「墓じまい」増加の中「墓づくり」が密かに過熱…樹木葬や海洋散骨、合同墓を選ばない"時代逆行"な人の胸の内
2025年3月20日(木)10時15分 プレジデント社
関東の墓地区画は広めである(横浜市) - 撮影=鵜飼秀徳
■終活ブームの中、「墓づくり」も熱を帯びる深い理由
「墓じまい」が増加する反面、「墓づくり」も熱を帯びている。背景には、多死社会と終活ブームがある。だが墓の規模や形態は、大きく変わっている。かつては立派な墓石がもてはやされたが、現在では中国産の安価な墓石が主流になりつつあり、樹木葬・個人(おひとりさま)墓といったコンパクトな永代供養墓に置き換わってきている。「墓の今」をリポートする。
四半世紀ほど前まで、「墓」に選択肢はあまりなかった。伝統的な「和型」と呼ばれる四角柱の竿石を立てたものが、一族の墓であった。あるいは、格式の高い家では五輪塔墓を建てることもあった。公共霊園などでは竿石を横に置いたモダンな「洋型」も出現したが、わが国における、伝統的な墓の意匠は和型である。
その墓石や設置の費用は、地域性によって大きく変わる。なぜなら墓所の区画の規模、墓のデザインは地域によってかなり異なるからである。東京をはじめとする関東の墓と、大阪などの関西の墓とでは、デザインも石の種類も、費用もかなりの差があるのだ。
たとえば関東では、6平方メートル(間口2メートル、奥行き3メートル)以上の区画面積を有する墓所が珍しくない。土地が不足しているのに、なぜか東京都の墓は大型なのだ。
さらに関東の場合、墓石のサイズは竿石の短辺が8寸(約24センチメートル)以上が主流である。名家の墓ともなると10寸(約30センチメートル)以上の大型墓石も少なくない。
撮影=鵜飼秀徳
関東の墓地区画は広めである(横浜市) - 撮影=鵜飼秀徳
区画が広くなれば、柵や巻石(区画を取り巻く石)の分量も増える。故人の戒名や没年を記載した霊標(墓誌)の設置などが加わると、工事費もかさんで、よりコスト高になる。
ここで墓石の説明をしよう。関東における墓石の最高級銘石は小松石だ。神奈川県真鶴町のみで採れる希少な石である。小松石は、箱根の火山噴火によって流れ出た溶岩が相模湾に押し出されて急激に冷やされ、安山岩として形成されたものだ。
良質なものは深い緑色を帯びているのが特徴で、どこかエキゾチックな雰囲気もある。江戸城や小田原城の石垣にも使用された。歴史上の偉人の墓では源頼朝、武田信玄などの他、近年では美空ひばり、芥川龍之介、森鴎外などの墓に小松石が使用されている。大正天皇や昭和天皇陵にも小松石が使われた。その価格は特級品であれば、8寸の和型の墓で300万円ほど(参考価格)にはなるだろう。
撮影=鵜飼秀徳
小松石でできた永井荷風の墓 - 撮影=鵜飼秀徳
明治時代にできた青山霊園や雑司ケ谷霊園に赴くと、黒みがかった石や赤みがかった石が目立つが、小松石であることが多い。ちなみに、漆黒の墓石を東日本の霊園ではよく見かける。これは黒御影石だ。黒御影石は日本では、福島県の一部のみでしか産出されない浮金石くらいで、ほとんど流通しない。基本的に真っ黒の墓石は、インドなどの外国産である。
■関西のお墓は小ぶり
他方で関西の墓は、小型である。間口90センチ四方の狭い区画(0.81平方メートル)に7寸(21センチメートル)か、8寸(24センチメートル)の墓石を建てる。小型なので使用する石材量も少なくなり、霊標も設置できないスペースなので、当然コストは関東型よりも安くなる。
関西における最高級銘石は、何と言っても庵治石だ。庵治石は香川県高松市で産出される花崗岩である。磨き上げると、雲のようにもやもやとした表情をみせるのが特徴だ。庵治石は大坂城や高松城の他、首相官邸などにも使用されている。
このまだら模様が細かくなればなるほど等級が上がり、庵治石の中では最高級に位置する「細目」の石を使って、8寸サイズの墓を設置しようものなら400万〜500万円はくだらないだろう。
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最高級の庵治石でできた墓(松山市) - 撮影=鵜飼秀徳
関西地方ではピンク色がかった岡山の万成石、青みがかった大島石なども銘石で知られている。特に万成石は戦前の洋風石造り建築に見ることができる。たとえば、銀座和光ビルや新宿伊勢丹百貨店、明治神宮絵画館などである。
万成石や大島石では8寸の和型墓で200万円以上の価格になる。小松石や庵治石、万成石などの価格は高いが、実に個性的で味わい深い墓石といえる。
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画面奥のピンク色の墓石が岡山の万成石でできた墓。手前の青みがかった御影石が庵治石(四天王寺) - 撮影=鵜飼秀徳
■墓の規格が東西で異なる理由
なぜ関東と関西では墓の規格がこうも違うのか。それは、埋葬法の違いによることが大きい。かつて関東圏は土葬が中心だった。土葬、とりわけ寝棺のまま地中に埋める場合は、少なくとも奥行き(長辺)が3メートルほどは必要になってくる。土葬時代が終わり、火葬骨を墓のカロートの中に納める時代になってもイエの墓域は継承され続けてきたので、関東の墓の規模は大型なのだ。
なお、東日本では火葬後拾骨は「全部拾骨」である。したがって、骨壺は全身のすべての骨が収容できる7寸(直径約21センチメートル、高さ25センチメートル)の大きさのものが用いられる。
他方で、西日本は文化的に「部分拾骨」である。重要な部位(喉仏を中心に)のみを拾い、残りのほとんどは火葬場において帰る。したがって、西日本の骨壺のサイズは3寸〜5寸(直径約9センチメートル〜約15センチメートル)とかなり小さい。細かい話だが、骨壺の費用も少なくて済む。
納骨法も地域差がある。東京では骨壺のまま納骨する。だが、京都などでは骨を壺から出して納骨する。京都の墓のカロートの下部は土になっていて、いずれは土に還る。だから、ひとたび家墓を作ればいくらでも納骨することができる。初期投資は高いが、墓を継承できる家系であれば、家墓は実に合理的なシステムといえる。
なお残骨灰はその後、民間の回収業者に渡ることが多い。そしてその中から貴金属(金歯・銀歯など)と骨とに分けられ、骨はその後、合祀される。遺骨から取り出した貴金属は再利用される。火葬場は貴金属の「鉱山」でもあるのだ。
この火葬後拾骨の分量、あるいは葬送文化は驚くことに「地質」の影響を大いに受けている。
『火葬後拾骨の東と西』(日本葬送文化学会編、日本経済評論社)によれば、全部拾骨と部分拾骨はフォッサマグナが境目になっている。フォッサマグナの西側の境界である糸魚川静岡構造線の西側、能登半島の付け根(石川県)から浜名湖の西側(静岡県と愛知県の県境あたり)に抜けるラインである。
厳密にいえば、糸魚川静岡構造線の西にそびえる日本アルプスを越えたラインで火葬の習俗が分かれるという。
このエリア、富山や石川の火葬場では北部が全部拾骨、南部が部分拾骨になっている。長野では全域で全部拾骨であるのに対し、岐阜のすべての火葬場は部分拾骨である。静岡と愛知では、県境あたりにある複数の火葬場で全体拾骨と部分拾骨が混在している。
なぜ、地質によって東西の葬送文化の境界ができるのだろう。科学分野である地質と、宗教・民俗分野である葬送とでは、因果関係を見いだすのは難しいようにも思える。
しかし、人々の暮らし(ムラ社会)は山や川、平野などの「地形」が基盤になっている。いにしえの都であった京都と、江戸や鎌倉の文化がそれぞれ同心円状に広がるも、その間にある日本アルプスがさまざまな文化の移動を阻み、習俗が分かれてしまったのだ。
つまり、墓石や火葬後拾骨などの葬送文化の形成は、地球活動の結実ともいえる壮大なものなのだ。
■墓石はネットで安価に販売されている
近年、石材は外国産が主流になりつつある。圧倒的に輸入量が多いのが中国で、ついでインドやベトナム、台湾などとなっている。現在、ネットなどを通じて墓石が安価で販売されているが、その多くが中国で採掘、加工されたものだ。
同じ御影石の墓石で、国産に比べ中国産は半分〜3分の2の価格。とはいえ、中国産が国産の石よりも劣っているということではない。はっきり言って、プロの目でも国産と中国産の石を見極めるのは難しい。
近年、墓じまいの受け皿となっている納骨堂や樹木葬、あるいは海洋散骨の普及によって旧来からの墓石の需要が減ってきているのが実情だ。だが、墓をつくる動きが決して衰退しているわけではない。
撮影=鵜飼秀徳
京都の墓のサイズは小さい - 撮影=鵜飼秀徳
厚生労働省の『衛生行政報告例』(2023年度)によれば、全国での墓地数は増加傾向にある。2020(令和2)年は86万8299カ所だったのが、2023(令和5)年度では87万5200カ所と、7000カ所ほど増えている。納骨堂も1万3038施設(2020年度)だったのが1万3767施設(2023年度)と、3年間で700施設以上増加した。「墓づくり」はむしろ、過熱しているのだ。高齢化による多死社会という要因もあるだろう。しかし、それだけではないのではないか。
墓の真骨頂は、重量があり、簡単には動かせない「石」という素材にあるといえる。石はいわば、故人が歩んできた足跡を刻む、最強の記録メディアといえる。そうした思いを抱く人の存在が、墓じまいの流れの中で「墓づくり」という新しい動きを生み出しているのかもしれない。
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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)