の研究所を統合して再編された寄り合い所帯です。
知財化は重要なミッションの一つであったはずでした。
初代理事長は東大工学部長・総長から転じた吉川弘之先生で、私自身、産総研時代の吉川さんが推進しておられた「第二種基礎研究」というプロジェクトに関わっていた時期があります。
2代目産総研理事長として、東大総長を退いた小宮山宏氏が着任する予定だったのが、とある経緯によって三菱電機の野間口有さんが後継となり、小宮山さんが三菱総研の理事長にたすき掛け人事となったことなども、知る人にはよく知られた事実です。
私もお仕えした小宮山さん、個人的に彼が好きなのは、良い意味でおっちょこちょいというか、多くの東大教授ならしり込みしそうなことにも大胆にチャレンジする気風がありました。
それが「産総研理事長としてはちょっと・・・」と難色を示されたとか、そうではないとかいう話は別の折に記すようにします。
ここで重要なのは産総研がもともと工業技術院という国家の研究機関であったこと。
そして日本株式会社の業病として、知財化や特許確保といった基本的な技術経営に、少なくとも2000年時点では組織の体質として全く合っていなかったという基本事実です。
その後、東京大学は国立大学法人化し、吉川〜小宮山〜五神眞という理工系総長主導で知財、経営といった観点を重視する制度が敷かれ、現在の藤井総長はその付託を受けて精励しているわけです。
知財部のユックリズムぶりはいまだ健在であるように思います。
いま現在の産総研の知財管理について、正確なことを申せませんが、少なくとも権容疑者とその妻が社長を務める中国企業の知財確保がはるかに迅速だった。
2018年の4月に漏洩した情報で4月中に中国の特許を申請2020年にはすでに認可が下りているのを、それからまる3年も経過した2023年の6月頃になって、公安主導で私たちが知る・・・。
その鈍足さを根本から改めるのは、およそ容易なことではありません。
優秀な人材は残らない
もう一つ、本件に関して中国人研究者が入り込んで、スパイという論調がネットなどに見られます。
しかし、冒頭にも記した通り、2023年現在の日本、少なくとも東大大学院の理工系、生命系などの研究科は、東アジアからの留学生がいなければ回って行かない現状があります。
仮に中国人留学生がゼロになってしまったら、日本の高等研究機関は麻痺してしまいます。
ほかは定かなことは言えませんが、東大は間違いなく、中国人留学生がいなくなったら一度止まらざるを得なくなる。
それくらい、日本の理系大学院、特に博士課程は、東アジア留学生比率が高い。
なぜか?
高等学術や基礎研究を軽視した日本の行政や立法府の低い見識が、大学や研究所を30年来蝕んできた結果としか言いようがありません。
例えば東大に入学し工学部に進学した学生は、理工系就職しようと思ったら大学院修士課程までは出ておかないと企業はR&D(研究開発)要員としてカウントしてくれません。
修士を出て企業研究所に就職すれば、給料をもらって優れた設備のもとで研究が進められます。
翻って、修士から博士課程に進むなら、学費を支払い、アルバイトなどは別にしながら、場合によれば貧困な設備のもとで、爪に火を点しつつ研究を進めなければならない。
両者の違いはただ一つ。
企業の研究は言われた研究要務をこなすことであり、大学では主体的に自分自身の研究が進められる。
日本人学生はその選択を迫られているわけですが、具合の悪いことに今日のZ世代は、大学の専門としてやりたいことが特にない、という子が圧倒的に多い。
主体的にやりたいことがあれば、学費を払いアルバイトで生活しながらでも自分のテーマで学位を取ろうと頑張るでしょう。ほかならず私自身、そうでした。
でも、特段やりたいことなどなく、まあ言われたテーマでそこそこのパフォーマンスが出ればいいや、というスタンスであれば、大学院は修士まで、博士はまあ、企業で管理職などになったら飾りとして論博など取るかもしれないけれど、ひとまずは企業就職で生活防衛・・・となるのが当たり前の人情です。
そもそも専門性の高くない日本の国情から、そこそこ以上に優秀な修士課程の大学院生は軒並み企業に流れ、大学院博士課程はコンビニエンスストアのレジと大差のない人手不足に陥らざるを得ない。
結果、日本人の欠員分を東アジアからの留学生が埋めて、何とか文科省から定足数割れと指摘されずに済んでいる。
我が国の高等研究教育の中枢と言ってもいいであろう私たち東京大学大学院にして、これが過不足ない現実であることを、社会はどの程度知っているでしょう?
少なくとも代議士はおよそ認識していない人が大半で、話すと軒並みビックリされます。
でも、いない者はいない。コンビニ同様、外に人を求めるしかない。
2000年代、中国で最優秀の学生は軒並み米国に留学して、日本には2番手以下しか来てくれませんでした。
ですから、トップ級の中国人留学生がやって来ると、本当に歓迎し、厚遇したものだった。
それが、本当の現実です。つまり東アジア留学生大半で研究室を回して行くということになる。
ほかならず、私のラボも昨年度までは東アジア理系女集団研究室でありました。
日本の研究機関のアウトプットといっても、実際に研究を遂行しているのは日本人とは限らない。
かつ、それを社会にアウトソースするうえで、知財化の仕組みやその迅速な処理などが、産総研や理化学研究所、あるいは私たち国立大学法人東京大学を含め、十分に整っているのか?
欧米先進国と比較するなら、およそ話にもならない、後手に回っているとしか言いようがない状況が現実だと思います。
今回の産総研漏洩、引き続き推移を見守っていきますが、「外国人研究者が情報を盗む」とばかり、ゼノフォビアの「攘夷論」に流れても、日本のためにはおよそプラスになりません。
いまや日本の研究は各国からの留学生なしには成立しない状況ですが、これは米国だってドイツだって同じことです。
各国の優秀な人材が集まって成果を挙げる、国際的な高等学術機関というのが、そもそものあるべき姿です。
我が国が取るべき対策は、まずもって情報流出への防御対策以前に国研や大学の研究成果を社会に送り出す、テクニカル・ライセンシング・システムの圧倒的拡充です。
それがきちんとする過程で必然的に漏洩対策なども整ってきます。
日本の代議士、特に地方の選挙区では教育や学術、研究を公約に入れても、ちっとも票が伸びません。むしろ落選の危機に瀕した例をいくつも知っています。
その結果、代議士・立法府が学術も研究も軽視し、必然的に知財管理などもほったらかしになってきた過去30年の失われた時間から、この問題への再発防止対策を立てなければなりません。
権容疑者が来日した1998年、あるいは産総研でヒラ教授相当の主任研究員に就いた2002年から、ほぼ四半世紀にわたるニッポン技術経営のスポンジ脳状態が、今回の「氷山の一角」を露呈したと考える必要がある。
対症療法では間に合わない。根本治療が必須不可欠です。
続報に注意しつつ、この問題の根幹、日本のガンの寛解に向けて、引き続き検討する必要があるでしょう。
筆者:伊東 乾