「校長先生、通知表ナシっていうのもアリですか?」1000人規模の公立小が"通知表廃止"に挑戦した意外な経緯
2025年3月3日(月)7時15分 プレジデント社
元茅ヶ崎市立香川小学校校長の國分一哉さん - 撮影=強田美央
■公立の学校で通知表をなくすことは可能
神奈川県茅ヶ崎市にある市立香川小学校は、2020年に通知表「あゆみ」を廃止した。
この出来事は共同通信がいち早くニュースとして取り上げ、後に廃止までの詳細な経緯を記した書籍(『通知表をやめた。茅ヶ崎市立香川小学校の1000日』日本標準)が出版されたことで、広く全国に知れわたることになった。
“通知表をやめた”インパクトはすさまじく、香川小と廃止当時の校長である國分一哉さんの元には、教育関係だけでなくさまざまなジャンルのメディアから取材が殺到。SNSには賛否両論のコメントが渦巻くことになった。
撮影=強田美央
元茅ヶ崎市立香川小学校校長の國分一哉さん - 撮影=強田美央
それはそうだろう。筆者も含めて、教育関係以外のほとんどの人間は「通知表をなくしてもいい」ということを知らなかったのだ。独自の教育を行っている私立の学校ならともかく、公立の学校で通知表を廃止することが可能であるという事実は、それだけでニュース・バリューのあることだったと言っていい。
指導要録という「学籍と指導に関する記録」を残すことは、法律によって学校長に義務づけられているが、通知表の内容や体裁だけでなく、学期末に通知表を生徒ひとりひとりに手渡すかどうかという根本の部分さえ、各学校が独自に決めてもよかった、いや、独自に決めるべきものだったのである。
香川小の全国にさきがけた挑戦はなぜ可能だったのか、その具体的なプロセスも興味深いのだが、むしろ重要なのは、このトライアルが現在の公立学校の逼塞(ひっそく)した状態に対して持っている意味である。
いじめと不登校が過去最多を記録し、教員志望者が激減している現代に、香川小の「通知表をやめた」経験は、いったいどのようなメッセージを携えているだろうか。
■ワンマン校長として乗り込むのは嫌だった
國分一哉さんが香川小学校に校長として赴任したのは、通知表廃止決定に遡ること3年、2018年のことだった。
前任の市立松浪小学校1校で、担任教諭→教頭→校長という三段階を経験していた國分さんは、「校長先生」と呼ばれるよりも、「コクセン」というあだ名で呼ばれる方がしっくりくるという感覚の持ち主だった。
「一般教員だった時代に、せっかく職員会議で議論して決めたことを校長のひと言でひっくり返される経験をしていましたから、ワンマン校長として香川小に乗り込んでいくのは嫌でね、職員と一緒になって、何でも話し合って決めていきたいと思っていたんです。校長室は寂しいからひとりぼっちにしないでね、なんて冗談を言いながら(笑)」
■「6年生と1年生の教室を隣にしたい」職員からの提案
当時の香川小は1000人規模のマンモス校だったこともあり、荒れているとまでは言えないものの、問題のない学校というわけではなかった。それだけに、校則の徹底に厳しく、こと細かにルールが定められていて、児童にも職員にも“キツイ”雰囲気だったという。トラブルの発生を規則の強化によって抑え込もうとしていた、と言ってもいいだろう。
赴任当初は「変わっている校長かもしれない」と緊張感が漂っていたという(撮影=強田美央)
「これは、職員とじっくり話し合う時間を取り戻さないと、学校がダメになっちゃうと感じました。校長が『これをやれ!』と命じれば、当時の職員は従ったんだと思いますが、僕はそれが嫌だった。だからとにかく、若い先生もベテランの先生も一緒になって、子どもを中心に据えて考えたらいま何をやるべきだろう、という話し合いから始めたんです」
当初の話し合いの中から出てきたのは、実は通知表の廃止ではなく、教室の配置に関する議論だったという。
國分さんが赴任した当時の5年生(新6年生)は、落ち着かない学年だった。そこで、新6年生の教室と1年生の教室を互い違いに、つまり161616……という形に配置したら、6年生が1年生に配慮をすることで「優しくなれる」のではないかと、ある職員から提案があったのだ。
■賛成反対が半々に分かれて議論は平行線に
面白いアイデアだが、実験的な要素も大きい。6年生が1年生に暴力をふるったり、故意ではなくても怪我をさせてしまうリスクもある。実験をして怪我をさせたなどという話が保護者に広まれば、この時代、クレームになるのは必至だ。
多くの先生方から、1年生の教室の騒がしさで6年生が授業に集中できないのではないか、下校時間の違いも気になるといった懸念も示された。
「あの子たち(現5年生)じゃ無理だと思う」
「やったことないのに、メリットがあるって言えるのかな?」
「メリットは想定しにくいけど、デメリットは想定しやすいんですよ」
侃々諤々(かんかんがくがく)の議論になった。國分さんの思い描いた通りの展開ではあったが、賛成反対が半々に分かれて平行線のまま。歩み寄りは難しかった。
コクセンはどうしたか?
「最後は校長一任ということになったんですが、それが嫌だから話し合っているわけでね(笑)。校長として職場が割れるのは避けたかったので、最初の年は、互い違いはやめたんです。その代わり111666という配置にして、1年生と6年生の境界を2カ所作った。そして、境界で自然に何が起こってくるかを観察してもらったのです」
■若手とベテランが一緒になって話し合う土壌ができた
境界を設置してみた結果、大きなトラブルは起こらず、怪我をした1年生もいなかった。1年生の隣の教室に当たらなかった6年生からは、「自分も1年生の隣になりたかった」という声も聞こえてきた。
実験は成功だった。翌年の教室配置をどうするかを職員に諮ると、今度は161616で行こうという意見が大勢を占めた。それどころか、252525もやりたいという意見まで飛び出したという。
「トラブルが起きなかったという結果も大切なのですが、一番大きかったのは若手とベテランが一緒になって話し合う土壌ができたこと、香川小の職員が話し合う集団になれたことです。そしてもうひとつは、過去にやったことがないことでも、トライしてみれば案外心配事は起こらないことを職員みんなが経験して、新しい一歩を踏み出すことへの抵抗が薄れたということです」
この、みんなで話し合って決める雰囲気と、新しい一歩へのハードルが下がったことが、香川小の新たな土台を形作ることになった。
撮影=強田美央
最初から通知表廃止の議論をしていたわけではなかった - 撮影=強田美央
■「総括的評価」の弊害
教室配置の議論によって「話し合う集団」となった香川小の職員たちは、やがて通知表に関する議論に踏み込んでいくことになるのだが、そもそも種を蒔いたのは國分さんだった。着任当初に「『あゆみ(香川小の通知表の名称)』について考えてみてほしい」と職員全員に伝えていたのだ。ただし、内容をこう変えたいとか廃止したいといった具体的な話はしていなかった。
廃止に関する議論の口火を切ったのは、ひとりの中堅教員だった。
学校教育の世界には「総括的評価」と「形成的評価」という専門用語がある。総括的評価とは、わかりやすく言えば「まとめる評価」だ。学期末に「今学期のあなたの評価は◎です」というように、ある期間トータルの評価を数値化して子どもと保護者に示す。
一方の形成的評価とは、「プロセスを評価する」こと。日々の学習の状況を濃やかに評価して子どもと保護者に伝えていく。数値で伝えるのはなく、あくまでも言葉で伝える。
中堅教員は、総括的評価には弊害が大きいと考えていた。國分さんも同じ考えだ。
「総括的評価の弊害はどこにあるかと言えば、評価が高い子どもは優越感を持ち、低い子どもは劣等感を持ってしまうことにあるんです。その結果、子どもの世界に見えない序列ができてしまう」
■「通知表ナシっていうのも、アリですかね?」
國分さんは、通知表に関する議論も、教室配置の時と同様、自身の本音は表に出さないまま職員に委ねることにした。
総括的評価と形成的評価をめぐって、またしても侃々諤々の議論が繰り広げられることになったが、議論の最中にある若手職員がポツリと言った。
「校長先生、通知表ナシっていうのも、アリですかね?」
「いやー、ナシっていうのはちょっと……」
國分さんは、難しい表情を作った。
「内心では、やった! と思いながら、それもひとつの選択かもねなんて言って(笑)。大切なのは、ハナから校長が通知表をなくすにはどうすればいいかと職員に諮(はか)ったわけではない、ということです。廃止は、あくまでも職員の議論の中から出てきたことなんです」
もちろん、通知表ナシなんてあり得ないと主張する職員もいた。しかし、議論を重ねていくうちに「一度、ナシでやってみてはどうか」という意見が大勢を占めるようになった。
「やってみて、失敗をしたら元に戻せばいいんですよ。先に進むために謝罪する。そのために管理職がいるんですから」
國分さんは柔軟だった。この柔軟さが、新しいチャレンジへのハードルをさらに引き下げたとも言えるだろう。
いくつもの紆余曲折を経て、2020年、香川小は通知表の廃止を決めた。はたして通知表の廃止は子どもたちを、学校を、どのように変えたのだろうか。
(後編に続く)
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山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。
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(ノンフィクションライター 山田 清機)