100名を擁するT税理士法人で若手が次々に退職…「心理的安全性」を高めたはずのマネージャーが見誤った指導法とは?
2025年3月3日(月)4時0分 JBpress
「心理的安全性の醸成」や「数値化・言語化」「効率化」など、問題解決に役立つマネジメント術を実践しているにもかかわらずうまくいかない。それどころか逆効果になってしまう。そんな悩みを抱えるマネージャーがいないだろうか。本連載では、数々の経営支援や事業投資を行うIGPIグループの共同経営者が書いた『失敗事例から学ぶ! マネージャーの思考術』(坂田幸樹著/翔泳社)から内容の一部を抜粋・再編集。失敗事例を交えながらマネジメントに必要な考え方を学ぶ。
今回のテーマは「心理的安全性」。マネージャーが相談しやすい雰囲気をつくったのに、次々に若手が離職してしまったある理由とは?
事例:相談しやすい雰囲気をつくったが、離職率が上昇した
■ メンバーの相談を受けるための1on1ミーティングの設定
T事務所は100名以上の税理士を要する歴史ある税理士法人です。T事務所では大手企業の案件をチームで受注する体制を採用しています。近年、海外から受注する案件が増えてきたことやDXへの対応の必要性などに伴い、メンバー各々がより多角的なスキルを身につける必要が出てきました。
T事務所の人事部門のマネージャーであるGは、若手メンバーの自律的な成長のためにメンター制度を導入しました。この制度では、経験あるメンバーが各若手にメンターとして割り当てられ、定期的な1on1ミーティングを行うことになりました。
1on1ミーティングは社外のカフェなどで実施することが推奨され、自律的な成長を目指しているためメンターは若手の話をさえぎったり否定したりせず、しっかりと耳を傾けるように指導されました。
定期的に開催される1on1ミーティングでは、若手メンバーは現場での不満や悩みなどを語り、メンターもそれを傾聴することに徹したため、社内全体に若手が意見を言いやすい雰囲気が醸成されました。若手メンバーからの評判も良く、Gはメンター制度を導入したことに満足していました。
■ メンバーの不満が続出して退職者が急増した
メンター制度を導入して半年くらい経ったときです。突然退職者が増え始めました。驚いたGは、退職意向を示したメンバーへのヒアリングを開始しました。
Gがヒアリングしたところ、1on1ミーティングに原因があることがわかりました。心理的安全性が高まったことによって、若手メンバーはスキルの身につけ方から社内の人間関係まで、メンターに対してありとあらゆる相談をしていました。
しかし、メンターたちはそれらを聞くだけで、若手メンバーに対して、それらを自律的に改善するための具体的なアドバイスをしていませんでした。相談しても何も変わらないと感じ、若手メンバーは絶望して退職していることがわかりました。
「頑張って心理的安全性を高めたことがあだとなるなんて…」とGは頭を抱えました。
■ メンバーと友だちになってはいけない
Gはメンター制度を導入し、1on1ミーティングによって若手メンバーが何でも相談しやすい環境を整備しました。それ自体は悪い施策ではなく、若手メンバーは率直な意見を経験豊富なメンターに話せるようになりました。
しかし、T事務所ではメンターが若手メンバーにとって仕事の愚痴を聞いてくれる友だちのような存在になってしまいました。心理的安全性が高まり、若手メンバーが何でも相談できるようになった点は良いのですが、メンターは若手メンバーの相談に対して自律的に問題を解決するように促すため、適切なアドバイスを行う必要があります。
事例:メンバーを毎日褒め続けたら他責思考が蔓延した
■マネジメント研修で教わった褒めることの重要性
U社はリテール営業に強みを持つ中堅証券会社で、各若手メンバーに専任の指導員を配置し、直接指導にあたる形式で若手を育成しています。NISAの普及に伴って若年層の個人投資家が増えたこともあり、今後は若手メンバーに裁量を与え、自律的な組織への転換を目指すことになりました。
入社5年で指導員に抜てきされたIは、方針の転換に伴い外部のマネジメント研修に参加しました。研修では、心理的安全性の重要性が繰り返し指摘され、トップダウンで現場に命令・指示を出す文化が根強いU社で働いてきたIにとっては、目から鱗が落ちる内容でした。
Iにとって特に印象的だったのは、相手を褒めることの重要性についてでした。研修の中では、他の参加者とペアになって相手の良いところを見つけて褒める練習もしました。
3人の若手メンバーの指導を担当することになったIは、毎日の日報への返信や直接会った際に褒めることを心がけました。例えば、初めて顧客のアポイントが取れたことや日報の文章がわかりやすくなったことなど、どんな些細なことであっても褒め続けました。特に直接会って褒めたときには、若手メンバーが喜ぶ顔を見ることができて、そのたびにI自身もすがすがしい気持ちになりました。
Iの気さくな性格もあり、若手メンバーたちとの距離は縮まり、仕事上の相談を受けることも増えました。そのたびにIは、できるだけ褒めるようにして、トップダウンの指導はしないように心がけました。
■メンバーが考えなくなり、現場で問題が続出した
Iが3人の指導を担当するようになって半年ほど経過したときです。Iは同僚から良くないうわさを耳にしました。Iが担当している3人の若手メンバーがたびたびトラブルを起こしているというのです。
あるときは若手メンバーが顧客に間違った情報を伝達してしまい、顧客からのクレーム対応に上司が奔走したそうです。若手メンバーからは反省の言葉もなく、上司はあきれ返ったそうです。
またあるときは支店でトラブルが発生し、全員が力を合わせて解決しようとしているときに、若手メンバーは気にする様子もなく定時に帰宅したそうです。翌日若手メンバーに理由を聞いた支店長が言われたのは、次のような言葉でした。
「新人の私がいても邪魔になるだけだと判断したので帰宅しました」
Iは若手メンバーたちから日報をもらっているのですが、このような内容は記載されていませんでした。不審に思ったIは、3人の若手メンバーを集めて話を聞くことにしました。このときにも、一方的に叱るのではなく、できるだけ褒めることを意識しました。
Iがひと通り話し終えたときに3人から聞かされたのは驚くべき内容でした。
「Iさんのことは信頼できないので、ほかの指導員に代わってもらえませんか?」
■ 因果関係のある発言をしなければいけない
Iは褒め続けることで心理的安全性を高めようとしました。それ自体の善悪はここでは問いませんが、Iの失敗は、何でも褒め続けたことです。
例えば皆さんが、予算の2倍もの売上を上げたときと、わかりやすい文章を書けたときとで同じように褒められたとしたら、どのように思うでしょうか? あるいは、些細なミスをしてしまったときにも、反省するきっかけを与えられるどころか前向きな言葉ばかりをかけられたらどうでしょうか?
何が褒められるべきで、何がそうでないのかが、わからなくなってしまうのではないでしょうか。また、そのような発言をしてくる指導員を無責任だと感じるかもしれません。
会社は学校や学習塾とは異なり、雇用契約にもとづいて業務を進め、提供した役務に対して対価が支払われるというビジネスの場です。明文化されているかどうかにかかわらず、お互いに合意して業務内容を決めているので、従業員にはそれを遂行する責任があります。
この一連のプロセスを進めやすくするために心理的安全性を高めるならば問題はありませんが、表面的な聞き心地の良い言葉ばかりが並ぶと、逆に「上司には良いことしか報告できない」「期待に応えようとして本音が言えない」という心理的プレッシャーを与えてしまう可能性があります。言いたいことが言えなくなったのでは本末転倒です。
思考術:心理的安全性と結果責任はセットで考える
チームの心理的安全性でよくある勘違い
- メンバー同士が仲良くなれば心理的安全性が高まる
- 心理的安全性とは従業員のストレスを減らすことである
- 心理的安全性を高めるだけで、チームの成果が出るようになる
■ 心理的安全性だけを高めると組織が崩壊する
T事務所のGはメンター制度を導入して1on1ミーティングを実施し、メンターが聞き役に徹することで話しやすい雰囲気を作り出しました。また、U社のIは若手メンバーとの距離を縮めるため、褒めることに注力しました。
これらの施策自体は、実際に多くの組織で実施され効果的なものです。今回の問題は、GとIが心理的安全性を高めることだけに集中してしまった点にあります。
皆さんにも、チーム一丸となって必死に急激な売上低迷の対策を考えた結果、強いチームに生まれ変わったり、不良品を生み出した原因を必死に考えたことで強固な生産プロセスが生まれたりした経験がありませんか?
対策を考える過程では、メンバーに心理的な負荷がかかることもあります。しかし、その負荷を共有し乗り越えることでチーム内に強い信頼関係が生まれ、自由に意見を言い合える環境が形成されるのです。
■ 具体的なフィードバックで結果責任を適正に追及することで組織が強くなる
GやIのような状況に陥らないためには、図1-2のように心理的安全性を高めることに加えて、メンバーに対して結果責任を追及することが重要です。なぜなら、心理的安全性の目的は顧客や社会、企業全体の利益を守ることであり、従業員のストレスを減らすことではないからです。
心理的安全性を高めることでメンバーが発言しやすくなったとしても、結果につながらない発言が多ければ、チームとして成果を出すことはできません。結果を出すためには、各メンバーが自律的に真剣に考え、責任を持って発言や行動をすることが求められます。
半期に一度の面談で曖昧なフィードバックを伝えるだけでは結果責任を追及したことになりません。日々の業務の中で、行動レベルまで落とし込んだ具体的なフィードバックをタイムリーに行うことで初めて、メンバーは自分の役割と責任を理解し、結果責任を育めます。例えば、皆さんがフィードバックを受ける立場だったとして、いきなり次のように抽象的なことを言われても心に響かないはずです。
「もう少しお客さんのことを考えて行動したほうがいい」
「もう少し目線を高くして現場を見てみよう」
このような抽象的なフィードバックは、次のような日々の具体的なフィードバックがあって初めて効果があるのです。
「先ほどの会議で使っていた〇〇という単語はお客さんに使う言葉としてはふさわしくないから、次からは〇〇と言い換えたほうがいい」
「中長期での人材育成を考えると、現場の〇〇という単純な業務はアウトソーシングして、現場のメンバーがお客さんに会う時間を増やしたらどうか」
<連載ラインアップ>
■第1回100名を擁するT税理士法人で若手が次々に退職…「心理的安全性」を高めたはずのマネージャーが見誤った指導法とは?(本稿)
■第2回 日報も私生活も絵文字入りLINEで共有 分かり合えていたはずのZ世代の部下のトラブルを、なぜ上司は見落としたのか
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筆者:坂田 幸樹