広島平和記念公園から命の喜び・感謝・つながる思いを発信。「ひろしま音~楽まつり」とは

2022年10月21日(金)7時0分 ソトコト

「広島」と聞いて思い浮かべるものは? 音楽祭をしようと思ったきっかけ


みなさんは、「広島」と聞いて何を思い浮かべますか。「ひろしま音〜楽まつり」の主催者である岩田雄大(たけひろ)さんは、広島で生まれ育ちました。世界一周の旅に出た岩田さんに、世界中の人々が問いかけます。
「どこから来たの?」




ひろしま音〜楽まつり


岩田さん「HIROSHIMA(ひろしま)」
と答えると人々の顔から笑顔が消え、同情、あわれみ、心配、怒りへと変わっていきました。
岩田さん「一度も、広島のことを知らない人には出会いませんでした。インドの農村に行ったときも、昔盗賊の隠れ家になっていたメキシコの街に行ったときも、モロッコの列車のなかでも、キューバの港でも、ベトナムの山奥でも、出会った人はみんな当然のように、私の故郷である広島を知っていました」




モロッコの人たち


旅のなかでこの質問に答え、人々の顔から笑顔が消えていく様子を何度も目にするうちに、「広島と答えることが辛くなった」と岩田さんは言います。帰国したあとも、世界の人たちが広島と聞いたときに笑顔になれる発信はないだろうかと模索し続けていた岩田さん。そしてたどり着いたのが、平和を願い、祈る音楽祭の開催でした。
岩田さん「原爆を落とされたあとも諦めずに、復興してきた広島の人たち。その心意気・生きる術や知恵を共有し、怒りではなく感謝を、悲しみではなく生きる喜びを、不安ではなく希望を、世界の人々に発信することで勇気を与え、笑顔に近づけられるのではないかと感じました」
これまで起こったことを受け入れ、後悔ではなく経験を生かして未来に向けての前向きな動き、想い、方法を発信していける場所として国を越えて、性別を越えて、人種を越えて、世代を超えて、結びつながる場としたいという想いで、音楽祭を続けているそうです。


福岡県星野村から「広島原爆の残り火」を持ち歩くウォーク




「広島原爆の残り火」を入れた羽釜を手に、広島平和記念公園を目指して歩く。


77年前、原爆が投下された焼け跡から遺品代わりに持ち帰られた「広島原爆の残り火」が、今も福岡県星野村で灯し続けられています。
今年の2月、岩田さんは火を焚く暮らしをしている友人の家で一週間過ごしました。朝起きてすぐに火を焚いて暖をとり、火で料理をする暮らし。その後、自宅で火を焚く暮らしを始めた岩田さんは、家のなかで火を焚き、煮炊きし、火を見つめながら自分を見つめるなか、今年のお祭りのテーマが「火」であることに気がついたそうです。
岩田さん「火を中心に開催するなら、灯す火は『広島原爆の残り火』以外には考えられませんでした。簡易的な方法での運搬ではなく、持ち歩き、祈りながらその時間の感覚のなかで8月6日の広島平和記念公園を目指すことに意味を感じました」
7月24日、岩田さんは「火を持ち運び祈るウォーク」として、6人の仲間たちと福岡県星野村から広島を目指して歩き始めました。2週間で287キロを歩き、火とともに広島平和記念公園に戻ってくるという行程です。




広島原爆の残り火


夜明け前に起き、毎朝仲間と火とともに祈りをささげ、この火で炊いたご飯を食し、20キロのリュックを背負い、ひたすら歩を進めました。足には豆ができ、荷物が食い込む肩の痛みを抱えながら。そして8月6日の午前0時、広島平和記念公園にたどり着いたのです。
実は、13日間をともにしてきた火が、爆心地から4.5キロ地点で消えてしまいました。「その瞬間は、誰もその事実を受け入れることができませんでした」と、岩田さんは言います。再び火を焚いて火を囲み、これまでの行程を振り返り、起こったこととその意味を問いかける時間が生まれました。
岩田さん「その日の朝に出会った、『順風のなかで自身を見失い、逆風のなかで自身に出会う』という言葉を思い出しました。火が消えるまでの私たちは、火の巡礼をほぼやり遂げた充実感と、広島まで歩いてこれた達成感に満たされていました。まさに順風のなかにいました。しかし、火が消えた瞬間から突然逆風へと変わったのです。 そして逆風のなかで自分自身の心に灯っていた火の存在に気づき、残り4.5キロを私たちは無言で歩きました。音楽祭は、それぞれの心に灯った火を中心にして開きました」
次のページでは「爆心地HIROSHIMAから、喜びと感謝を発信」を紹介します


爆心地HIROSHIMAから、喜びと感謝を発信




広島平和記念公園内から見た原爆ドーム


今までは朝にスタートしていた「ひろしま音〜楽まつり」ですが、今回は火を中心に開催するため、17時〜24時までの開催となりました。
8月6日の広島平和記念公園には、慰霊碑に祈りをささげようとする人たちの長蛇の列が。原爆の子の像にある鐘を鳴らす人、原爆ドームを眺める人、とうろう流しの会場である元安川周辺ではミュージックセレモニーが開催され、多くの人が行き来していました。
「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という願いを込めて1964年に灯された「平和の灯(ともしび)」は、今もなお消される理由がないまま燃え続けていました。




平和の灯


原爆死没者慰霊行事のお経があげられ、あちらこちらでそれぞれが平和を願っている広島平和記念公園内。「ひろしま音〜楽まつり」の会場にも、この祭りのために日本全国から集まった人たちがいました。テントステージの向かいには、竹で囲われ、美しい炎を放っている「心の灯」がゆらゆらと揺れています。




ひろしま音〜楽まつり


喜び・感謝・命をつなぐ思いを発信するために場を整えた岩田さんと仲間たち。ステージに立つアーティストたち、アーティストたちを支えるエンジニアたち、この場を共有しようと集まった人たち、たまたま通りかかってこの場を共有した人たち。子どもたちは大声で笑いながら走り回り、ときには泣き出し、犬たちは犬同士であいさつを交わし、ときには音楽に合わせて歌い出す、全てが調和した空間がここにありました。


新たな火を灯すために


今では「平和の火」として星野村役場で保存されている「広島原爆の残り火」ですが、広島から故郷に持ち帰られた当初は「恨み・復讐の火」として密かに保存されていたものでした。怒りは怒りを生むだけで世界は平和にならないと気付いたとき、復讐の火はリセットされ、平和の火となったそうです。
「ひろしま音〜楽まつり」で最後の祈りが終わったあと、そのまま公園内で眠って朝を迎えた人たちが、「心の灯」を囲み、リセットするために火を消しました。目の前に見えていた火は消えましたが、それぞれの心には新たな火が灯ったのではないでしょうか。




心の灯


「75年間、草木も生えない」。そう言われた原爆投下後の広島には、被爆後も生き延びている樹々があります。今の広島を造り上げてきた人たちがいます。「ひろしま音〜楽まつり」を開催する人たちがいます。
「HIROSHIMA」と聞いて、原爆が投下された街や被爆した人々の苦しみだけにフォーカスして笑顔が消えるのではなく、そこから力強く生き抜いてきた広島の生命力や美しさに目を向けて、「すばらしい街だ」と笑顔で言ってもらえるように。「ひろしま音〜楽まつり」は来年もまた、みんなで力を合わせてここから世界へ発信していくことでしょう。
動画配信も行われているので、すばらしい歌声や祭りの空気感を味わってみてください。




ひろしま音〜楽まつり 2022


ひろしま音〜楽まつり2022



写真:岩田雄大、ひろしま音〜楽まつり、鍋田ゆかり
文:鍋田ゆかり
取材協力:ひろしま音〜楽まつり

ソトコト

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