脱サラして北海道・鷹栖町に移住。第三者経営継承制度で米農家に転身した夫婦の挑戦

2023年10月18日(水)16時24分 ソトコト


槇敦史さんは、元製薬会社の営業マン。約10年勤めた後に脱サラし、夫婦で茨城県から北海道鷹栖町へ移住。その後、第三者経営継承制度を利用して13ヘクタール(東京ドーム約3個分)の水田を耕す米農家になりました。北の大地で夢を叶えたふたりの挑戦を取材します。


30代前半で模索した「人生の岐路」


槇敦史さんは茨城県出身の37歳。

大学卒業後、製薬会社に約10年間勤めた敦史さん。各地を転勤するなか「このままの人生で、ほんとうにいいのかなあ」と考えていた頃、赴任地の京都で巡り合ったのが週末に開かれていた社会人向けの農学校でした。もともと農業に興味があった敦史さんですが、それが本当にやりたいことなのか試すために入校。1年間、座学で畑と農業について学び、作物を育てる難しさ、楽しさ、充実感を味わいます。


「そこでさまざまな年齢や職業、考え方の同期と出会い、将来の人生への考え方が柔軟になりました」


そう話す敦史さんはその後、各地の移住・就農フェアに参加したり、本気度を試すために農業簿記1級を受験し習得するなど、「来るべき時」に備えてチャンスをうかがう日々を過ごすのです。


軽トラックを乗りこなす妻の陽子さんは、北海道札幌市出身。

敦史さんが札幌で勤務していたときに知り合い、お付き合いを経て結婚した妻の陽子さん。彼女も当時、敦史さんと同じく会社勤めをしていました。


「夫が農学校に通うことに、当初は興味がありませんでした。ですが、それなりの学費もかかるなか、家族は無料で学べると聞いて『それだったら……』という感じで一緒に通うようになったんです(笑)。一緒に学ぶ中で、夫がやりたいのは稲作だと知りました。ほかの作物ならひとりでも栽培できるものもあると思いますが、稲作は絶対にひとりでできる作業ではないとわかっていたので『いつか、一緒にやるんだろうな』という、覚悟みたいなものはそこで芽生えていたかもしれません」


と話す陽子さんですが「就農することを決め、勤めていた会社に退職願を出す前日まで、本当は迷っていましたけどね」


今では軽トラックが似合う、素敵な「農家さん」です。


運命的な出会いが待っていた鷹栖町


移住・就農先を探していたとき、妻・陽子さんの祖父母が昔暮らしていた鷹栖町で人生を変える運命的な出会いを果たします。


「偶然、同じ製薬業界から転身し、農業をされている方と知り合ったんです。半年後、その彼から離農される農家さんを紹介してもらいました。その離農される農家さんが(後に槇夫妻が事業継承を受けることとなる)僕の師匠というわけです」


敦史さんは師匠からご馳走になった米の旨さに衝撃を受け、人に感動してもらえるものを自分たちで生産し、喜んでもらえるものを届けたいと、稲作農家になることへの思いをさらに強くしたのです。


ここから話は一気に進みます。師匠、鷹栖町役場、槇夫妻の三者で継承の相談・調整を行い、2年後の2019年春に「※ 第三者継承」を締結。鷹栖町での生活が始まりました。


※高齢化や後継者不足で離農する農家さんのもとで研修を積み、経営を継承すること。


上川管内・鷹栖町(たかすちょう)



鷹栖町は、上川盆地に位置する北海道の中核・旭川市に隣接し、盆地特有の大きな寒暖差と大雪山系の雪解け水に恵まれた地形にあります。夏は水田に揺れる稲が美しく、冬は雪に閉ざされるなか、真っ白で美しい大雪の山々を望む米どころです。


収穫直前の水田。9月初旬の鷹栖町は、町全体が実る稲穂で黄金色に染まる

槇夫妻を待っていたのは、稲作農家としての修行の日々


師匠から「研修」を受けていたころの敦史さん。継承後の今では「最大の理解者」であると話されます。(写真は槇さん提供)

「師匠は職人気質で、厳しい指導も受けました。今思うと、私たち夫婦の本気度を試していたのでしょう。当然ですよね。自分の土地や仕事を他人に譲るのですから。継承が済んだ今も、叱咤激励を受けながら仕事をしています」


移住し継承する課程で、両者の関係は「お客様」から「師匠と弟子」の関係に代わり、冬以外は土日も関係なく一緒に農作業に明け暮れる日々。会社員時代に経験することのない「きびしい言葉」で指導されることもあったそう。「忍耐の日々だった」と振り返られました。


しかしその反面、間近で見守っていた地域の農家さんから、温かい協力と励ましももらえたそうです。思えばこの一連の出来事が、地域との絆を深めるきっかけにもなったと敦史さんは言います。


13ヘクタール(東京ドーム約3個分)という、広大な水田の継承を受けた。(写真は槇さん提供)

こうして時が過ぎ2年経ったころ、その頑張りが認められて無事に継承。敦史さんは2021年に『まきファームたかす』を設立しました。


取材の日、『まきファームたかす』を訪ねると、足を怪我した敦史さんに代わって「師匠」が草刈りをされていました。「頼んだわけではないのですけどね…」と敦史さん。ふたりの間にある強い信頼関係は、事業承継後も強さを増しているようです。


就農3年目。努力が認められ「選ばれる米」に


2023年8月取材時の水田。

今年で就農3年目を迎えた『まきファームたかす』。食べてくれる人が笑顔になってほしいとの思いを込めてつくられた米は、わずか3年という短期間で、鷹栖町のふるさと納税返礼品に選ばれました。2023年夏からは大阪府のレストランと契約し、直接納入されるまで販路が拡大。


「多くの仲間に恵まれ、支えていただいた結果、私たち夫婦だけでは成しえない成果が出ています」と敦史さんは話します。


2023年5月、子どもたちへ「はじめての田植え体験」を開催したときのひとこま。食農教育や地域とのつながりを、とても大切にしています。
(写真は槇さん提供)

地域のお祭りでは、ポップコーン係が陽子さんの「定位置」。(写真は槇さん提供)

陽子さんが編集し、お米を購入された方にWebで発行するミニコミ誌『稲穂CLUB』を読むと、いかに槇夫妻が丁寧にお米をつくられているのかがわかる。

「初心を忘れず、胸を張って届けられる米をつくります」


9月初旬に訪れた際に撮影。今年の北海道は『異常』ともいえる暑さが続いたが「暑さの影響を心配していましたが、今年も無事に収穫期を迎えられそうです」。取材の数日後、例年より少し早い収穫がはじまったという便りが届いた。

これからの『まきファームたかす』について展望を尋ねると、「何も変わりませんよ」と敦史さん。「夫婦ともに心身健康でありつつ、自分たちの好きな仕事で人に喜んでもらいたいと思い、脱サラしてお米農家になりました。自分たちが自信を持って、おいしいと笑顔で言ってもらえるお米をつくり続けるだけです」と言います。


陽子さんも「事業継承にあたって、師匠から出された条件の一つが『単身でないこと』でした。夫婦の協力が大切だということを教えられたように思います。これからも、夫婦で汗をかいてつくったお米をお届けしたいと思います」と、意気込みを語ってくれました。


槇夫妻が栽培するのは「ゆめぴりか」と「ななつぼし」。(写真は槇さん提供)

各種ギフト用も販売されており、「鷹栖町ふるさと納税」専用サイトや、新米も含めて『まきファームたかす』のホームページから購入できる。(写真は槇さん提供)

まきファームたかす


ホームページ https://makifarmtakasu.wixsite.com/makimai


ブログ http://makifarmtakasu.livedoor.blog/


Instagram https://www.instagram.com/makifarm_takasu/


文・撮影:なーしぃ(本名:山崎陽弘)https://nursy-hokkaido.com/

ソトコト

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