ヒット作はコナン、ハイキュー!!、ガンダム…「観客動員数5000万人減」の映画館がアニメばかりになった理由

2025年3月30日(日)18時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LeMusique

クリント・イーストウッド監督の最新作が、51年ぶりに日本国内では劇場公開を見送られた。映画業界で今、何が起こっているのか。ジャーナリストの松谷創一郎氏は「観客動員がコロナ禍以前に比べて5000万人減っている。これは日本だけでなく世界的に起こっている現象だ。いよいよ映画館離れが決定的になりつつある」という——。
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■イーストウッド監督作が配信スルーに


昨年12月、クリント・イーストウッド監督の最新作『陪審員2番』がひっそりと公開された。94歳のイーストウッドにとって、最後の監督作になると考えられている作品だ。


しかし、日本で公開されたのは映画館ではなく、動画配信サービスのU-NEXTだった。イーストウッドの監督作品が映画館で公開されない事態は51年ぶりであり、極めて異例のことだ。


この特異な状況の背景にあるのは、日本における外国映画の著しい不調だ。


2024年の映画産業を概観すると、観客動員は前年比マイナス7.1%、興行収入は前年比マイナス6.5%となった。これはコロナ禍後の回復傾向が一段落したことを示す数字だ(日本映画製作者連盟「2024年(令和6年)全国映画概況」より)。


特筆すべきは、日本映画の興行収入シェアが75.3%という驚異的な数字を記録したことだ。これは1958〜1961年の映画全盛期と、2020〜2021年のコロナ禍以来の高水準となる。


■「邦高洋低」そして「アニ高実低」の映画産業


興行収入トップ10のヒット作を見ても、日本映画が8作品、外国映画は2作品。しかも、10作品中6作がアニメであり、外国映画の2本もここに含まれる。興行収入10億円以上の41本のうち24本(58.5%)は実写だが、興行収入では42.8%にとどまる。つまり、アニメのほうが大ヒットすることを意味している。


このように日本の映画産業では、「邦高洋低」に加え「アニ高実低」という新たな構図が固まりつつある。語弊を恐れずに言えば、日本のアニメばかりが大ヒットする状況だ。


筆者作成
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■コロナ禍の映画館を救った『劇場版「鬼滅の刃」』


21世紀以降、日本映画は復活を遂げてきた。外国映画のシェアを21年ぶりに逆転したのは2006年のことだった。


これは、1998年のフジテレビ『踊る大捜査線 THE MOVIE』の大ヒットを契機とした、テレビ局の積極的な映画参入によるところが大きかった。ドラマやマンガを中心とする認知度の高いコンテンツを活用するため、宣伝コストを抑えながら確実な集客が見込める戦略として定着した。


さらに2010年代以降は、アニメの大ヒットが目立つようになった。『ONE PIECE』や『名探偵コナン』シリーズ、そしてポストジブリとも言うべき新海誠監督の『君の名は。』や『天気の子』などの大ヒットが続々と誕生した。


一方で外国映画、とくにハリウッド映画はヒットしにくくなった。2001〜2011年にかけては『ハリー・ポッター』シリーズが大ヒットを飛ばし続けたが、それ以降は日本で受け入れられにくい状況が続いている。『アイアンマン』や『マイティ・ソー』など「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」の作品群も、他国ほどの大ヒットには結びついていない。


そして、そうした「邦高洋低」+「アニ高実低」の状況に拍車をかけたのは、2020年の新型コロナのパンデミックだった。全世界の映画館は大きな打撃を受けた。


2020年の観客動員数は、日本は前年比マイナス45.5%、北米は同マイナス82.0%(※1)、韓国は同マイナス73.7%(※2)にまで落ち込んだ。日本が他国よりも少ないダメージで済んだのは、映画館の入場制限が限定的だったことや、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の大ヒットがあったからだ。


日本映画では史上最高の404.3億円の大ヒットを記録した『鬼滅の刃』は、この年の総興行収入の28%を占めるほどだった。日本の映画館はこの作品に大いに救われた。


※1:The Numbers ‘Domestic Movie Theatrical Market Summary 1995 to 2025’
※2:KOFIC「総観客数および興行収入(年度別)


■コロナ禍のダメージからの回復に陰りが見えてきた


そうしたコロナによるダメージは、2022年、2023年と全世界的に回復傾向を示していた。しかし、2024年はそれに陰りが見えた。日本、北米、韓国それぞれの映画人口が、2023年比でマイナスとなったのだ。回復が上げ止まり、ポストコロナ時代における映画産業の新たな均衡点が見えてきている。


コロナ禍前年である2019年の観客数と比較すると、日本はマイナス5047万人・25.9%減。北米もマイナス4億1202万人・33.6%減、韓国もマイナス1億355万人・45.7%減となった(同前)。つまり、「映画館離れ」が定着した可能性が出てきたのである。


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一方、パンデミック中に加入者数を飛躍的に伸ばしたのはNetflixやAmazonプライム・ビデオなどの動画配信サービスだ。映画会社もDisney+やMax(ワーナー・ブラザース)など配信プラットフォームへのシフトに注力した。コロナ禍は、映画館離れと動画配信サービスの普及を同時に促進したのである。


■配信なら無理に2時間にまとめあげる必要がない


こうした動画配信サービスは、映画館が従来のテレビに対して有していたふたつの優位性を相対化した。


ひとつは画質の優位性だ。4K解像度や有機ELディスプレイ、大画面テレビの普及などにより、家庭でも高画質の映画鑑賞が可能になった。これはかつてのブラウン管テレビの時代にはなかった技術的変化だ。


もうひとつは製作費の優位性だ。動画配信サービスは、グローバルに定額制のビジネスを展開することで、多額の予算をかけた作品製作を可能とした。たとえばNetflixの『イカゲーム』やDisney+の『ムービング』のような韓国ドラマのように、ハリウッドと遜色ない派手なオリジナル作品の製作も可能になったのである。


さらに動画配信は映像コンテンツの自由度を高めた。従来の映画館では、一定の上映時間(90〜150分程度)の制約がある。しかし配信サービスの普及により、長尺や30分程度の短編など、多様な形式が可能となった。かつての『裏切りのサーカス』や『レディ・ジョーカー』のように、登場人物が多い複雑な小説を無理に2時間程度に圧縮して映画館で公開する必要はなくなったのである。


対して、映画館はそもそも不自由なメディアだ。観客は物理的に映画館に出向く必要があり、2000円程度の入場料を払い、上映開始時間や座席の制約もある。こうしたなかで映画館の役割が相対的に失われていく傾向は避けられない。


■アニメ映画の特典グッズ商法も「体験」の一環


こうした状況は、映画が約60年ぶりに新たな局面に入ったことを物語っている。約70年前、テレビの普及によって映画館は甚大なダメージを受けた。1958年から10年で観客が73%減少したほどだ。動画配信に相対化された現在は、それ以来の構造的な変革期と捉えることができる。


では、この変化のなかで映画館はどのような存在意義を持ち得るのか。


映画館が持つ動画配信との最大の差別化要素は「体験」にある。3D/4D映画、音響に凝った作品など臨場感を重視する作品は、2010年代以降に目立ってきた。コロナ禍前に局所的に盛り上がっていた応援上映もそのひとつだ。


また、コンサートビデオの上映もかなり浸透している。これは、大きな画面と優れた音響の映画館の強みが発揮されるコンテンツだ。あるいは、昨年公開された『関心領域』や『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のように、物語はシンプルながらも音響を軸とした臨場感のある作品が注目された。


このように、「体感」や「体験」を軸とする臨場感によって、映画館独自の優位性を発揮しようとしている。


現在の日本ではアニメに比重を置いて活路を見出そうとしているが、これも「体験」による差別化と捉えられる。そこではグッズ販売や限定グッズ配布など、アニメの「推し活」の場として映画館の価値が見出されている。映画館に足を運び、お目当てのグッズを入手、映画を観る——そうした一連の行動が「推し活」体験としてメディアである映画館の意味を支えている。


■今や「映画」の定義が変わってきている


一方で、クリント・イーストウッドの『陪審員2番』のように、顕著な体験価値がなく興行的な成功も見込めない作品は、ビデオスルーならぬ「配信スルー」にしたほうがメリットがあると判断されたと推察される。


写真=iStock.com/simpson33
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『陪審員2番』は昨年12月20日からU-NEXTで独占配信され、今年3月5日からAmazonプライム・ビデオなど他の配信サイトでデジタルレンタル・販売が始まった。この場合、ファーストウィンドウだった従来の映画館の役割をU-NEXTが務め、同じくレンタルビデオ店の役割をAmazonなどが担っていると捉えられる。


これまでは、映画館での公開こそが「本物の映画」であり、ビデオや配信は二次的な市場と考えられてきた。しかし現在では、配信と劇場公開の境界線が曖昧になってきている。Netflixでは『終わらない週末』など配信オリジナルの「映画」も当初から定着しており、劇場公開が「映画」の必要条件ではなくなりつつある(Netflixでは1本で完結するオリジナル作品も「映画」とされる)。


外国の実写映画が日本でヒットしにくい状況を考えれば、『陪審員2番』のような展開は今後も定着していく可能性が高い。いまも競争が激しく続く動画配信市場では、コンテンツの独占配信権によって各サービスの差別化戦略が展開されている。現在の日本では、韓国ドラマの獲得競争においてその様相が顕著に表われている。


■映画館がこれ以上活性化する要因は見当たらない


それでは、映画館の将来はどうなるのか。


結論として、映画館がいま以上に活性化する要因は見当たらない。つまり、二度目の斜陽期に入った可能性が高い。


映画史を振り返れば、映像メディアは常に技術革新とともに変容してきた。リュミエール兄弟に先駆けてエジソンが発明したキネトスコープは、個人が単独で視聴する「私的な」映像体験装置だった。しかし、現実には大勢で映像を見るリュミエール兄弟のシネマトグラフ=投影装置が浸透し、そして130年が経過した。


もちろんその過程で、テレビ、ビデオ、そしてスマートフォンと普及してきた映像技術は、映像体験が集団から個人へと回帰する歴史と読み取れる。よって、動画配信がエジソンが夢見たキネトスコープの最新形だとする映画史的視座も包含されなければならないだろう。


考えるべきは、メディア(映画館)の衰退がコンテンツ(映像作品)の衰退を必ずしも意味しない点だ。同時にそこでは、「動画配信サービス時代における“映画”とは何か」という根本的な問いの再考も必要とされるはずだ。


■アニメ頼みが続けば実写の人材育成機能が損なわれる


現状、日本では映画館が「体験」の価値に大きく比重を移してその存在理由を模索している段階にある。「邦高洋低」、「アニ高実低」という市場構造における課題は、いかにコンテンツの多様性を維持し創造性を育んでいくかにあるだろう。


アニメの成功は賞賛に値するが、それに偏りすぎれば中長期的には実写作品の低迷を招くリスクがある。とくに人材の育成機能も担う中小規模の作品発表の場を維持することは重要な課題だ。それこそ映画館にこだわらず、動画配信で中小規模の作品を維持できるようにする枠組みを講じることはより検討されるべきであろう。


クリント・イーストウッドの『陪審員2番』が配信限定で公開された事実は、確かに時代の変化を象徴している。しかし、それは映画の終焉を意味するのではなく、映画が新たな時代へと足を踏み入れた証とも捉えられる。映画館であれ配信であれ、優れた映像作品が人々の心を動かす力は、これからも変わることはないからだ。


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松谷 創一郎(まつたに・そういちろう)
ジャーナリスト
1974年、広島市出身。文化全般について商業誌から社会学論文まで幅広く執筆。現在、『Nらじ』(NHKラジオ第1)にレギュラー出演中。著書に『ギャルと不思議ちゃん論』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)、『文化社会学の視座』(2008年)等。
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(ジャーナリスト 松谷 創一郎)

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