「BaBaピザ」が『超合体!オモウマいさんま御殿!!』に登場。73歳から86歳の「婆たち」が切り盛りするピザ専門店。2年間無報酬でも「やめよう」と言わなかった

2024年11月19日(火)17時45分 婦人公論.jp


「BaBaピザ」の仲間たち(撮影:藤澤靖子)

2024年11月19日19時から放送の『超合体!オモウマいさんま御殿!!笑いでおもてなしSP』に「BaBaピザ」メンバーが登場。さんまさんを前に、たくさんの笑いと金言が飛び出します。「BaBaピザ」とはどんなお店?メンバーの6人にお店の立ち上げから今までの苦労などを聞いた『婦人公論』2023年8月号の記事を再配信します。
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人生後半に新たな扉を開いた人のなかには、仲間がいたからこそチャレンジできた人もいれば、勇気を出して一人で未知の世界に飛び込んだ人もいる。さまざまな方法で「好き」を行動に移すことができた女性たちに会いに行ってみると——(撮影:藤澤靖子)

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「よし、ここだ!」


取材当日、房総半島は台風の影響であいにくの天気。そんななか、「BaBaピザ」の店内は活気ある声が飛び交っていた。「持ち帰り18枚、昼前に取りにくるって」「職場の皆で食べるんだってさ」「ありがたいねえ」。

ここは、その店名の通り73歳から86歳までの「BaBa(婆)」たちが切り盛りするピザ専門店だ。2019年にオープンし、週3日、昼の4時間だけ営業。地元の食材を生かしたピザと元気な6人の姿が話題となり、今では全国から客が訪れる人気店に成長している。

店を立ち上げた当時、メンバーの年齢はすでに70〜80代。「普通は体が重くなって、何をするにも億劫になる年頃だよね」とリーダー格の橋本京子さんが切り出すと、「やっぱり仲間がいたからできたことじゃない?」と高宮孝子さんが答える。

九十九里浜に近く、周囲は野菜畑が広がる千葉県山武(さんむ)市蓮沼地区。始まりは、現在85歳の京子さんと86歳の小林トキさんが、50年以上前に婦人会で知り合いになったことだった。

婦人会がなくなった後、京子さんが絵手紙や陶芸などの趣味を楽しむ「笑(しょう)の会」を立ち上げ、そこに孝子さんたち一回り年下のメンバーも加わった。

「地域で行事があると、お茶汲みなんかで駆り出されていたの。そういうボランティア活動で、お互いの人柄を知った感じかな。いろんな都合でやめていく人がいるなかで、今いるのは、最後まで残った最強メンバー(笑)」と京子さん。


「はまぐりピザ」(1300円)や「いわしピザ」(1000円)など、地元の食材をたっぷり使用したピザは絶品

05年、近所に新しく道の駅がオープンした時も、「『何でもいいからやってくれないか』って頼まれてね(笑)。じゃあ、おにぎりでも売るべ、と」。

それから年3回、イベントに出店するようになり、多い時は一日に30〜50キロの米がなくなるほど大盛況だったそうだ。「でも屋外だから、夏は暑いし冬は寒いし。その頃から、『いつか屋根のあるところで店をやりたいね』と皆でよく話していたんです」と京子さんは言う。

月日は流れ、19年の年明け。京子さんは、市が管理する近所の施設が空き家になっていることを知った。水道もある、トイレもある。「よし、ここだ!」と、さっそく役所に申請。すると、「蓮沼の道の駅で売っている商品とかぶらないなら」という条件付きで貸してもらえることになった。

商品にピザを選んだのは、もともと地域のグラウンドゴルフ場にピザの薪窯を作って、子ども会などの行事でふるまった経験があったから。

せっかくだからこの店でしか出せないメニューを作ろうと、九十九里浜で獲れるはまぐりや九十九里漁港に揚がる新鮮ないわし、海水で育てた蓮沼特産の「海水ねぎ」など、地産地消にこだわったメニューを考えた。2年前からは店の前に畑を借り、皆で育てた野菜も使っている。

仲間に会える楽しみ


しかし最初は、ピザ生地がうまく伸びずに苦労した。そんな時、大きな発見をする。

「テレビで偶然、ピザの世界チャンピオン大会の模様が目に入って。そうしたら、生地に大量の打ち粉をふりかけていたの!」「それを試してから、うまく伸ばせるようになったんだよね」「生地作りに餅つき機を使い始めたのも、テレビがきっかけだった」「私たち、無駄にテレビ見てないよ(笑)」。

メンバーが日々アンテナを張って知恵を持ち寄りながら、「BaBaピザ」はでき上がったのだ。

この年齢での起業でハードルとなる資金集めも、全員で工夫しながら乗り越えた。京子さんが中心となり、「皆に『あんた、いくらなら出せる?』『あんたは?』と聞いて、足りない分は私が出すよ、と」。互いの事情もふところ具合もわかったうえでそれぞれ出し合い、約150万円の資金が集まった。

店の準備にはなるべくお金をかけないと決め、「建設現場で材木をもらってきたり、橋本家の古い味噌樽の上にちゃぶ台を乗せたりして店のテーブルに」。

ピザ窯は東京の合羽橋まで探しに行ったが予算に合わず、京子さんが孫に頼んで、同じ商品をネット通販で安く買ってもらったのだとか。「商売をやるからには、マイナスにするのはイヤ。『絶対儲かる』が、私のモットーなんです(笑)」と京子さん。


「皆に会える楽しみと、元気のための店だから」

オープンからしばらくは売り上げが伸びず、さらにコロナ禍で半年ほど店を閉めざるをえなかった。2年間は無報酬だったというが、「誰もやめようとは言わなかったね。壁にぶつかったら、その時にまた考えればいい。そうやって生きてきたから」と、全員前向きだった。

その後、地元紙に取り上げられたことで話題を呼び、客足が増加。コツコツ貯めた売り上げから、各自出資した分を一括返金することができた。「今は時給でワンコイン出るかな、くらいだね(笑)」「皆に会える楽しみと、元気のための店だから」と笑う。

今の目標は、できるだけ店を長く続けること。「70代組には、80代の2人が目標なの。きっと私もあんなふうになれるんじゃないかって、励みになるんです。だから、100歳まで頑張ってもらわないとね(笑)」と孝子さん。なんと最年長のトキさんは、ピザ店以外に清掃の仕事も続けているというから驚きだ。

楽しく働いて、仲間とおしゃべりして、美味しいものを食べる。そんな日々を過ごす6人の笑顔を見ていると、その目標も決して夢ではないと思えてくるのだった。

後編につづく

婦人公論.jp

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