キューバの首都・ハバナの魅力、ヘミングウェイの常宿から旧市街、要塞群まで

2023年11月30日(木)12時0分 JBpress

「カリブの真珠」と呼ばれるキューバの首都ハバナ。メキシコ湾に臨むカリブ海最大の港湾都市の旧市街(オールド・ハバナ)の中心に、キューバを愛した文豪ヘミングウェイの常宿があります。

取材・文=杉江真理子 取材協力=春燈社 


植民地時代の面影を残す旧市街

 キューバ島とその周囲にある約1500のサンゴ礁の小島群からなる国キューバ。首都のハバナはキューバ島北西部に位置し、1519年、スペイン人によって建設された街です。かつては「カリブの真珠」「カリブの女王」と謳われ、白い建物が多く並ぶ植民地時代の面影が残るスペイン風の街でした。

 ハバナはスペインの植民地として発展しますが、19世紀半ばにはスペインからの独立運動が活発化し、1895年に独立戦争が勃発します。これにアメリカが介入したことでアメリカとスペインの戦いとなり、1902年、アメリカの勝利によってキューバは独立しました。その際にハバナが首都になりました。

 しかしここからスペインに代わってアメリカの支配が始まります。1959年にキューバ革命によって革命政権が樹立するまで、支配が続いたのでした。

 このような歴史から、オールド・ハバナには17世紀〜18世紀に建てられたスペイン・バロック様式の建築や新古典主義の建物、アメリカから新しく入ってきたモダニズム建築、さらにはアールデコといったさまざまな様式の建築群が細い道沿いに立ち並んでいます。その数3000以上という美しい街並みは、1982年、4つの要塞群とともに文化遺産に登録されました。

 代表的な建造物を紹介しましょう。1555年につくられたハバナ大聖堂とも呼ばれる「サン・クリストバル大聖堂」は、17世紀の石畳が敷き詰められたカテドラル広場にあります。創建当時から多くの信仰を集める大聖堂でしたが、現在の建物は1704年に再建されたもので、波打つようなファザードが特徴のキューバ・バロック建築の傑作とされています。

 正面には大きな二つの塔があり、右側の塔には重さ7tの鐘が吊り下げられています。内の床には多色大理石、壁には微妙に色が異なる石が使われています。

「アリシア・アロンソ・ハバナ大劇場」は1838年に建造されたバロック建築の劇場です。キューバ国立バレエの本拠地で、国際バレエフェスティバルのほか、オペラやジャズのコンサートなどにも使用されています。夜にはライトアップされ、その幻想的なたたずまいは、観光客にも人気のスポットとなっています。

 劇場のすぐ近くにあるのが、カピトリオ(旧国会議事堂)です。ドームのある白一色の外観は、ワシントンD.Cにある連邦議会議事堂をモデルに建てられました。アメリカ支配の真っただ中、1929年に建てられたため、連邦議会議事堂に似せた建造物となっています。キューバの歴史を知るうえでも貴重な建造物です。

 また、ハバナの街には1959年のキューバ革命の英雄チェ・ゲバラの肖像画があちこちの壁面にあったり、新市街の革命広場に面した内務省のビルに大きな壁画があったり、お土産屋さんには色とりどりの「ゲバラTシャツ」が並んでいたりと、今もなお、ゲバラは大きな存在感を残しています。

 旧市街の中心にある革命博物館は、1920年に大統領官邸として建造された、歴代大統領の官邸でした。アーチと回廊が建物の周囲を囲むスパニッシュ・コロニアル様式の美しい建物です。革命後に革命博物館となり、チェ・ゲバラやフィデル・カストロら革命軍に関する資料や写真、武器などを展示、キューバ革命の様子を詳しく知ることができます。


4つの要塞

 旧市街と合わせて文化遺産に登録されたのが4つの要塞群(フエルサ要塞・モロ要塞・プンタ要塞・カバーニャ要塞)です。1492年、コロンブスによって発見されたキューバは、1519年から本格的に街並みがつくられ、砂糖やタバコなど、スペインの植民地貿易の中心として港は賑わいます。貿易によって大きな富を得て、ハバナは繁栄していきました。

 しかし、フランスの海賊ジャック・ド・ソーレスの焼き討ちにあったことがきっかけとなって、外敵からの侵略から街を守るため、スペインは次々と要塞を建設しました。

 世界遺産に登録されている要塞軍は、フエルサ要塞、モロ要塞、プンタ要塞、バーニャ要塞の4つです。フエルサ要塞はハバナ最古の要塞で、1555年に着工し、1558年に完成。創建当初は木造でしたが、フランスの海賊に襲撃された際に焼失したため、サンゴ石を使用した強固な石造りの要塞へと再建され、周囲を堀で囲んだ珍しい造りとなりました。現在はキューバの歴史や海に関する博物館になっています。

 カリブ海最強の砦といわれた城壁の高さが20mのモロ要塞は、対岸にあるプンタ要塞との間に太い鉄の鎖が張ることにより、敵国船や海賊船からハバナの街を守ってきました。現在、プンタ要塞の内部の一部は博物館になっており、大砲や船の模型などが展示されています。

 バーニャ要塞の内部には革命の英雄チェ・ゲバラの写真や所持品が展示されているゲバラ博物館があります。

 高さ20mの城壁を有するモロ要塞は、大船団を率いるイギリス人の海賊ヘンリー・モーガンの襲撃も退け、17世紀前半には3度にわたるモロ要塞は、カリブ海最強の砦といわれ、その名に相応しい活躍を見せます。

 現在、要塞内部は、コロンブスの旅の軌跡や歴史などを展示する博物館となっており、レストランも併設されています。また、要塞からハバナ湾や旧市街を見渡すことができ、ハバナ随一の絶景ポイントとして多くの観光客が訪れています。


ヘミングウェイが常宿としたホテル

 アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイは、キューバを第二の故郷として愛しました。1939年から61年までの22年間、島に居住し、キューバの貧しい老漁師を主人公にした『老人と海』(1952年)などの傑作を執筆しました。

 また、ヘミングウェイはアメリカ人にもかかわらず、同志チェ・ゲバラたちと一緒にゲリラ活動をしたキューバ革命の英雄フィデル・カストロを援助しました。ハバナ郊外にはキューバをこよなく愛したヘミングウェイの旧宅「フィンカ・ビヒア」が博物館として当時のまま保存されています。『老人と海』を書きあげた部屋や、愛用したタイプライターや、蔵書、衣類などを展示しています。

 旧市街にはヘミングウェイが移住する前の1931年から39年まで、常宿としていた「ホテル・アンボス・ムンドス」があります。メイン・ロードのオビスポ通り沿いにある、サーモン・ピンク色に塗られた5階建てのネオ・クラシカルな建築のホテルです。

 ヘミングウェイが使用していた511号室は今も当時のままの調度品が置かれ、私物も残されています。宿泊客は無料で、ビジターは有料で中に入ることができます。

 ホテルは1925年に完成し、ベルボーイが操作する手動のエレベータや旧市街が見渡せる屋上のルーフガーデンなど、いまも古き良き時代の面影を色濃く残す4つ星ホテルです。

 客室は52部屋あります。1930年代のアール・デコの家具が置かれ、贅沢な空間になっています。

 日本からの直行便はありませんが、カナダやメキシコを経由してハバナのホセ・マルティ国際空港へ。空港から市内へは約18km。旅行会社に送迎を依頼するのがいいでしょう。

 多くの小説や映画の舞台にもなっているオールド・ハバナ。ベストシーズンは11月から4月です。まるで1950~60年頃へ戻ったかのようにクラシックカーに溢れるキューバ、ハバナの町。

 日本とは良好な関係のキューバですが、1961年のキューバ危機以降、アメリカとの国交が途絶え、車の部品など工業製品を輸入できなくなったため、古い車を修理して使い続けています。このオールド・カーは名物となり、観光用に乗ることもできます。

 石畳と美しい建造物の街並みを散策したり、ヘミングウェイとチェ・ゲバラのゆかりの地を巡ったり、名産のラム酒を使ったモヒートやダイキリをバーで堪能したりと、楽しいプランを立ててみてはいかがでしょう。

※旅行に行かれる際は外務省海外安全ホームページなどで現地の安全情報を確認してからお出かけください。

https://www.anzen.mofa.go.jp/

筆者:杉江 真理子

JBpress

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