将軍の「夜のお相手」は「2人→40人」に爆増…ドラマでは描かれない10代将軍・徳川家治が亡き後の大奥

2024年3月21日(木)19時15分 プレジデント社

亀梨和也 歌手、タレント、男性アイドルグループ「KAT-TUN」メンバー(2024年2月2日、巨人春季キャンプ、宮崎市) - 写真=時事通信フォト

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江戸幕府10代将軍の徳川家治はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「徳川将軍には珍しく正室を寵愛する愛妻家で、側室は2人だけだった。後を継いだ11代将軍の家斉とは対照的といえる」という——。

■ドラマで注目を集める徳川家治の本当の姿


徳川家治。歴史上、比較的地味なこの10代将軍にいま脚光が当たっている。その正室であった五十宮倫子(小芝風花)を主人公に据えたフジテレビ系の木曜劇場「大奥」で、家治を亀梨和也が演じているからである。


写真=時事通信フォト
亀梨和也 歌手、タレント、男性アイドルグループ「KAT-TUN」メンバー(2024年2月2日、巨人春季キャンプ、宮崎市) - 写真=時事通信フォト

もっとも、ドラマのストーリーについて、史実に合っているかどうかを問い出すと、ほとんど滅茶苦茶だといっていい。


第9話では、側妾の一人のお品(西野七瀬)が、家治の次男である貞次郎を出産。やはり側妾のお知保(森川葵)に産ませた長男の竹千代と、どちらを世継ぎにすべきか争いが起きようとしていたところに、家治が竹千代を選択。名を家基とすると決めたが、その直後、家基は松平定信(宮舘涼太)の差し金で暗殺されてしまった。


また、家治には出生の秘密があって、ほんとうは将軍家の生まれではなく、それを知っているのが田沼意次(安田顕)だけなので、将軍でありながら田沼には一切逆らえない、という設定になっている。第10話ではついに、その秘密が明らかになるという。


■起きようがなかった世継ぎ争い


たしかに、家治の長男として宝暦12年(1762)に生まれた竹千代あらため家基は、11代将軍になることを期待されながら、安永8年(1779)に急死している。鷹狩りの帰りに突然体調を崩し、その3日後には死去しているので、暗殺説がなかったわけではない。


だが、享年は数え18で、ドラマのような幼時ではなかった。また、ドラマでは家基の死後も貞次郎は生きているが、史実では、家基と同じ年に生まれた貞次郎は翌年、すなわち家基が死去する16年も前に命を失っていた。そもそも、この2人のあいだで、どちらを世継ぎにするかという争いが起きる余地はなかったのである。


それに、9代将軍家重の長男として生まれた家治に、出生の秘密があったという話は、少なくとも史料等では確認できない。


このように史実との齟齬(そご)を指摘し出すとキリがない。ドラマ「大奥」では、史実の順序は自由自在に入れ替えられ、そこに種々の劇的要素が、史実かどうかはおかまいなしにまぶされ、各人の思惑がファンタジーを交えてからめられている。


だが、制作サイドはそんなことは承知のうえで、大奥らしいドロドロした人間模様が鮮明になることをねらっているのだろう。その結果、視聴者が大奥の雰囲気を感じとれるのであれば、一概に否定するのもどうかとは思う。


■祖父の吉宗が目をかけた聡明な少年


ただ、ドラマを楽しむためにも、史実の家治がどんな人物であったか、知っておいても損はないだろう。


生まれたのは元文2年(1737)5月22日。享保の改革を断行して幕府の財政を立て直そうとした8代将軍吉宗が祖父である。つまり、紀州徳川家の血を引いている。


このため、祖父も父も江戸城では生まれていない。紀州藩主だった祖父の吉宗は、和歌山城下の御用屋敷で生まれ、父の家重も、江戸ではあるが赤坂の紀州藩邸(現赤坂御所)が出生地だ。これに対し、家治は江戸城西の丸で生まれている。その意味では、出生の秘密云々を問われることがない、生まれながらの将軍だった。


写真=iStock.com/EyeOfPaul
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/EyeOfPaul

父の家重は生まれながら病弱で、おまけに言語障害もあった。必ずしも愚鈍ではなかったといわれるが、言語は年を追って不明瞭になり、聞き分けることができるのは側近の大岡忠光だけだった。このため、宝暦10年(1760)4月に忠光が死ぬと、将軍職を家治に譲っている。


一方、嫡男の家重に障害があっただけに、祖父の吉宗は聡明だった家治に期待をかけ、寛延4年(1751)に死去するまで、みずから英才教育を施した。このため、家治は武芸に長けるとともに、能や書画などにもすぐれた才能を発揮したという。


ドラマで主役を務める五十宮倫子とは、将軍になる前の宝暦4年(1754)12月に結婚している。倫子は東山天皇の皇子で閑院宮家を創設した直仁親王の娘。家治の将軍就任前に一人目の女子を出産している。


■徳川将軍きっての愛妻家だった家治


しかし、聡明ではあったものの、従順で温厚な性格が、リーダーシップをとるのに向かなかったのか、将軍就任後は父の遺言にしたがって(家重は家治の将軍就任の翌年に死去した)、田沼意次を重用し、次第に政治向きのことは田沼に委任するようになった。


最初は側用人だった田沼が老中に出世してからは、家治の出る幕はほとんどなくなり、武芸や文芸などの趣味の世界に没頭するようになった。なかでも書画と将棋を好み、暇さえあれば将棋に高じて、詰め将棋についての本まで書いている。


こうして幕政は田沼に任せきっていた、という史実から、ドラマでは出生の秘密を田沼に握られていた、というストーリーを創作したのだろう。


また、家治が愛妻家であったのはまちがいない。


徳川将軍の正室は、3代家光のもとに鷹司孝子が嫁いで以来、原則として、皇族や公家の娘が京都から迎えられた。しかし、政略婚であったため、家光が孝子を顧みなかったのが先例になったかのように、9代家重までだれも正室とのあいだに子をもうけなかった。


ところが、家治は正室の倫子を寵愛し、彼女とのあいだに女子を2人もうけている。将軍の正室が出産したのは、じつに2代将軍秀忠の正室の浅井江以来だった。それだけに、側室をもつことには消極的で、ドラマに登場する知保(蓮光院)と品(養蓮院)の2人のほかには確認されていない。


■家治の時代=田沼の時代


しかし、将軍には平均して7〜8人の側室がいたというのに、側室をあまり持たなかったため、世継ぎ問題に影響することになった。2男2女はみな早世してしまい、なかでも前述のとおり、世嗣であった家基が死去したのは大きかった。


このため、祖父吉宗の孫で御三卿の一橋徳川家当主、徳川治済の長男、家斉を養子に迎えることになった。これにも田沼の助言があったようだ。


家治の後継候補には、当初は松平定信もいた。御三卿の田安徳川家の初代、徳川宗武の七男として生まれた定信は、幼いころから聡明で、田安家の後継者になり、ひいては家治の次の将軍か、と思われていた。


ところが、白河藩に養子に出してしまう。この背景にも田沼の助言があったようで、家治の背後に田沼の影があちこちに見える点は、ドラマと矛盾していない。


天明6年(1786)に家治が数え50歳で死去し、その翌年にわずか15歳で将軍になった家斉は、田沼を排除し、かつての将軍候補の定信を老中首座に据えた。


しかし、家治の時代を田沼で語れたようには、家斉の時代を定信で語ることはできない。なぜなら、家斉は歴代のなかで将軍在位最長を誇り、50年にもわたる長期政権を築いたからである。


徳川家斉像(画像=徳川記念財団所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

■子づくりのしすぎで国が滅ぶ


家斉自身、定信時代の倹約生活にうんざりしていたようで、定信の失脚の後は一転、贅沢を優先するようになった。


そのことと無縁ではないと思うが、17歳から55歳までほぼ毎年、子供が生まれている。側室や側妾の数はわかっているだけで40人程度にはなり、子供の名前は26男、27女が確認できる。加えて、流産した子が少なくとも7人はいたという。


島津重豪の娘で、近衛経熙の養女になって嫁いだ正室の寔子とのあいだにも、五男の敦之助が産まれ(数え3歳で没)、次に男子を流産しているから、多くの将軍のように正室をないがしろにしていたわけではない。


しかし、大奥に入り浸って片っ端から女性に手を出していた以上、家治のような「愛妻家」とは呼べないだろう。なにしろ、正室の近衛寔子との婚儀の翌月にも、お万の方と呼ばれた側妾から長女の淑姫が生まれている。このとき家斉はまだ17歳。以後、40年近くにわたって毎年、こういうことが繰り返されたのである。


ただ、53人もの子供のうち25人は成人できなかったが、それでも絶対数が多いから、多くの子が各徳川家や諸大名のもとへ養子に出され、女子は嫁いだ。それによって、幕府と諸大名の関係が深まった面はある。それに、なにより次男の家慶に将軍職を譲ることができた点は、「愛妻家」の家治には叶わなかったことだ。


しかし、将軍の子女を迎えるとなると、幕府と受け入れ先の双方に莫大(ばくだい)な費用がかかる。それが毎年続いた結果、幕府も諸藩も財政が逼迫(ひっぱく)してしまった。子がいないと国が滅ぶが、度が過ぎる子づくりもまた、国を滅ぼすのである。


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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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