「もう一度、自分の脚でスキーを滑りたい」三浦雄一郎が大病を経て知った人生で本当に大切なこと

2024年1月31日(水)14時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shironosov

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人生で本当に大切なことは、どうすれば気づけるか。プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんは「ぼくは治るかどうかも定かでない神経の病気にかかり、二年ぶりに雪の上に立ったことで『もう一度、自分の脚でスキーを滑りたい』という欲求が沸き立ち、大きなモチベーションになった。五体満足でいると、案外、健康のありがたさに気づかないもの。かえって病気の一つや二つくらいあったほうが、何か大事なことに気づいたり、本質的なことがわかったりして、人生が充実するのかもしれない」という——。(第5回/全5回)

※本稿は、三浦雄一郎『90歳、それでもぼくは挑戦する。』(三笠書房)の一部を再編集したものです。


■脊髄の病気発症から二回目の冬、二年ぶりに雪の上に立つ


札幌は大都市にもかかわらず雪が積もる街です。そのため、楽しみにしている旭山公園のウォーキングも、街が雪に閉ざされる冬はお休み。それに代わるように、待ちに待ったスキーシーズンがはじまります。


もう一度スキーをはいて、雪の斜面を滑ること。これは、脊髄の病気にかかった当初から、なによりも楽しみにしていたことです。


東京オリンピックの聖火ランナーを務めることも大きな目標でしたが、やはり、ぼくにはスキーです。


発症から二回目の冬に、ぼくは二年ぶりに雪の上に立ちました。


写真=iStock.com/shironosov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shironosov

物心つく前からスキーをはいて育ったようなぼくですから、これほど長い期間、スキーをはかなかったのははじめての経験です。


場所はホームゲレンデのサッポロテイネスキー場。そのときは、まだ脚の筋力に不安が残っていたものですから、「デュアルスキー」というチェアスキーのような着座式の滑走道具に乗りました。


これは障害のある人でも雪の上を滑る楽しさを体験できるように、と開発されたスキー機材で、ぼくがスキーに付いたチェアに座り、息子の豪太が後ろからそれをコントロールするという二人一組で滑るものです。


■「もう一度、自分の脚でスキーを滑りたい」という欲求


このときは短い距離でしたが、久しぶりに風を切って雪の上を滑るスキーの心地よさを味わうことができました。


それで味をしめると、当然のように欲が出ます。以前のように、自分自身でスキーをコントロールしたい、と。


このときは、まだ階段の上り下りもままならない状態だったのですが、短い時間でもスキーで滑ってからは、退屈だった毎日のリハビリにも一層、意欲的に取り組めるようになりました。


もう一度、自分の脚でスキーを滑りたい。この欲求が大きなモチベーションになったのです。


サッポロテイネスキー場は、札幌オリンピックのアルペンスキー競技会場跡地につくられたスキー場で、札幌市街や石狩湾が広がる景色のすばらしいところです。


また、山頂から麓のスキーセンターまでは、ビギナーや子ども連れでも滑ることのできる4kmの林間コースがあります。この4kmのロングコースを自分の力で滑り降りること。まずはこれがぼくの大きな目標でした。


週に2回のジムでのパーソナルトレーニングでは、冬が近づくと、スキーで滑ることを意識してスクワットトレーニングを取り入れてもらいました。スクワットは足腰から体幹までを鍛えることができるだけでなく、スキーの基本姿勢を整えるには最適です。


写真=iStock.com/FG Trade
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FG Trade

その成果か、発病して三回目の冬には、テイネの山頂から4kmのコースを自力で滑り降りることができました。


■美しく雄大な景色と澄み渡った空気を味わうように滑り落ちる


「自力」とはいっても、まだ脚の力は万全ではありませんから、後ろから息子がロープでサポートしてくれます。これなら不完全なコントロールでオーバースピードになっても安心です。


ゆっくり滑り出し、疲れたら休み、十分に回復したらまた滑り出す。これを5回、6回と繰り返すうちに、ついには麓のスキーセンター前に滑り込むことができました。結局、12月から2月まで、テイネのスキー場には毎月1回ほどのペースで通いました。


まだまだ息子のサポートなしでは心もとないスキーでしたが、それでも最後のほうは、途中3回ほど休んだだけで滑り降りられるようになっていました。


3月には大雪山旭岳に行き、そこでスキーを楽しむこともできました。


アイヌの言葉で「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」と呼ばれる大雪山の絶景の中、美しく雄大な景色と、澄み渡った空気を味わうように、ゆっくり、のんびりと滑り降りたのです。


■90年近くも冬を待ち焦がれる人生


やはり、スキーは格別です。病院のリハビリ室や、室内のジムでトレーニングすることに比べたら、100倍も、1000倍も楽しい。



三浦雄一郎『90歳、それでもぼくは挑戦する。』(三笠書房)

いまはなんだかんだと、週に4、5日はリハビリに費やしていますが、できることなら、毎日スキーに行きたいくらいです。


次の冬が来るのが、いまから楽しみでなりません。もっとも、ぼくは90年近くも、そうして冬を待ち焦がれる人生を送ってきたのですけどね。


今度は息子のサポートなしで、本当に自分の力だけで滑り降りたいと思っています。ロープでサポートされたスキーは、やっぱり、自分の思う通りにはいかないもどかしさがありますから。


でも、いまはうまくいかなくてあたりまえ。病気と同じく、そのうちよくなるだろうという楽観的な気持ちで、のんびりやろうかなと思っています。


ぼくの人生にスキーがあって、本当によかった。そう心から思えます。


■病気の一つや二つ、むしろあったほうがいい


まだ体は不自由ですが、軽々としたパウダースノーを巻き上げて滑ったり、大きな崖からジャンプしたりしている夢をよく見ます。


治るかどうかも定かでない神経の病気にかかったことで、かえってスキーの楽しさ、すばらしさをあらためて理解することになりました。


これぞまさしく「一病息災」というもの。


五体満足でいると、案外、健康のありがたさに気づかないものです。かえって病気の一つや二つくらいあったほうが、何か大事なことに気づいたり、本質的なことがわかったりして、人生が充実するのかもしれませんね。


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三浦 雄一郎(みうら・ゆういちろう)
プロスキーヤー、冒険家、教育者
1932年、青森県生まれ。北海道大学獣医学部卒業。1964年、イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172・084kmの当時の世界新記録樹立。1966年、富士山直滑降、1970年、エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げる。1985年、世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年、エベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立。2008年、75歳で二度目、2013年、80歳で三度目のエベレスト登頂、世界最高年齢登頂記録更新を果たす。プロスキーヤー・冒険家として、また教育者としてクラーク記念国際高等学校名誉校長を務めるなど、国際的に活躍。主な著書に『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』(主婦と生活社)、『歩き続ける力』(双葉社)、『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』(小学館)など多数。
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(プロスキーヤー、冒険家、教育者 三浦 雄一郎)

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