過去の辛い出来事は絶対に思い出すな…88歳医大名誉教授が告白「ショック死しそうなほど恥ずかしい体験」

2024年2月7日(水)14時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SimonSkafar

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いつも元気でいるためにはどうすればいいか。浜松医科大学名誉教授の高田明和さんは「ある実験では、過去の出来事をあれこれ思い出していくと、最終的に『嫌な思い出』を思い出す傾向が比較的強かった。実際の人生の出来事を詳細に振り返れば、いいことも悪いこともどちらも同じように起こっているのだろうが、どうしても嫌なことばかり長く記憶に定着してしまう。だから心を明るく保つには、ビートルズの名曲『Let it be』で智慧の言葉と称賛されているように、『何も考えずに放っておく』ことが大切である」という——。

※本稿は、高田明和『88歳医師の読むだけで気持ちがスッと軽くなる本 “年”を忘れるほど幸せな生き方』(三笠書房)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/SimonSkafar
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■毎日、まっさらな新しい今日を生きる


いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計

三好達治(1900〜1964 詩人)


上記は、三好達治の「昨日はどこにもありません」という詩の一節です。


たとえば今、時計が午後6時の時を告げるとき、それは必ず「今日」という日の午後6時です。昨日の午後6時を知らせることはありません。


昨日の時間を告げる時計なんてものはない。


つまり、昨日や一昨日という過去の時間は、机の引き出しの中にも、ゴミ箱の中にも、どこにもないのです。私たちの記憶の中にあるだけで、現在の時間軸のどこにも存在していません。だから、思い出しさえしなければ、そんな過去は消えてなくなります。


もし、思い出すたびに心が曇るような過去があるなら、思い出す必要はないのです。過去を思い出さなければ、毎日、まっさらな新しい今日を生きる人になれます。そして、詩は、次のように続きます。


今日悲しいのは今日のこと
昨日のことではありません
昨日はどこにもありません
今日悲しいのは今日のこと

いいえ悲しくありません


何で悲しいものでせう
昨日はどこにもありません
何が悲しいものですか

この詩と同じように、「過去なんてものは存在しない」と説く教えは、数多くあります。主だった東洋のものを紹介しておきましょう。


よいことも悪いこともすべて思い出さず

山田無文老師(1900〜1988 臨済宗の僧侶)



君子は事来たりて心始めて現る 事去りて心随って空し

(16〜17世紀 明代の著作家)



忘却は心を洗う石鹼なり

谷口雅春(1893〜1985 宗教団体「生長の家」創始者)



過去は引き出さなければ存在しない

中川宋淵老師(1907〜1984、臨済宗の僧侶)



世の中は ここよりほかはなかりけり よそにゆかれず わきにゃおられず
世の中は 今よりほかはなかりけり 昨日は過ぎつ 明日は来たらず (元は今様)

山本玄峰老師(1866〜1961 臨済宗の僧侶)


■禅の本質「いいことも悪いことも思うな」


「過去のことを思い出さない」という言葉に、とくに禅のお坊さんの言葉が多いのは、禅には「前後際断」といって、「過去と現在は別ものなので、今の時点で過去を変えることなど誰にもできない。だから、過去を思い返して悔やむことはやめなさい」という教えがあるからです。


思い出して嫌な気分になるようなら、どんな過去も振り返る必要などないですよ、というわけです。


ここで、禅のお坊さんの有名な話も、ご紹介しておきましょう。7世紀の中国、南宋の時代の慧能(えのう)という僧侶の話です。


禅はそもそも、インドに生まれた達磨(だるま)大師が5〜6世紀に中国へ伝えたものとされています。ちなみに日本に禅宗が伝来したのは、12世紀に臨済宗を開祖した栄西が、中国で禅を学んで帰国してからです。このとき栄西によって、「喫茶」の習慣も日本に持ち込まれました。


その禅の初祖の達磨大師から数えて6代目が、慧能という人物です。


彼は貧乏な家の生まれで、薪を売って母親を養っていました。それがあるとき、お経を聞いたのをきっかけに急に禅に目覚めます。無学で文字も読めない段階から勉強を開始し、やがて悟りを開いて、ついに中国禅宗の六祖になりました。中国で禅が発達したのは、この慧能の功績が非常に大きかったのです。


五祖であった弘忍(ぐにん)禅師は、一介の田舎者だった慧能に六祖を嗣がせることに反感を持った古株の弟子たちが慧能を殺すかもしれないことを案じ、こっそりと衣鉢(衣と食器のことで、後継の証)を慧能に渡しました。そして、それを持ってこの場から逃げるようにと告げ、慧能は、言われたとおり法具である衣鉢を持って寺から姿を消します。


六祖の座を狙っていたほかの師匠や弟子たちはそれに気づき、必死で慧能を捜し回り、ついにある山の頂上で彼を見つけ、追い詰めます。そして、師匠や弟子たちがそこに置いてあった、後継の証である衣鉢を持ち上げて奪おうとしましたが、まるで地面にくっついているかのようにまったく動きません。それを見て、慧能は言いました。


「それを持っていきたいのなら、持っていけばいい。ただ、衣鉢は仏法への信を表しているのだ。力で持っていこうとしても、動かすことはできないだろう」


その言葉を聞いた僧たちは、すでに慧能が悟りを開き、新たな大師になったことを確信します。そこで弟子の一人が、彼に尋ねます。


「禅の本質はなんですか?」


そして慧能が答えたのが、次の言葉だったのです。


「不思善不思悪」


「善=いいこと」も、「悪=悪いこと」も、考えてはいけない。


過去に起こった悪いことだけでなく、いいことも思い出してはいけない。過去を思うのではなく、現在のみに集中するのが、私たち禅宗の僧侶がするべきことだ、というわけです。


修行僧でもない我々は、「悟りを開こう」とか、「仏と一体になろう」なんて高尚なことを目指す必要はありません。ただ、禅では、過去のことを思い出そうとしなければ、人は仏の域に達することができる、としていることを知ってほしいのです。


禅を信仰するかしないかはともかく、過去を思い出すのをやめるだけで心の平安や幸福感を得られるのなら、非常に簡単でありがたい教えだと思いませんか?


■心を明るく保つ、科学的にも正しい方法


「年をとると、思い出すことの9割が嫌なことだ」という説があります。


心理学の実験で、一つのキーワードから何か過去のことを思い出してもらい、それを3段階くらいの「いいこと」か「嫌なことか」で評価してもらうと、最終的に、約9割は「嫌なこと」になることがわかっています。


実験は、たとえば「友達」「兄弟」「勉強」といったキーワードから、何を思い出したか、で調査します。思い出した内容が「非常に楽しい」なら10点、「非常に嫌だ」なら1点とすると、何点ですかと尋ねるものでした。


写真=iStock.com/Andranik Hakobyan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Andranik Hakobyan

たとえば、大学1年の時の旅行のことを思い出してもらうとします。


すると、最初に出てくる回答は、「その旅行は楽しかった、いい思い出だ。10点中7点!」という感じで始まります。


ところが、引き続きその旅行の細部まで思い出していくうちに、「その旅行中に自分の悪口を言ったクラスメイトのこと」など、点数にすると4点くらいの嫌な思い出が増えていきます。


さらに思い出す時間が長くなると、「その後仲たがいした友人のこと」などを思い出し、結果的に2点や3点の「嫌な思い出」という低評価になってしまうのです。


このように過去の出来事をあれこれ思い出していくと、最終的に嫌いになった人たちのことを思い出す傾向が比較的強く、点数が下がることがわかりました。


実際の人生の出来事を詳細に振り返れば、いいことも悪いことも、どちらも同じように起こっているのでしょうが、どうしても嫌なことばかり長く記憶に定着してしまうようです。


ある説によると、悪い記憶を鮮明に残しておくほうが、今後同じような危険を回避しやすくなり、生き延びるのに都合がいいから、そうなっているのだとか。


■ビートルズ『Let it be』が示した最高の智慧


ただ、現代は、それなりに安全に暮らせる時代になりましたから、過去の嫌なことばかりを思い出していたら、気分が沈むデメリットのほうが大きいでしょう。


それなのに、年をとると何もしない時間が多くあるものですから、どうしても過去の出来事を思い出すことが増えてしまい、そのたびにズルズルと芋づる式に嫌なことが想起され、気分はどんどん落ち込んでいきます。


映画やテレビドラマでは、高齢者が美しい過去の思い出に浸って懐かしむシーンが出てくることがあります。そんなシーンを観れば、美しい思い出に満ちた人が羨ましくなるかもしれません。「あれだけ素敵な思い出があるのならば、人生は相当に満ち足りているのだろうな」と。


いえいえ、とんでもない!


どんなに美しく華やかな過去を持つ人でも、人生は楽しいことばかりではなく、必ず、失敗や思い出すのも恥ずかしい記憶、嫌がらせや批判をされた記憶もあるものです。過去の蓋を開ければ、そうした不快な思い出が、いい思い出の何倍も多く自動的によみがえってきて、今日やこれからの気持ちによくない影響を与えます。


開ける必要のない蓋を開ければ、たいてい後悔することになるでしょう。


だから、過去のことは、たとえ「いいこと」であっても思い出してみたところで、「今」をよくすることは難しい。過去の回想に、人生を心晴れやかに生きるための偉大なヒントなんて、まずないということになるのです。


ビートルズの有名な曲のタイトル『Let it be』は、「放っておきなよ」とか「そのままで」のような意味です。作詞作曲をしたポール・マッカートニーは、歌の中で、この言葉を「智慧(ちえ)の言葉」と称賛しています。


起こったことをいくら考えても結論は出ないし、繰り返しその痛みを味わえば心を傷つけるだけ。だから最高の智慧は、「何も考えずに放っておく」こと、ということになるのです。なんとラクではないですか!


写真=iStock.com/Martin Wahlborg
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■笑ってください! 過去に頼って大失敗した、恥ずかしい私の経験


放っておけばいい過去のことを放っておかずに、どうにかしようと足搔いてしまったせいで、余計に傷を広げてしまった経験は、私にもあります。


たとえば最近のこと。たまたま立て続けに何冊か本が売れたので、昔、教授をしていたころに医科学的な専門書を執筆していたある大手出版社の仕事も再開できたらいいなと思い、当時、編集長をしていた人に連絡をとってみたのです。


とはいえ、その人も相当な年齢になり、今は退職しています。それでも編集長までしていた人だから、今もまだある程度の影響力はあるのではないか? 昔のよしみで、出版させてくれるのではないかと考えたのです。


久しぶりに連絡をとって、そうした希望を伝えたところ、現在の編集長を紹介してくださいました。私は期待しながら出版社まで足を運びました。


話し合いの結果、その新しい編集長さんからは、「売れるかどうか、市場調査をしてみます」と言われました。そして後日、彼から電話があり、淡々とした口調で告げられたのです。


「先生の話は独創的ではあるけれども、データを見るかぎり、本が売れている現状はありませんので、今回は見送りとなりました」


ガガーーーン……! 自分が年齢を重ねてしまったこと、かつての名声を失っていることを痛烈に思い知らされ、うかつにも自分はショック死したかと思いました。


が、いやまだ生きていた……と気づくと、今度は「昔はあんなに売れて貢献してあげたのに、なんて冷たいんだ、こんちくしょう!」と、憤慨したわけです。


でも、私が間違っていたのは、昔との状況の変化を認識していなかったことです。今はどれほどその出版社が医科学分野の書籍に力を入れているかもわからないし、スタッフもまったく変わっているのです。


それに加えて、私自身の肩書きも、すでに大学教授のような立場ではなくなっています。「大先生が言うのだから、従っておこう」なんて威光が効力を発揮する時代ではなくなっていたのです。


幸い、私が構想していたテーマの本は、のちにほかの出版社からエッセイ風にして刊行できることとなり、思いがけず新しい読者が得られてそれなりに売れましたから、ズタズタになっていた自信も回復してきました。


■過去のどんなつながりより、現在のつながりを


でも考えてみれば、そもそも、そんなふうに大げさに落ち込む必要などなかったのです。



高田明和『88歳医師の読むだけで気持ちがスッと軽くなる本 “年”を忘れるほど幸せな生き方』(三笠書房)

景気のよかった時代に現役だった自分の過去を基準にしていたから、落ち込んでしまっただけです。


過去のよかったころに比して、今このちょっとシビアな時代に、“知らない著者から、難しそうな学術的な本の企画が持ち込まれた”という客観的な事実だけ見れば、その編集長の反応は、ごく当然のものだったでしょう。


結局、この経験から私が学んだことは、「過去のどんなつながりよりも、現在におけるつながりのほうが、よっぽど大事である」という事実です。


そう、本書が出せているのも、今、つながりのある編集者のおかげ、といつものごとく持ちあげておきましょう(笑)。ありがとう、感謝しています、三笠書房さん。


年齢を重ねれば、それだけ知識や経験、人脈は増えていきます。多くの出会いを通じてたくさん学んでいるはずです。でも、そうした過去の知識や経験、人脈や金銭的な蓄えがあるからといって、今この瞬間の心が、晴れやかで前向きに楽しくなるわけではないのですね。


——以上紹介した、この私のお恥ずかしい失敗談が、皆様の参考になりますように。


過去の遺産にすがって、過去が現在に何かいいことをもたらしてくれるのではないかと、虫のいい期待をするのをやめて、「今、できることをやろう」と、思ってみてください。


「誰かのために、自分に何ができるか」は、「今、自分にできること」や、「今つながっている人」の中から考えていけば、きっと思いがけない幸運に恵まれるでしょう。


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高田 明和(たかだ・あきかず)
浜松医科大学名誉教授 医学博士
1935年、静岡県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。米国ロズウェルパーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て、同大学名誉教授。専門は生理学、血液学、脳科学。また、禅の分野にも造詣が深い。主な著書に『HSPと家族関係 「一人にして!」と叫ぶ心、「一人にしないで!」と叫ぶ心』(廣済堂出版)、『魂をゆさぶる禅の名言』(双葉社)、『自己肯定感をとりもどす!』『敏感すぎて苦しい・HSPがたちまち解決』(ともに三笠書房≪知的生きかた文庫≫)など多数ある。
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(浜松医科大学名誉教授 医学博士 高田 明和)

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